ニューヨーク!ニューヨーク !(その6)

お久しぶりです。6月に入ってから何故かとても多忙になってしまい、なかなかブログの更新ができないでいました。やっとNYC旅行記のおしまいの記事です。

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滞在最終日

NYC最終日は雨模様の天気。NYCに来てはじめて傘を使うことに。午前中はアンディーウォーホル展を観るため、地下鉄でブルックリン美術館(Brooklyn Museum)へ。

  

    ブルックリン美術館(左)で開催されていたウォーホル展。自身と母親ジュリアの肖像画(右)。ジュリアは1952年にNYに移り住み20年ほど息子の世話をし続けたとか

『黙示録(Revelation)』と題されたこの展示会は、ポップアートの旗手として知られるウォーホルが実は敬虔なカソリック教徒だったことに焦点を当て、それが彼の作品に与えた影響を探るもの。ゲイであることを公言し、ポップカルチャーのカリスマ的存在だった彼が、礼拝のため定期的に教会を訪れていたと知り、すごく驚きました。

また、小学生のころ虚弱だった彼を育み、アートを推奨し、成人してからも支え続けたのは、母親のジュリアでした。その影響は計り知れないものがあります。

ウォーホルの両親は旧チェコからの移民で、アンディ(1987年没)は1928年に米国ペンシルバニア州で3人兄弟の末っ子として誕生。ルテニア東方典礼カソリック教徒の家庭で育ち、一家の中で初めて大学(カーネギー工科大学)に進学した。コマーシャルアートを学んだ後、1949年にニューヨークに移住。『ヴォーグ』や『ハーパーズバザー』など、雑誌のイラストや広告を手掛けるように。

          

    1928年8月に生まれ、洗礼を受けた(左)。1955年の作品、『二つの頭と握られた手(Two Heads and clasped hands)』は繊細なタッチ

1960年にコマーシャルアートからファインアートに転向。翌年、33歳の時にキャンベルスープ缶やドル紙幣を描いた作品を発表し、ポップアートブームの先駆けに。1962年からはトレードマークともいえる、シルクスクリーンプリントを使って作品を量産するスタイルを確立。マリリンモンローやジャッキーケネディなど有名人の肖像をはじめ、大衆的で話題性のあるモチーフが注目を集めた。

1964年にはNYにスタジオ、「ファクトリー(The Factory)」を設立し、『チェルシーガールズ』に代表される実験的な映画や音楽のプロデュースなど多様な芸術の制作に携わる。ファクトリーは新進アーティストのみならず、ミックジャガーやルーリードといったミュージシャン、作家のカポーティ、俳優やモデルなどが集まる社交場となった。1965年には伝説のバンド、ヴェルヴェットアンダーグランド(The Velvet Underground)のデビューアルバムをプロデュース。ウォーホルがロック音楽に与えた影響も大きい。「将来には誰でも15分間は有名人になれる」という言葉を流行らせたのもこの頃。                    60年代のトランスジェンダーのアイコンで、ウォーホール映画のスター俳優だったキャンディダーリン。ファクトリーには当時のセレブが集って制作にも関わったが、モデルや俳優への報酬をケチることで有名だったとか

 

      1970年代の『スカル(Skull)』シリーズの作品(左)。60年代初頭から死をテーマにしたり、光と影を強調する作風を用いた。中央と右は1981~1982年に制作した『銃』『ナイフ』『十字架』シリーズ

40歳の時、ファクトリーの常連だった過激派フェミニスト、ヴァレリー・ソラナス(Valerie Solanas)に襲撃され生死の境をさまよう。1970~80年代にかけては、社交界や政界からもシルクスクリーンの肖像を依頼する人が絶えなかった。代表的な作品は、中国共産党の毛沢東など。80年代にはバスキアやクレメンテらの若手アーティストと交流し、共同制作を行っている。1987年に胆嚢の手術を受けた後、心不全で亡くなった。

  

   1985~1986年、バスキアとのコラボ作品『10個のパンチバッグ(最後の晩餐)(Ten Punchbag (Last Supper)』、ウォーホルはダヴィンチの『最後の晩餐』のキリストを手描きしている。同年作、『あなたは違う?(Are You “Different”?』は宗教的な広告を手描きでトレースしたもの

      

    1985年作、ラファエルの絵をモチーフにした『ラファエル/ 聖母―$6.99 (Rapheal Madonna-$6.99)』。消費社会においては聖なるものも俗物化・商品化?

     

      死去する1年前、1986年に制作された『最後の晩餐(The Last Supper)』はダヴィンチの作品がモチーフ。同じ題材で100以上のパターンの作品を発表している

信心深い家庭で育てられたウォーホルが、アメリカの資本主義社会が象徴する大量生産の時代の寵児になったこと。人間らしい感情を取り払った、コピー機が生み出すような派手な色彩のセンセーショナルなアートが時代の象徴になったこと――その巡りあわせも不思議ですよね。

ということで、ウォーホル展を堪能した後、最後にもう一度NYC在住の友だちと食事をして夜8時ごろ帰路の旅路についたのでした。

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ニューヨーク!ニューヨーク !(その5)

滞在6日目

この日は朝9時半にNYC在住の友達とグランドセントラル駅で待ち合わせ。まず地下鉄でBrooklyn Bridge City Hall駅まで行き、快晴の空のしたブルックリン橋を歩いてマンハッタン島からブルックリンへと渡りました。1883年に開通したブルックリン橋は、鋼鉄ワイヤーを使用した世界最初の吊り橋なんだとか。

        

       天気がいいと風景も気分も全然違いますね。徒歩で30分ほどですが、NYCの絶景を眺めながらのウォーキングなので、それほど長く感じませんでした

ブルックリンに到着したあとは、橋の袂にあるダンボ(DUMBO Down Under the Manhattan Bridge Overpass)地区でコーヒーブレイク。イースト河沿にの倉庫街を改造したお洒落なレストランやショップが並びます。友達が連れて行ってくれたのは、エンパイアドアーズ(Empire Doors)という建物内のタイムアウトマーケットNYという人気スポットでした。

    

 ブルックリン橋のアーチ型鉄柱の向こうに見えるのはエンパイヤステートビル(写真中)。トレンディなエンパイアドアーズNYC

ダンボからCourt St駅まで歩き、そこから電車でニューヨーカーが避暑に訪れるというコニーアイランド(Coney Island)へ。高層ビル群から住宅地へと風景が変わっていき、着いたところは大きな遊園地がある海岸でした。

   遊園地「ルナパーク」はまだ閉鎖中(左)。4月上旬とは思えない上天気

海岸沿いにまたまた3駅ほど歩いて、Brighton Beachというエリアのロシア料理店へ(コニーアイランドにはロシアからの移民が多く、ロシア料理店がひしめいているのです)。そこで昔ロンドンで出会ったもうひとりの知人と感激の再会!最初に会った時はみんなシングルだったのに、今や彼女も私も成人男子の母親になっているというーーう~ん、時間が経つのがなんと早いこと!

   メインのビーフストラガノフと4人でシェアしたチーズケーキ。お味は…まあまあ。近くに世界一有名?!といわれるホットドッグ屋さん、ネイサンズが

 

昔話に花を咲かせながら夕方まで海辺をブラブラ。とても楽しい一日だったけど、さすがに歩き疲れました。グランドセントラル駅の近くでお握り屋さんを発見したので、夜は梅のお握り、ギョウザ、苺大福とみかんをテイクアウト。NYCで食べた中で最も美味しかった食事のひとつかも…。

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