SM H.E.L.P. サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その3)

2021年も明日で終わりですね。去年末はアルファ株の激増でロックダウンしていたイギリス。今年はオミクロン株が激増して、本日の感染者数はパンデミック始まって以来、最多となる18万9000人を越えてしまいました!それでも、昨年に比べると重症化率が低く、死者数も少ないのが救いのひとつ。一部の科学者が指摘するように、コロナウィルスが徐々に弱毒化して、風邪のような存在になれば良いのですが…。

    

   イングランド中部のクリスマスは深い霧に包まれていました。義両親宅の近くのBrixworthの町まで歩き、その起源をアングロサクソン時代の7世紀まで遡るというAll Saint Churchを見てきました

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さて、マギー・ジョンソンさんのオンライン講演の続きです。

<ティーンと成人向けのスライディングイン法>

マギーさんがスライディングイン法を重要視するのは、最小のストレスで最速の回復を期待できるから。

ティーンや成人と子どもとの主な違いは、年齢的に場面緘黙が恐怖症だと理解できること。不運にも恐怖症になっているだけで、緘黙状態は本来の自分ではない――スモールステップ法を実践すれば、少しずつ恐怖心を克服できると理論的に理解できることです。

(みく注:ティーンや成人は緘黙を「恐怖症のひとつ」と捉え、第三者的な視点でみることができるということですよね)

脳が間違った反応をしているため、脳を再訓練して危険でないことをゆっくり学習していきます。危険がないと判断できれば、脳内でFight or Flight(戦うか逃げるか反応)の自動スイッチが入ることはありません。

例えば、大きな黒い犬が向こうからどんどん近づいてくると仮定してみてください。犬が自分に危害を加えるかもしれないと判断すると、脳は自動的にFight or Flight モードに。でも、危険はないと解れば、恐怖はなくなりパニック状態に陥ることはありません。

スモールステップに対して、「じゃあ、試してみようか」と本人が思えること、大きなプレッシャーを感じずに自分のペースで進めること――本人が「大丈夫、できる」と思えることが重要になってきます。

16歳のポーランド人の少年、サンダー君の例:

症状:2年間心理士にかかったが進歩はなく、親しい関係の祖父母にも話せなかった

母親が渡英して緘黙の研修を受け、緘黙は恐怖症だからスモールステップで克服できると説明。サンダー君は「それならできる」と同意し、まず祖母とスライディングイン法を試み、話すことに成功。翌日、祖父とも試みる予定だったが、スライディングイン法を実施することなしに話すことができた。

心理士とセッションを続けていた間、サンダー君は「原因は自分にある」と自分を責めたり、絶望したりしていました。それが、たった2日間で祖父母と話せるように!彼はその後、理解のある学校に転校し、そこで徐々に緘黙を克服することができたそう。現在は、緘黙だった過去を想像できないまでに回復しているとか。

マギーさんは、年を重ねることに緘黙が固定化して話せない人が増え、克服が難しくなる傾向があると指摘。けれど、適切な支援と本人の理解があれば、必ず克服できると語っています。まず、「緘黙は恐怖症で、克服できるもの」と理解すること。この気づきがあれば、長いセッション1回で話せなかった人と話すことも可能となるのです。

子どもの場合は、恐怖を感じさせないよう、短時間のセッションを何度も行う必要があります。プロセスを小さなセクションに分け、根気よく積み重ねるのです。親子のいる部屋にマギーさんが入り、子どもと話をするまでに平均で10セッション程度かかるそう。

一方、ティーンや成人の場合は、長いセッションを一度行うだけで話せるようになるケースも。スライディングイン法は、緘黙の程度や個々の状況に合わせてやり方や回数・時間などをいくらでも調節できるところが利点だといいます。

(次回は具体的なケースをご紹介します)

オミクロンの脅威は消せませんが、皆さん身体と心の健康に気をつけて、良い新年をお迎えください。

<関連記事>

大人の緘黙ー緘黙啓発月のSM H.E.L.P. から

第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その1)

第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その2)

第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その3)

SM H.E.L.P. 2021年秋サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その1)

SM H.E.L.P. 2021年秋サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その2)

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一足早いクリスマスプレゼント?

クリスマスイヴまであと2日を切りました。イギリスでは1年で一番大きなイベントがクリスマス。家族や親戚、友人同士が集まって、プレゼントを交換し合い、クリスマスディナーを食べて盛り上がります。あとはTVで女王様のお言葉を聞いたり、飲んだり、食べたり、話したり、リラックスしたり。

我が家の今年のデコレーションはこんな感じ

が、ご存じのように今イギリスではオミクロン株の感染が激増中。特に、ロンドンでは完全にデルタ株から置き換わり、今や90%がオミクロン株なんだとか。今日の感染者数はなんと10万人を超え、未知との遭遇状態…。

2週間ほど前から、ごくごく身近で感染の話を聞くように。でも、1週間ほど前からそれが加速し始めたんです~( ;∀;)

まずは、先週末会う予定だった友達から連絡が来て、月曜日に一緒だった顧客が金曜日に感染したと…(彼女は2万円ほど支払ってPCR検査を受け、陰性でした)。

それから、オンラインの日本語の生徒さん(13歳で、自身は2か月前に学校で感染)から、今度は両親が感染して自宅療養しているとの報告。

別の友達のご主人も職場で陽性者が出て、症状は出ていないものの簡易テストをする毎日。クリスマス前に不意打ちのように陽性者が激増して、濃厚接触者も大激増。

うわ~、すぐ近くまで迫って来た~と不安になったところで、今度は我が息子が!!

先週頭の3日間、友達とロンドンに遊びに来ていたのですが(家には帰って来ず)、大学のある町に戻ったところで友達が発熱(◎_◎); PCR検査の結果、おととい陽性が判明しました(◎_◎;)

息子は先週金曜日から簡易検査ではずっと陰性だったものの、友達が陽性だったのでもう感染してるに違いない!と悲観的な気持ちになっていました…。

で、息子は昨日PCR検査に出向き、今日結果が出る予定だったのです。

心配で一日中落ち着かなかったんですが、ついさっき連絡が!

陰性でした~\(^o^)/ ヤッタ~!

これで息子は下宿先で独りぼっちのクリスマスを過ごさずに済みます。

去年のこの時期は英国由来のアルファ株が急増して、政府はクリスマスの5日前にロックダウンに踏み切りました。我が家では、通常義両親や義妹家族の家に行って一緒にクリスマスを祝うのですが、私たちが会ってプレゼントを交換したのは今年の4月。

今年は義両親宅に行って2家族でクリスマスを過ごすことになっていたのですが、息子の友達の感染で不透明に。でも、義両親に陰性の情報を伝えたところ、予定通りに来てと言われました。

念のため、出発前に全員簡易テストをして確認し、換気を徹底してコロナ感染することなくクリスマスを過ごせればと思っています。

オミクロン大感染のなか、重症化する人が少ないのが救いといえば救いかな…。私の周りで感染した人は全員軽い症状で済んでいます。オンランピラテス仲間のひとりも陽性(同じ家に住む3名全員)ながら、昨日のクラスに参加してました(;^_^A

熱や咳はそれほど酷くならず、呼吸が苦しくなったり、嗅覚・味覚に変調をきたすことも少ないよう。軽い風邪やインフルエンザに近い症状で、ピラテス仲間は2日間ほどくしゃみが出て「あれっ、風邪かな?」という感じだったそう。重症化しているのはワクチン接種をしていない人が殆どと聞いています。

症状が軽いのはやはりワクチン接種のお陰のよう。症状が軽ければそれほど恐れることもないと思うのですが、問題はオミクロン株の感染率の高さですね。入院患者が増えると医療システムがパンクしてしまうので…。

森林公園ハムステッドヒース内、ケンウッドハウスのイルミネーション

皆さんも感染に注意して、素敵なクリスマスとお正月をお過ごしください。

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SM H.E.L.P. サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その2)

早いもので、12月もすでに中盤に入ってしまいました。仕事も生活もなんだか慌ただしくて、時間だけがびゅんびゅん過ぎていく感じ…毎年この季節になると焦るのですが、今年は高速感が半ばないです~。

    通勤途中の風景。最近では4時ごろになるともう薄暗いのですが、寒桜や赤い実が暗い季節を彩ってくれてます

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さて、マギージョンソンさんの講演の続きです。

場面緘黙児の不安は一体どこからくるのか?

その謎が解けたのは、1995年にマギーさんの娘さん(当時10歳)が酷い蟻恐怖症になり、児童心理士を受診した時のこと。心理士は恐怖症がどのように始まり、作用するかを説明したうえで、マギーさんが無意識のうちに恐怖症を強化してしまっていると忠告…。マギーさんはショックで泣きだしてしまったそうですが、同時に「あっ、場面緘黙も同じなんだ!」とピンときたそう。

不安障害は心理的な問題――恐怖やパニックは現実のものだけれど、感じる脅威は頭の中でつくられた/ 想像されたもの。現実の不安要因に対して、感じる恐怖は不合理に大きく、全くつり合いが取れていません。大きな恐怖を脳が察知すると、身体が条件反射的に反応して、冷や汗が出たり、足がすくんだり、体全体が硬直したり、パニックに陥ったり…人によって症状はさまざま。場面緘黙の場合は、喉が締まったようになり、声が出なくなるのです。

場面緘黙の人にとって、特定の人や場面で話すだろうという期待は大きな脅威。ほとんどの緘黙児には、不安を感じることなく話せる小さなサークル(安全領域/ コンフォートゾーン)がありますが、大多数の人はこの安全領域の外なのです。その人・場面を知っている期間の長い・短いは関係ありません。

子どもはすごく話したいと思っているのに、恐怖のために声がでないのだ――そう理解したマギーさんは場面緘黙の治療に恐怖症への対処法を取り入れることに。それまでにスモールステップ法が有効なのは明らかでしたが、その上に必要なものが判明したのです。

治療を始める時は、子どもに対して、どんなに怖い思いをしているか解っていると共感。自分がすることは話をさせることではなく、恐怖心を少しずつ少しずつ減らしていく助けをするのだと説明します。子どもが「できる」と思えるように、小さなステップを重ねていくことが重要です。

もう一つの大きな変化は、子どもと保護者の前で場面緘黙についてオープンに話すようにしたこと。不安について話すことで、子ども自身も自分の状態を把握できます。

また、保護者が子どもの緘黙を強化しないよう、保護者も治療チームに加えるようにしました。親の育て方のせいで子どもが緘黙になるのではないことも強調。保護者はどうして自分の子どもが緘黙になったのか見当がつかないことが多く、原因を見つけようと苦悩します。でも、保護者が不在の時に緘黙になるきっかけに遭遇していることも多いのだとか。

治療法にこれらの変更を加えたことで、子ども達の回復はかなり早まったといいます。

治療にあたっては、主にスライディングイン法とフェイディング法を使いますが、重要なのは段階的なエクスポージャー法を取り入れていること。以前はシェイピング法(段階的に発話動作を形作っていく)を使い徐々に声を出せるようにしていましたが、スライディングイン法を使うと、最小のストレスで最速で子どもを回復させることができることが解ってきました。

(またまた次回に続きます)

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第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その1)

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第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その3)

SM H.E.L.P 2021年秋サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その1)

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湖水地方の夏休み(おまけ)ブロンテ姉妹のハワース

11月もあと数日で終わりですね。今回で、やっと湖水地方の夏休み記事が終わりです。最後まで付き合ってくださった方、ありがとうございました。


 
シャーロット・ブロンテの肖像画

湖水地方でのホリデーを終えた後は、ヨークシャーを経由して帰途に就きました。リーズの北にあるハワースという小さな町で、19世紀の英国文学に大きな影響を与えたブロンテ姉妹が育った牧師館を見学し、何年かぶりにリーズに住む友達家族と会うためです。

湖水地方の南東にあるヨークシャーへ向かう途中には、『嵐が丘』に出てくるような荒涼としたヒースの原野が広がっていました。

  

   小高い丘の上にある牧師館(左)と兄弟のブランウェルが描いた3姉妹の肖像画。牧師館の隣には父親パトリックが牧師をしていた教会がある

牧師館は現在博物館になっていて、『ジェーンエア』を書いたシャーロット(1816~1855年)、『嵐が丘』のエミリー(1818~1848年)、『ワイルドフェル屋敷の住人』のアン(1820~1849年)の3姉妹が使った家具や所持品、原稿や日記、書簡などが展示されています。

ブロンテ牧師夫妻が6人の子どもを連れてこの牧師館に引っ越してきたのは1820年のこと。 その翌年に母親のマリアが死亡し、子ども達は伯母に育てられることに。

上の姉妹4人は聖職者の子女のための寄宿学校に入学しましたが、長女マリアと次女エリザベスが結核にかかり相次いで死亡。その昔『ジェーンエア』を白黒映画で初めて見た時、カソリック寄宿学校の過酷な生活描写に驚き、本を読んでまた驚いたんですが、実体験に基づいて書かれたよう…。当時ハワースでは人々の暮らしは貧しく、平均寿命がなんと25歳未満だったとか!生後6か月未満の乳児の死亡率は41%だったというから驚きます。

 シャーロッテが描いたアンの素描とアンが描いた風景画。右は姉妹が使っていた裁縫箱

上の子ども2人を続けて亡くしたパトリック牧師は、3女シャーロット、長男ブランウェル、4女エミリー、末っ子のアンを家庭で教育しました。3姉妹が描いた絵が複数展示されていましたが、皆なかなかの腕前。当時、貧しい牧師の娘は裕福な家に嫁ぐことは望めず、自立への唯一の道は教師や家庭教師になることだったそう。そのためには、美術や音楽も極める必要がありました。

     ピアノがあるパトリック牧師の書斎。若きブロンテ姉妹が作ったミニチュア本は、虫眼鏡がないと読めないほどの大きさ

外の世界から孤立して育ったこともあり、3姉妹と第4子で長男のブランウェルは非常に仲が良かったそう。子どものころから共同で空想の物語を創って遊び、次第に複雑な物語を書くようになったのです。芸術全般に優れていたブランウェルを父親も姉妹も天才とみなし、彼の将来に大きな期待を寄せていたとか。でも、彼はアルコールとアヘンに溺れ、大成することなく31歳でこの世を去りました。

  3姉妹がそれぞれの小説を書いた応接間兼ダイニングルーム。簡素であまり飾り気がありません

3姉妹は1846年に自費で詩集を出版。当時は女流作家が認められておらず、男性名のペンネームを使っていました。1847年に『嵐が丘』(エミリー29歳の時)と『ジェーンエア』(シャーロッテ31歳の時)が出版されて大きな話題に。翌年にはアンの2作目『ワイルドフェル屋敷の住人』(28歳の時)が出版され、人気を博しました。

          階段の踊り場にある大時計(左)と簡素なキッチン(中)。シャーロットのドレスから(右)から彼女がどんなに小柄だったか伝わってきます

でも、彼女たちの小説家としての活動はとても短いものでした。エミリー(享年30歳)とアン(享年29歳)は出版から時を経ず結核で死去。ひとり残されたシャーロットは結婚したものの翌年に38歳で亡くなり、父親のパトリックが子ども達より長生きする結果に。6人の子宝に恵まれながら、誰ひとりとして子孫を残せず、ブロンテ家は途絶えてしまったのです。

少ない人生経験からあれほどドラマチックな物語を生み出した彼女たちが、そろって薄命だったのは、ハワースの気候や当時の暮らしぶりも大きく影響していたんでしょうね…。

 当時の面影を残す目抜き通りの坂道。町の向こうは長閑な田園風景

小雨が降り出しそうな曇り空の下、カフェの中庭で友達一家とランチをしながら、色々語り合うことができました。しばらく見ないうちに、子ども達が大きく成長していてビックリ。コロナ禍はまだまだ続きそうですが、時間はどんどん流れていくので、うまく息抜きをしていけるといいですよね。

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湖水地方の夏休み(その2)雨にけむるダーウェント湖

湖水地方の夏休み(その3)ウィンダミア湖で島巡り

湖水地方の夏休み(その4)ピーターラビットを探して

湖水地方の夏休み(その5)洞窟探検 & 詩人ワーズワースの足跡を訪ねて

湖水地方の夏休み(その6)洞窟探検No2 & アンブルサイドの町

湖水地方の夏休み(その7)海辺でピクニック&ケンダル周辺

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SM H.E.L.P. サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その1)

11月ももう半分過ぎてしまいましたね。イギリスでは冬時間に切り替わってから日暮れが早く、時間が経つのが本当に早い気がします。

     昨年は中止になった近隣の花火大会が今年は決行。燦めく光を求めて多くの人が集いました

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場面緘黙啓発月だった先月に開催されたSM H.E.L.Pサミットでは、ティーンと大人の場面緘黙がテーマでした。印象的だったのは、イギリスで緘黙治療の第一人者と言われるSLT(言語聴覚士)マギー・ジョンソンさんの講演。その内容を数回に分けてお伝えします。

場面緘黙との出会い

マギーさんが場面緘黙と出会ったのは偶然のことでした。SLT(言語療法士)の資格を取って初めて治療にあたったのが、話さない15歳の少年。保護者も周囲もどうしていいか判らず、少年は寄宿制の特別支援学校に入れられていたとか。唯一話せる相手、母親から切り離されてしまっていたのです。

新米SLTのマギーさんの仕事は、当時「選択性緘黙(Elective Mutism)」と呼ばれていた症状を持つこの少年を話せるようにすること。初めて聞く症状名――1976年当時はまだインターネットもなく、医学事典に載っていたのは「本人が話すことを拒否している」という説明。

(「選択制緘黙」は80年代前半にDSM-III(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に初登場しましたが、話すことへの継続的な拒否(persistent refusal to speak)とされていました)。

少年は母親と連絡を取るために、寄宿舎の公衆電話を使わなければなりませんでした。そこには他の生徒や教師がいて、話したら声を聞かれてしまいます。彼は受話器をトントン叩いて音を出すことで、母親とコミュニケーションを取っていたそう。

マギーさんは「当時は何も知識がなくて、彼と向かい合って座っていたの。私の視線をまともに受けて、長い沈黙がどんなに苦しかったことか」と回想します。

ある日のこと、沈黙し続ける彼のほほにひとすじの涙が…。それを見て、マギーさんは「話すことを拒否してるんじゃない。わざと話さないんじゃない。専門書は間違っている!」と直感したそう。でも、どうしたら助けられるのか判りませんでした。

この少年は1年後に学校を去ったそうですが、その後彼が自殺を図ったことを知り、マギーさんは大きなショックを受けました。そして、この体験こそが彼女を場面緘黙の治療法を見出すミッションへと駆り立てたのです。

この少年との出会いがなかったら、マギーさんが世界に先駆けて多くの場面緘黙児や青年、成人を助けることはなかったと思うと、運命的なものを感じます。

次の緘黙ケースは、同じように寄宿学校に入れられた8歳の男の子。この時は、まず話すことへのプレッシャーを取り除き、非言語でコミュニケーションを取るよう指示しました。子どもが話したいと思っていること、何かが話す妨げをしていること、それは不安によるものらしいと気づいたからです。

教育心理士に相談し、自分の持つコミュニケーション法の知識と心理士の持つ不安の知識を掛け合わせて、スモールステップ方式の取り組みを考案。幸いにもこれが功をなし、少年は1年半でマギーさんと話せるように。そのあと6か月で誰とでも話せるようになりました。なによりも、彼が幸せそうになったことが本当に嬉しかったとか。それ以来、学校でもクリニックでも同様の対処法を使うことにしたそう。

この間アメリカでも場面緘黙の研究が進み、1994年に発表されたDSM-IVでは症状名が「場面緘黙(Selective Mutism)」と変更され、「ある場面では継続的に話せない」という記述に。それでも、どこから不安が来るのかはまだ謎でした。

(長いので、次回に続きます)

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湖水地方の夏休み(その7)海辺でピクニック & ケンダル周辺

すでに11月に入ってしまいましたね。イギリスでは冬時間に切りかわって時計を1時間進めたので、4時半をすぎるともう日暮れ。暗くて寒い冬の始まりですが、幸運にも秋晴れの日が続いています。いまだに夏休みの話題ですみません。

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ついに湖水地方のホリデー最後の日。せっかくアイリッシュ海の近くにいるので、北の海を見ておくことにしました。白羽の矢を立てたのは、ホリデーアパートから車で北西に15分ほどのところにある、アーンサイド&シルバーデール(Arnside & Silverdale)の海岸。英国の秀逸な自然美エリア(Area of Natural Beauty in England)指定地区ということで、風光明媚(?)な海岸でのんびりする予定でした。

   

ピクニック用のお弁当を作ってから、ゆっくり出発。途中、丘の上にそびえるアーンサイド城の廃墟に立ち寄ってから、海岸へに向かいました。

  干潮で水が引いた海岸に陸橋がくっきり。お弁当はお握らずとお握り

海を見渡すベンチに陣取ったまでは良かったのですが、いざピクニックを広げたら風が強くて寒っ…。いそいでお弁当を食べ終え、海岸沿いに並ぶお土産店やブティックをぶらぶら。

午後は湖水地方の入口といわれるケンダル地区へ。まずは中世に造られた要塞、シザー城(Sizergh Castle)を見学。現在ナショナルトラストが管理していますが、実は1239年から今日にいたるまで、由緒あるストリックランド家の住居なのです。

経済的な理由も大きいとはいえ、自宅に観光客がどっと押し寄せるなんて落ち着かないだろうなと思いつつ、屋敷内と広~いお庭を散策。池や野菜畑もありました。人手不足で敷地内のカフェがお休みだったので、お茶する場所を求めてケンダルの町中へ。

    イギリス最古の歴史を誇るコーヒー焙煎の老舗。古き良き外観と伝統的なコーヒー&紅茶缶が並ぶカウンター周り

ケンダルには湖がないせいか(?)、観光客はまばら。1819年からコーヒーを焙煎しているという地元の有名店、ファラー(Farrer)に入ることができました。コクのあるラテと温かいチェリーパイが美味しかったです。

ゆっくり寛いだあと、ケンダルの町を散策してから帰路に着きました。それまでアパートに面する運河を探索していなかったので、夕食後に運河に沿ってゆっくりお散歩。ナロウボートを借りて運河の旅をする人も多いのですが、私的にはちょっと…かな。

    運河の向こう側がホリデーアパート。久しぶりに夕日もお目見え

今回のホリデーは天気も思ったほどには悪くなくて(ほとんど毎日雨の予報だった)、まあまあ湖水地方を満喫できたかな…。また、天候の良い時期に再訪して、次は思い切り自然とハイキングを楽しみたいと思います。

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大人の緘黙ー緘黙啓発月の SM H.E.L.P.から 

沈黙  アンティジェ・ボーシン

家ではおしゃべりで、陽気で、声も大きいのに                                           人が大勢いる場所だと、声が小さくなって、引っ込み思案になってしまう                  学校やお店では黙ったまま                                                       この場面緘黙はいつか治るの?

声がでないのは                                                                              わざとじゃないわ                                                                周囲に人がいるとき                                                                          音がでないの

突然、金縛りにあったように                                                                     固まってしまって                                                                               話せない                                                                                               行ける場所がない

見たり、聞いたりすることは簡単なのに                                   質問したり参加したりするのは、とても難しい                                でも、何度でもトライしてみて                                        無駄なことは絶対ないから

寛容でいてくれるだけでいい                                                                                      もしみんながそれを知ってくれたら                                       プレシャーなしに、仲間に入れて、人生の楽しみをわかちあってくれたら                                         成長するのに必要なのはそれだけ!

Silence
by Antje Bothin      https://antjebothin.wordpress.com/

Talkative at home, happy and loud
But quiet and withdrawn in a crowd
Silent at school and in the shop

Does this selective mutism ever stop?

 

It is not a choice
This hiding of the voice
When people are around
There is no sound.

 

Like a sudden freeze
Being in a tight squeeze
Unable to talk
Nowhere to walk.

 

Like a sudden freeze
Being in a tight squeeze
Unable to talk
Nowhere to walk.

 

Observing and listening is easy to do
But asking and joining in is hard to pursue
Keep trying and trying again
Nothing is ever in vain.

 

If  people only knew
That kindness is the thing to do
Inclusion, no pressure and some fun in life
Is all that is needed to thrive!

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 左がアンティジェさん、右は主催者のケリーさん

上記の詩は、先週末に行われたSM H.E.L.Pサミットのスピーカーのひとり、アンティジェ・ボーシンさんが書いたもの。小学校就学時から場面緘黙に苦しみ、1人でこつこつと緘黙を克服してきた女性です。ドイツとイギリスの大学で学び、ビジネスエンジニアリングの学士号、メディアテクノロジー修士号、情報学博士号を取得。現在はフリーランスのライター、詩人、翻訳家、語学教師として活動し、現在初の小説を執筆中だそう。

いまなお場面緘黙と対峙しているというアンティジェさん。柔らかな口調で緘黙だった時代を静かに語り、今悩んでいる人たちにアドバイスをくれました。

どんな風に緘黙を克服してきたか:

最初の記憶は定かではないけれど、小学校に入学した後、クラスメイトとは全く話しませんでした。先生には単語で応えることができたけれど、挙手などは無理。3世代家族の家庭では、おしゃべりで学校とはまるで別人でした。

学校では大人しくてすごく内気な子と思われていました。「変わらなきゃ、もっとしゃべりなさい、手を挙げて」と言われ続けた学生時代…でも、どうやったらできるのか誰も教えてくれませんでした。

当時「場面緘黙」は全く知られておらず、「あなたが変なのよ。あなたが変わらなきゃダメ」というスタンス。

成績は良かったから、進学してもっと勉強したかったのに、「話さないから無理」という教師も。学びたい科目があって、どうしても勉強を続けたいというモチベがあったから、頑張れました(博士課程まで進んだのは社会人になってから)。

「場面緘黙」という症状名に遭遇したのは、20歳のころ。本を読んで知り、自分に当てはまるところが沢山あると感じました。「昔から自分が人と違うと気づいていて、皆と同じようになりたかった。家での自分を外で発揮したかったんです」

場面緘黙という言葉を知り、できれば親しい人に伝えられたらと思いました。でも、その前に自分で克服したいと考えて。

大学では発表やディスカッション、そして友人関係上どうしても話す必要がありました。怖かったけれど常に挑戦して、少しずつ少しずつ慣れていったんです。クラスで発表する時、声が小さいので「もう一度繰り返して」とよく言われました。

1対1なら会話はできたけど、どうしても声が出ない時は紙に書いて渡しました。質問に答えることはできても、自分から話を振ることが難しくて…。ボランティア活動に参加し、毎日自分に課題を与えて、スモールステップを始めました。初日は誰かに「こんにちは」と話しかけ、次の日は2人にという風に。話しかけやすいのは、やっぱりおとなし目の人でしたね。

一番苦手だったのは、グループでの会話やディスカッション。人が大勢いるところで話しているのを聞かれるのが怖い――いつも気がかりでした。1対1なら上手く話せるのに、誰かに聞かれていると思うと緊張してしまうんです。

今緘黙に苦しんでいる人たちへのアドバイス:

本でもビデオでもオンラインでもいい、色々調べてみて。緘黙は自分で克服できると思います。決して諦めないで、モチベを持ってポジティブに。少なくとも状況は良くなると信じてください。

自分の意見を主張できること(Being assertive)が、とても大切です。

私の場合はSNSで支援グループを発見したことも大きかった。自分だけじゃないと知ること、緘黙の体験を共有できることがとても重要だと思います。緘黙仲間同士でのオンラインチャットにも挑戦してみてください。

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治療のガイドは何もなく、支援者もいなかったため、ひとり手さぐりで挑戦しなければならなかったと振り返るアンティジェさん。「これを勉強したい」というモチベがあったからこそ、頑張れたんですね。ひとつでもいい、「これが好き」と言えるものを持つこと、発見することがとても重要なんだと再確認しました。

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湖水地方の夏休み(その6)洞窟探検No2 & アンブルサイドの町

もう10月もあとわずかになってしまいました。今月は場面緘黙啓蒙の月なので、SMiRAでもアメリカのSMH.E.L.P.でもオンライン講習会を開催中。今、ビデオを視聴しながら翻訳している最中なのですが、その前に湖水地方の夏休みの続きです。

旅行6日目の朝、よし雨は降ってない!この日は息子の誕生日で、メインはアンブルサイド(Ambleside)の町の東側にある別の洞窟/採石場跡(Little Langdale/ Cathedral Quarries)に行くことでした。大聖堂(Cathedral)と名がついているからには、ケンダル洞窟よりも大きいはずと期待大。

ネットの情報によると駐車がさらに困難らしい…また早めに出て、リトルラングデール(Little Langdale)の村に向いました。またまたえらい田舎で、村に到達する手前で道脇に車を停められるスペースを発見。もう5台ほど停まっていましたが、「村の中に駐車できるかも」と、淡い期待を抱いていざ村へ。

 

    村というより集落?通り道にパブがポツンと一軒

でも、細い1本道にパブが一軒、その先にあった複数軒の家を通り過ぎると、すでに村はずれ…。仕方なく引き返し、パブでランチの予約と駐車させてもらえないか頼んでみました。が、両方ともダメ。しかたなく、また引き返して道脇の最後のスペースに車を停めたのでした。再度、ぎりぎりセーフ!

洞窟への標識がないので携帯のナビを使おうと思ったら、田舎過ぎて圏外エリア…。仕方なく、まず家の前で工事をしていた人に道を訊ねました。

緑のなかの小路をどんどん進むものの、標識もなくてなんだか不安。途中、すれ違った単独ハイカーに方向を確認、その先の分岐路を過ぎたところでまた迷っていたら、前方にカップルが。洞窟に行くところというので、彼らの後をついていくことに。

  着いたのは採掘坑の入口?携帯の灯をかざしながらイザ中へ

洞窟というよりは採石用のトンネル? ヘッドライトを点けて先へ進むカップルの後を追いました。トンネルは腰をかがめないと歩けない高さで、足元には水があるし、まっ暗でけっこう怖い。10メートルほどのトンネルを潜り抜けて外に出ると、そこには切り立った高い崖が。水が滲み出ている崖下をこわごわ這い降りると、そこが大聖堂洞窟の入口でした。

 

洞窟の手前には巨大な岩の柱があって厳かな雰囲気、めっちゃ感激

洞窟を出たところでナショナルトラストの案内板を発見。どうやら、こっちが入口だったよう(;^_^A この地方では16世紀からスレートや銅の採掘が行われ、家屋の建設が盛んだった19世に全盛期を迎えたとか。スレートは現在でも屋根瓦や壁材に使われています。

驚いたのは、1929年にビアトリクスポターがこの採石場を買い取り、没後ナショナルトラストに寄付したという事実。湖水地方の自然や当時の姿を保護・保存するために、本当に幅広い活動をしていたんですね。

   

帰り道はその起源を17世紀に遡るスレートの石橋、スレーターズブリッジ(Slater’s Bridge 長さ4.6m)へ。先ほどのカップルに再会してまた道を教えてもらい、ちゃんと行き着くことができたのでした。

 

そこから村に戻って、ランチの予約ができなかったパブへ。どんなに混んでいるかと思ったら、私たちが最初のお客でした^^; 私は鹿肉のハンバーガー、息子は定番のフィッシュ&チップス、主人はシーザーサラダでひとまず乾杯。

    

ランチの後はウィンダミア湖の北側に位置するアンブルサンドの町へ移動。まずストックベック河(Stock Beck River)の上に建つ17世紀の家、ブリッジハウス(Bridge House 残念ながら現在非公開)を外から眺め、町の西側の丘にあるストックギルの滝(Stock Grylls Force)まで歩いて登りました。

かつてはこの滝を利用した水車小屋が12軒ほどあり、布の加工や製粉などの産業が栄えていたんだとか。滝があるストックギルの森には滝をぐるりと囲むようにフットパス(歩行者用の小路)が続いていて、家族連れで賑わっていました。

最後にビアトリクスポターの常設展示があるアーミット図書館&博物館(Armitt Library & Museum)へ。ほとんど来館者はおらず、ゆっくり回ることができました。

   精密なキノコの植物画(左)やヴィクトリア時代に出版された絵本を展示。写真右は1930年、ポターと小作人のトムストーリーが羊のコンペで優勝したときのもの。

ポターは自然科学全般に興味を持ち、化石の収集や昆虫採集などもしていたんだとか。中でも真菌学研究に没頭し、キノコの植物画コレクションをこの博物館に寄贈しています。湖水地方の不動産の購入に加え、農場主として伝統農法の保護にも尽力。絶滅の危機にあった地方原産のハードウィック種の羊の保護・飼育も行っていました。絵本作家として世界的に有名ですが、多方面で才能を発揮した逞しい女性だったんだなと感動しました。

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湖水地方の夏休み(その5) 洞窟探検&詩人ワーズワースの足跡を訪ねて

10月ももう半ばを過ぎてしまいましたが、まだ夏休みの旅行の続きです。

夏休み5日目も朝から雨になりそうな曇り空。この日は早めに出発し、ウィンダミア湖とグラスミア湖の間にある小さな湖、ライダル湖(Rydal Water)を目指しました。

目的は湖ではなく、その近くにあるライダル洞窟(Rydal Cave)。かつて建材に使うスレート(湖水地方の石造りの家はこの粘板石を使用)の採石場だった人口洞窟なんですが、早めに出たのは駐車スペースを確保するため。でも、アンブルサイドの町を通る道は一本しかなくて、やっぱり渋滞していました(;^_^A

草地の中の駐車場に車を乗り入れると、20台くらいしか停められない大きさ。樹の横にひとつだけスペースを見つけて停めたんですが、ぎりぎりセーフ!

そこからライダル湖へと続く路を歩き、湖が見えてきたところで山側の小径へ。10分ほどで洞窟の入口にたどり着きました。

 

ライダル湖の南側の丘をハイキング

  入口にはかなりの人。洞窟内には水が溜まっていて、飛び石が敷いてあります

ライダル湖の岸辺を散歩してから駐車場に戻ると、空きスペースを探す車が複数台ウロウロ。見知らぬ親子連れにスペースを譲ったら、ものすごく感謝されました。この辺りからポツポツと雨が降り出し、グラスミア湖(Grasmere Water)の北畔に位置するグラスミア(Grasmere)の町に着いた頃には本降りに。ちなみに、町の大駐車場にはたっぷりスペースがありました(笑)。

グラスミアは英国ロマン派の詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)1770~1850年)ゆかりの地。1799年、まだ無名だった29歳の時に妹ドロシー(Dorothy Wordsworth 1771~1855年)と町はずれにあるダヴコテッジ(Dove Cottage)に居を構え、ここに住んだ9年間で多くの代表作を生み出しています。

実は、15年以上前に一度訪れたことがあり、今回はワーズワースが晩年までを家族と過ごした屋敷、ライダルマウント(Rydal Mount)を訪問すべきか迷いました。でも、私のダヴコテッジの記憶は、ワーズワースの洋服や寝台を見て「当時のイギリス人は随分小柄だったんだな」と感心したことのみ….。それで、やっぱりもう一度見ておきたいと思ったのでした。

まだ12時前だったので、早くテーブルを確保しようと目についた目抜き通りのカフェへ。グラスミアの町を流れるロセイ川に面するテラス席があったのですが、案内されたのは室内のテーブルでした(このグラスミアティーガーデンズは結構有名なことが後から判明)。

 

温かいスープ&パンのランチとアップルパイ(味は普通)を食べてから、雨のなか水仙の庭(Wordsworth Daffodils Garden)やロセイ川沿いの散歩道をそぞろ歩き。それから、ワーズワースと妻が眠る聖オズワルド教会の墓地へ。

 

すると、墓地の入口になにやら長蛇の列が…。ワーズワースのお墓(写真右、左端)を詣るために並んでいるのかと思ったら、有名なジンジャーブレッドを求める行列でした(写真左)。ヴィクトリア時代のお菓子職人、セーラ・ネルソンが1854年に創業したこのお店では、当時のメイド衣装を着たスタッフがホームメイドのお菓子を販売。でも、私は生姜のお菓子があまり好きではないのでパス(;^_^A

次に、予約してあったダヴコテッジのツアーに参加。現在、ダヴコテッジはワーズワースのグラスミア(Wordsworth’s Grasmere)という組織が管理していて、ワーズワース博物館とツアーが込みになっています。

総勢12人くらい(マスク着用)が集まり、ガイドさんの話とビデオを観てから、コテッジ内へ。ダヴ(Dove)とは野生の鳩のことですが、灰色の石造りの家並みが続く通りでこの家だけが白塗。ガイドさんの説明によると、かつてはパブだったそうで遠くからでも目立つように白く塗ったのだとか。

 

かつてはパブだったという白いコテッジ。室内は当時の灯を再現して薄暗い

ワーズワースといえば、「子どもは大人の父(The Child is father of the man)」という節が出てくる『虹(The Rainbow)』が有名でしょうか?湖水地方の自然をこよなく愛し、「人が見出すことのできる最も美しい場所」と称賛した彼は、友人サミュエル・コールリッジと共に、自然を賛美する情熱的・感情的な詩で、英国文学史に新風を巻き起こしました。

 

ワーズワースを語るうえで、忘れてはならないのが妹、ドロシーの存在。自らも日記や詩を綴りながら、生涯結婚することなく献身的に兄を支え続けたのです。彼女の作品は死後出版され、その才能を認めらることになりました。

 

   ワーズワースと妹ドロシーが書き物をした書斎のテーブル。2階のドアから直接庭に出られる

庭はなだらかな斜面になっていて、上まで登ると東屋があり、ワーズワースはここで緑美しい丘や湖、町を眺めながら詩作に耽ったといいます。この日は残念ながら遠くの風景は雨にけぶって見えませんでした。

短大時代にゼミでワーズワースの詩を学んだ際、『水仙(雲になって独り彷徨う)Daffodils(I Wandered Lonely as a Cloud)』を暗記した遠い日の想い出…。イギリスに来て、早春の光の中に群れ咲くラッパ水仙を見て、「ああ、これが黄金のラッパ水仙か!」と感激したのを覚えています。できたら春にグラスミア湖畔に群れ咲く水仙を見てみたいです。

      雨に濡れてひっそり静まり返ったよそ宅の庭

そぼ降る小雨の中、当時の面影を残す町並みをゆっくり散策してから、帰途に着きました。

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10月は場面緘黙の啓発月間です

早いもので今年もすでに3か月を切りましたね。秋も深まってきて、朝夕は暖房を入れるようになりました。イギリスではマスクをしない人が増えてきて、コロナ感染者の数は一向に減らず…。毎日の感染者数は3万~4万人と高いままで、冬に突入したら一体どうなっちゃうんだろうと不安です。

        雨上がりにみかけた二重の虹と玄関のステンドグラスの光

さて、10月は場面緘黙(メンタルヘルス全般)の啓発月間。イギリスのチャリティ支援団体SMiRAでは、オンライン講習会を複数開催中です。

10月2日に行われた第一回目の講習会は、SLT(言語聴覚士)のスザンナ・トンプソンさんによる『場面緘黙の案内(An Introduction to Selective Mutism)』。参加者は保護者、専門家、学校関係者、緘黙経験者など30名ほど。最初に録音された講習ビデオを観て、その後に質疑応答という形式でした。

ビデオを観ている間に質問があればタイプしていき、ビデオが終わった時点でスザンナさんが質問に応答。質問者とのやり取りは少なかったものの、全部の質問にテキパキと答えてくれました。

まだ緘黙歴が短い園児や小学生を対象とした講習会でしたが、その中で興味深かった点をご紹介します。

1) 園や学校での緘黙教育を徹底する

まずは園や学校スタッフ全員に場面緘黙を知ってもらい、子どもに対して誰もが一貫した対応をすることが重要。緘黙児は緊張すると、固まったり、無表情になったり、下を向いたり、視線を避けたりと様々。中には、笑顔に見えたり、ニヤニヤしているように見えたりする子も。緊張と不安に対する反応はそれぞれ違うことを理解し、まず緊張をやわらげることを考える。

緘黙をいち早くキャッチし、すぐに保護者に知らせて支援を始めることが大切。発見が早ければ早いほど、回復も早い。

2) 専門家との関わり

SLTや小児心理士など、専門家が子どもと1対1でセッションを行う必要はない。これは緘黙状態がまだ固定していないため。専門家は主に保護者や学校にアドバイスし、緘黙を理解させ支援の指示をする。まずは子どもを取り囲む環境を変え、「話す」プレッシャーを取り除けば、改善は早い。

専門家がいなくても、周囲の理解と協力があればマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさん共著の『場面緘黙リソーズマニュアル(Selective Mutism Resource Manual)』で充分対応できるとのこと。(学校の別室で保護者やキーワーカーが子どもと週3回、10~15分ほどの『スライディング・イン』法セッションを行うことを奨励)。

3)  子どもに自信をつけさせ、自己評価をあげる

どうせ答えないからと、とばしたりせず常に参加させること。できるだけ時間をあたえ、頷きなどでも応えられたら、言葉がけを忘れずに(褒められるのを嫌がる子も多いので、さりげなく)。

子どもは目立つことや他の子と違うことを嫌がる。保護者と子どもと取り決めをしておき、子どもが一番やりやすい方法(カード、秘密のシグナルなど、性格や年齢によって異なる)でコミュニケーションを取れるようにする。常にスモールステップで進むことが大切。

また、保護者や友達が緘黙児のために代弁するのは良くない(話さなくてもいい状態に慣れてしまうため、緘黙を強化する原因になる)。常に話す/ コミュニケーションを取れる機会を与え続けること。

4)トイレの問題

園や学校でトイレに行けない緘黙児は多い。カードや秘密の合図を使える子どももいるが、全員に有効という訳ではない。まず覚えておきたいのは、緘黙児は自分から行動を起こすのが難しいということ。

一番いいのは、先生がクラス全員にトイレタイムを促したり、二人一組でトイレに行かせたりする方法。みんながやれば不安は下がるし、誰かと一緒だったら行きやすいかもしれない。

それぞれの子どもによって違うので、まず何が不安なのか子どもに確認する必要がある(大人が思ってもみないことを不安に感じている子も)。どうしたら一番楽か子どもと話し合って対策を決めると良い。

スザンナさんは園児から大人まで場面緘黙に苦しむ多くの人たちの治療にあたっていますが、やはり早期発見・介入することが最重要と強調していました。現場に緘黙の知識があれば、専門家が関わらなくても改善は早いのです。学校側の支援体制も問題ですが、保護者も気づいた時点でいち早くアクションを起こすことが大事です。

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