ひとりっ子や第一子の緘黙

ここ2週間ほどで、あっという間に世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあります。ヨーロッパではイタリア北部で感染者数が急増。国境周辺の国々だけでなく、ヨーロッパ各国でイタリアから帰国した人たちの感染が確認されています。

WHO(世界保健機関)がパンデミックへの備えを訴えるなか、今週は世界の株式市場が大暴落…。私たちの暮らしはこれからどうなってしまうのか、世界中に不安が広がっています。政府からイベント自粛や小中校一斉休校の要請が出た日本では、もっともっと深刻で危機感が大きいことでしょう…。

本当に、早く収束してくれることを願ってやみません。どこの国の科学者でもいい、早く特効薬を開発して欲しいです。

 

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緘黙児にはひとりっ子や第一子が多いと言われています。最近になって『Tackling Selective Mutism(日本では2017年に翻訳本『場面緘黙支援の最前線』として出版)』を読み返していたら、第3章にそのエビデンスがありました。

この章は現在イギリスの緘黙支援団体、SMiRAの副会長を務めるヴィクトリア・ロウさんが執筆。彼女が2011年に発表した修士研究論文『Silent Voices』を元に書かれています。この研究は10~18歳の緘黙児30人を対象に、詳細な質問表に解答をしてもらう形で行われたもの。

「第一子、ひとりっ子の発症率は56%」で、「先行研究結果との合致が確認された」とあります。

うちの息子もひとりっ子、かつ早生まれです(イギリスでは学校の新年度が9月から始まるため、6~8月生まれの子どもが早生まれ)。3歳半での公立幼稚園の入園時、4歳半での就学時は、クラスで一番おチビちゃんのひとりでした。

息子が生まれた時に「8月生まれの男の子?ちょっと可哀そう」と複数の人から言われ、当初は「???」。でも、入園・入学の時期になってやっとその意味が解ったのでした。

クラスの中でも身体が小さくて、もっと際立つのはその幼さ。9月生まれの子と比べると、精神面でも、運動面でも、言語面でも、発達の違いが明確だったように思います(4歳10か月で発達テストを受けた際は年齢相応という診断。詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その20)』をご参照ください)。

実際、小学校では「早生まれの子も小2(7歳になる年)の終わり頃までには追い付く」と説明を受けました。これは日本だとちょうど小1に当る年。イギリスでは修学年齢がちょっと早すぎるような気がしますね…。

多くの同級生達と比べ、早生まれで身体も精神も未発達、しかも抑制的な気質を持つ子どもが、園や小学校で集団生活を送る――これが大きな不安を感じる要因になると推測できます。

また、ひとりっ子や第一子は「初めての子」として親の愛情をたっぷり受けて育ったマイペース型の子が多いような…。特に、ひとりっ子だと兄弟姉妹と人間関係で揉まれる体験を積んでいないので、同級生との人間関係に慣れておらず、それも不安になる要因となりそう。

だからといって、ひとりっ子で早生まれ、引込み思案の子が全員緘黙になる訳ではありません。どんな学校・先生・クラスに巡り合うか、運も大きいと思うんですよね…。

(ひとりっ子だからと、入園前から友達と頻繁に遊ばせたり、複数のプレイグループに通ったり、モンテッソーリの託児所に預けたりと努力はしたつもりでしたが、抑制的な気質はなかなか変わるものではなく…)

でも、緘黙になったお陰で息子のことをもっと深く理解できるようになったように思います。困ったら相談してくれるようになったことは、大きなプラスかな。

ところで、イギリスの幼稚園や小学校(幼児部)では、誕生日を迎える子どもの親が学校にケーキやお菓子を持参して、クラスで振舞うことがしばしば。担任が「今日は〇〇君の誕生日だから、お母さんがケーキとお菓子をくださったのよ」という感じで、バースデーソングを歌った後にみんなで分けて食べるのです。

夏休みの真最中、8月中旬生まれの息子は、残念ながら一度も学校で誕生日を祝ってもらったことはありません。友達家族がホリデーに出かけて不在の時期なので、夏休みが始まってすぐ前倒しで誕生会をしていたのが懐かしいです。

バイリンガル緘黙児あるある

2月ももう半ばですね。相変わらず天気が悪い日が続くロンドンですが、鉛色の空の下、梅の花(?)が咲き始めています。

 

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うちの息子は日本人とイギリス人のハーフです。家庭では4歳半まで主に日本語を話していて、幼稚園や家庭外では英語を使っていました(75% 対 25%くらい)。英語は修学したら自然に身につくだろう、と楽観的に考えていたのです。

ちなみに、イギリス人の夫は大学で日本語を専攻したため、少々変ですが日本語が話せます。「息子をバイリンガルにしたいから、あなたは英語で話して」と何度も頼んだのですが、英語だと息子との自然な会話が難しく、ほとんど日本語に。

息子が2歳半のころ日本語をキープするため、日本人が多く住む地区(駐在員も併せて)に引っ越し、3歳の時に日本人児童が多い幼稚園に入れました。そこで日本人の友達ができ、「あー良かった」と一安心したのもつかの間…。

4歳半で小学校に入学した初日、息子が「僕の英語、みんなみたいに上手くない…」とポツリ(この時はまだ場面緘黙を発症していませんでした)。

学校には外国人が多く、クラスには渡英したばかりで全く英語が話せない子が複数人いたにもかかわらず、自信をなくして委縮する息子--「これはイカン」と180度方向転換することに!英語に自信が持てるよう、家庭でも英語中心に変えたのでした。

(この2週間後に息子が場面緘黙を発症(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳』をご参照ください)。学校で話せるようになるために、英語に統一した方がいいと決意を新たにしました。日本語が駄目になってしまっても仕方ない、まずは緘黙を治したいと考えたのです)

すると、夫はさっさと英語に切り替え。主な話し相手が私だったせいか、部分的に私の文法の弱点や日本語なまりの発音を身に着けてしまい、複雑な心境。しばらくすると、日本語の文章に英単語がたくさん混じるように。

そのせいで、小1の時に一緒に遊んでいた日本人男子のグループから、「〇〇の日本語は変!」とからかわれ、息子は「もう絶対に日本語しゃべらない!」と宣言😢 子どもって、本能的に「異質なもの」を鋭く嗅ぎ分け、排除しようとするところがありますよね…。

息子のためにとわざわざ日本人が多い学校を選んだのに、それがかえって仇になってしまいました。トホホ。

でも、場面緘黙になってから、日本語は私との秘密の言葉にもなったのです。私が傍にいれば小声で話せることも多く、周囲の様子をうかがいながら日本語で会話をしていました。周りの人には日本語が解らないので、安心できたよう。

周囲から見ると、自分たちに挨拶や返事をしないのに、母親にだけ外国語でコソコソ話すなんて、印象悪いですよね。当時は場面緘黙があまり一般に知られておらず、「恥ずかしがり屋で…ごめんなさい」と弁明することも少なくありませんでした。

ただ、どうしたいのかその場で息子の意向を確認したり、「じゃあ、ありがとうと言わなくてもいいから、頭だけ下げてごらん」とチャレンジさせたり。その場で言葉がけができて、褒めたり励ましたりもできるので、とっても便利。

子どもによって違うと思いますが、緘黙支援のツールとして利用しない手はないと思います。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その16)校庭で声が出た!

早いものでもう2月。今年は暖冬なので、晴れた日には早春の気配がそこかしこに感じられます。新型肺炎のニュースが毎日世界中を駆け巡っていますが、一刻も早い収束を願わずにはいられません。早くワクチンを開発できます様に!

  

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「囁き声から → 小さくても普通の声」への移行は、なかなか進みませんでした。イギリスの支援団体SMiRAの情報では、「囁き声だと声帯を動かさないため、癖にならないよう長く続けるのは良くない」とのこと。どうしたら普通の声を出せるようになるのか悩んだ時期です。

2006年が明けて2学期に入ってからも、状況はそれほど変わらず。それでも、囁けるクラスメートの数が徐々に増え、家でも切れて怒ることが少なくなり、随分落ち着いてきたように記憶しています。

放課後は同じクラスのB君とS君とのプレイデートを続け、幼稚園時代からの親友T君とも頻繁に遊んでいました。T君家族は2学期が終わったら日本に帰国する予定でしたが、この頃クラスの日本人男子グループも交えて遊ぶように。

放課後の校庭ではT君と一緒なら声を出せていたものの、グループ(4、5人)になるとやはり息子は遠慮がち。彼らの幼い弟妹の方がずっとグループに馴染んでいるように見え、歯がゆい思いをしました。

(ところで、この頃には2~3歳の頃仲良くしてもらっていた日本人の友達も既に帰国。言葉には出しませんでしたが、突然仲良しがいなくなってしまうのは、子ども心にも痛手が大きかったよう)

イギリスの小学校では普段の授業でも小グループ活動が多く、特に幼児部 (Infant School 4〜7歳)では教室に各生徒の机はなく6人掛けのテーブルを並べたレイアウト。これは不安が軽減されて声を出しやすい環境ですね。ちなみに、イギリスの公立小学校って教科書(共同)もノートも筆記用具も学校に置いてあるので、カバンの中身といえば水筒と課題図書くらい…(^^;)

息子の場合は、仲良しのB君と一緒のテーブルに座らせてもらい、安心度アップ。大抵ASD児のZ君と彼のTAも同じテーブルにいて、このTAが息子の支援も担当してくれてました。解らないことがあっても自分から訊けませんが、グループにTAがいれば声をかけてもらえるので、学習面でも大助かり。

初めてクラスメイトの前で普通の声が出せたのは、2学期も終わるころ。春になって陽気が良くなり、校庭で小グループ活動をしていた時でした。指導者は担任ではなく、警察官の彼女の旦那様。みんなで日向ぼっこしながら、警察の仕事に関する話を聞いたり、おしゃべりしたりという授業だったよう。

日の当たる校庭での楽しい時間、人当たりのいい担任のご主人、子どもが憧れる警察官の仕事など、ポジティブな要因が重なった結果でしょうか?息子の場合、担任よりTAや他の大人の方が話しやすい、教室内より校庭の方が気持ちが楽、という条件もありました。知り合いだけど話せない大人より、知らないけれど親しみが持てる人の方がハードルが低かったんでしょう。

別に声を出そうと決意していたわけではなく、ついポロリと普通の声が出てしまったものと思われます。以前も書きましたが、幼少期はまだ緘黙が固定化しておらず、子どもの自意識もそれほど強くないため、この「ついポロリ」が多く、そのために快復も早いのではないかと思います。

(注:先に息子がプレイセラピーを受け、その時初めて教室で大人と話せたこと書きました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!』をご参照ください)。通常、場面緘黙の治療に使われるのはCBT(認知行動療法)で、プレイセラピーではありません。息子はレセプション時代に緘動があり、クラスの活動で支障がでる程だったため、プレイセラピーは不安の軽減のためでした)

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その15)個別指導プランNo.1

今年は世界各国で暖冬のようですね。イギリスでも、今年に入ってから霜や氷は数日見られた程度です。先日久しぶりにハイゲートの森を散歩したら、もう野生のスノードロップが咲いていました。

 

………………………………………………………………………………………………………………………………イギリスの公立小学校では、通常子どもに特別支援の必要性が認められると、その生徒のためにIEP (Individual Education Plan 個別指導プラン)を作成します。息子の学校では、1学期に1回ほどの頻度でSENCo(特別教育支援コーディネーター)と担任、保護者がプランの有効性を評価し合い、次のターゲットを決定していました。

言語療法士や心理士など専門家が関与している場合は、専門家も可能な限りミーティングに参加。息子の場合、レセプションクラスの終わり頃に小児クリニックで発達テストを受け、学校でSLT(言語聴覚士)の指導を受けられることに。そのため、School Action だったIEPの名称が、1年生ではSchool Action +に変わりました。

夏休み後の9月に新学年が始まり、担任やTA、教室が変わるめ、1年生の1学期は前学年のIEPを継続(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その7)1学期の個別指導プラン』をご参照ください)。

そのIEPの効果を評価すべく、2005年11月末にミーティングが行われました。

<2005年6月~10月までのIEP>

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上  ← 達成

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(数字ナシ)← 達成

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回 ← 達成

<備考>

  • この1学期間でかなり進歩があった
  • 学業に関する問題はなくなったが、まだ自信が持てないよう
  • 担任やTAのところに行って、文章で話す(囁くだと思います)ようになった

レセプション時代には緘黙だけでなく緘動もあり、課題に取り組むのが困難でした。それが、ちゃんと授業についていけるようになり、先生や親しい友達に囁くように。急速に改善したのは、教室内での不安が減った結果だと思います。学校の対応も良かったですが、プレイデートでB君と親しくなったことが大きかったかなと。

この頃には担任とTA、一部の友達に囁けるようになっていたため、次のIEPでは更なるステップアップを目指しました。

<2005年12月~3月までのIEP2>

ターゲット1:囁きで声なく、聞こえる声で大人と話す

  • 達成目標:5回
  • リソース&テクニック:パペットや模型を使った遊び、ストーリーを利用
  • 作戦:小グループや1対1で
  • 担任とTAへの提案:目立たない静かな場所で、1対1で少しずつ大きな声が出せるよう促す

ターゲット2:質問に対して長い返答をする/ 答えにもう少し情報を加える

  • 達成目標: 5回
  • リソース&テクニック:例文を示す/ 開かれた質問(Open Ended Question 答えが自由な質問)をする
  • 作戦:個人、小グループ、クラスで答える機会を与える
  • 担任とTAへの提案:1対1で取り組む時間を作る

ミーティングに言語療法士が加わったため、支援がより具体的・専門的になっています。「囁き声」から「聞こえる声」へ、「はい、いいえ」や「ひと言」の短い答えから、「長め」の返答へと、スモールステップで徐々に進めることに。また、「はい、いいえ」で答えられる質問・閉じた質問(Closed Question 答えが一つの質問 )から、 開かれた質問(Open Ended Question)に切り替えて、長い答えを促すよう指示が出ました。

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1月ももう半ばですね。今日はめずらしく朝から日が射して、青空が見える気持ちのいい日となりました。

  

寒の季節に咲く淡いピンクのビバーナムと久々の青空

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さて、息子の緘黙記録の続きです。誕生会やクリスマス会など、同年齢の子ども達が集まる場への参加に頭を悩ませる保護者は多いと思います。

息子の場合(もう10年以上前のことですが(^^;)、インファント時代(幼児部 5~7歳)はクラス全員を招くパーティ形式の誕生会が多かった記憶。自宅の広い庭、パーティ施設があるマクドやボウリグ場などに、35人のクラスメイト+他の友達他が集まるのです。

それがジュニア(中高等部8~11歳)になると、好きな友達だけを呼んで映画を観たり、PCゲームなどをしたりした後、カフェや自宅で食事会というパターンに。仲の良い友達しか呼ばないので、インファント時代にクラス全員を読んでもらえたのは、とてもありがたかったです。

ちなみに、幼稚園までは家庭でのもっと小規模な誕生会が多く、付き添いのママ達もひっくるめてパーティを楽しむという感じでした。

子どもが小学生になると(こちらでは5歳になる年)、多くのママは子どもを会場に送り届けて、自分はさっさと退場します。会場に残る保護者は、急に激減…。

残っているのは、たいてい赤ちゃんがいる人や、我が子を一人にするのが不安な人…。まあ、お手伝いをしたり、子ども達のお世話をしたりするので、主催者に迷惑はかけないんですが。

うちはレセプション時代に苦い経験をしたため(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)夏休みの落とし穴』をご参照ください)、それ以来というもの、息子が「いなくても大丈夫」と言うまで付き添おうと決心。常にぴったり側にいるのではなく、単独で行動できるよう徐々に距離をおくようにしていきました。

とはいえ、他のママ達が子どもを残して次々と去るなか、自分だけ会場に残るのはやはり気が引けるもの。息子は皆と同じようにできないんだ、と悲観的な気持ちにもなりました。でも、また大きく後退してしまったら元も子もありません。

1年生になってからは誕生会にも慣れ、息子はB君にひっついて、あまり私のところに来ることはなかったように記憶しています。

何学期だったか忘れてしまったのですが、あるクラスメイトの自宅の庭で誕生会が行われた時のこと。この時は、私を含め3人のママが会場に残っていたかな。終盤になって、子ども達はめいめい好き勝手に遊び始め、特に活発な男子たちはサッカーに興じていました。

その中に、もうひとりの緘黙児F君がいたのです。私は5、6歳児でもこんなに巧みにボールさばきができるんだ、と感心して眺めていました(ちなみに、息子は運動音痴なところがあり、走るのは早かったのですが、サッカーは苦手)。

すると、F君がふとしたはずみに転んでしまったのです。腕を強く打ったようだったので急いで駆け寄ると、よほど痛かったのでしょう、大きな目から大粒の涙が!「大丈夫?!痛い?」と聞くと、涙を流しながら頷くものの、泣き声はいっさい出さず…。

それを見て、あまりにも不憫で心が痛みました。

しばらくすると涙は止まり、F君はサッカーのグループに戻ることができました。お迎えの際にF君ママに、怪我したかもしれないことを伝えましたが、その後も大丈夫だった様。

緘黙ゆえに、事故にあっても人に伝えることが難しい…近くに友達がいてくれれば代弁してもらえるかもしれませんが、いつもそうとは限りません。不慮の事故や体調不良、困った時に、自分の身体の状態や状況を伝えられなければ、迅速に適切な処置をしてもらえないこともあるでしょう。

中には、怪我をして骨が折れていたのに、病院に行くのが遅れてしまったというケースも。

何かあった時に声が出せないというのは本当に危険なので、SOSのサインが出せるよう自分の子に合った工夫が必要だと思います。転ばぬ先の杖で、作戦を考えておくといいですね。

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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。ロンドンの元旦はどんよりとした曇り空。雨こそ降りませんでしたが、初日の出など拝めるはずもなく、なんだか冴えない2020年の始まり…。何日も太陽を見ない日が続くことが多い中、2日の午後やっと陽光が射したのを皮切りに、3日間午後晴れの日が続きました。

 

  やっと顔を出した太陽も3時半には沈んでしまいます。イギリスでは2日が仕事始めでお正月気分は殆どないんですが、元旦はお雑煮とおせちもどきで

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さて、息子の緘黙記録の続きです。1年生の1学期の終わりに、SENCo(特別支援コーディネーター)から1対1の保護者懇談会のお知らせが届きました。

当時のSENCoの部屋は廊下の一角にあって、入口はカーテンで仕切っただけ…。参加したら目立ちそう…。

懇談会には行きたいけれど、同級生のママ達には息子がSEN(特別支援)リストにのっていることを知られたくない。まあ、仲の良いママ友達にだけは説明していたのですが――当時は場面緘黙が殆ど知られておらず、誤解されたり、偏見を持たれたりしたら嫌だなと思っていたのです。

でも、実際に懇談会参加リストに名前を書き込んでみてビックリ!何とクラスの半数近くの子どもの名前がリストアップされていたのです。

その内容というのが、ASDはもちろんですが、言語の問題(発音、母国語が英語以外で英語を話さない等)から、お山の大将っぽい性格で他の子に譲ることができないといった問題まで千差万別。

大きな問題はもちろん、小さな問題も早期にしっかりチェックしておこうという学校の姿勢を感じました。同時に、「なーんだ」と安心もできたのでした。

(後になって、インファント(幼児部)1年生は、特に注意して子どもを見守っていた時期だということが判明。この後、SENリストにのる子の数は随分減ったようでした)

それから、次の学期だったと思うのですが、小学校教師をしている息子と同じクラスの男子のママと話す機会がありました。

息子と同じクラスにいる長男は、頭がよくスポーツもできて、年齢の割にとてもしっかりした子。対して、2歳下の次男は全くタイプが異なり、何かにつけて遅れている様に思える、というのです。

だから、小学校入学前にSENリストに載せてもらい、子どもの特性や扱い方などを学校側に理解してもらって、息子への注意を促すつもりだと。

「学校側は忙しいから、こっちから言わないとちゃんと配慮してもらえないわ」

そっかー!学校に発見してもらうのではなく、自分から申請するんだ――現役の教師がそう言うのを聞いて、まさに目からウロコが落ちた瞬間でした。

一般的に、イギリスでは黙っていたら問題はないものと思われてしまうことが多いんです。予算にもマンパワーにも限りがある場合、大声で叫んだ人から順に対応してもらえる傾向が強いような…。

息子の学校では丁寧な配慮をしてくれていましたが、問題を起こす子がいれば、先生たちの注目はまずその子にいきます。黙っている子や保護者は後回しにされがち。

特に、緘黙であっても勉強が普通にできる子、全く問題なく行動できる子は、それほど問題視されないかも…。だからこそ、保護者はしっかり自己主張しなければなりませんが、モンスターペアレントとは思われたくないですよね。

日本だと特に、学校側へのアプローチが難しいかもしれません。が、緘黙は長期戦。子どもの緘黙をきちんと理解して対処してもらうため、保護者が学校と上手に関わっていくことは必須ではないかと思います。

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