早いものでもう2月。今年は暖冬なので、晴れた日には早春の気配がそこかしこに感じられます。新型肺炎のニュースが毎日世界中を駆け巡っていますが、一刻も早い収束を願わずにはいられません。早くワクチンを開発できます様に!
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「囁き声から → 小さくても普通の声」への移行は、なかなか進みませんでした。イギリスの支援団体SMiRAの情報では、「囁き声だと声帯を動かさないため、癖にならないよう長く続けるのは良くない」とのこと。どうしたら普通の声を出せるようになるのか悩んだ時期です。
2006年が明けて2学期に入ってからも、状況はそれほど変わらず。それでも、囁けるクラスメートの数が徐々に増え、家でも切れて怒ることが少なくなり、随分落ち着いてきたように記憶しています。
放課後は同じクラスのB君とS君とのプレイデートを続け、幼稚園時代からの親友T君とも頻繁に遊んでいました。T君家族は2学期が終わったら日本に帰国する予定でしたが、この頃クラスの日本人男子グループも交えて遊ぶように。
放課後の校庭ではT君と一緒なら声を出せていたものの、グループ(4、5人)になるとやはり息子は遠慮がち。彼らの幼い弟妹の方がずっとグループに馴染んでいるように見え、歯がゆい思いをしました。
(ところで、この頃には2~3歳の頃仲良くしてもらっていた日本人の友達も既に帰国。言葉には出しませんでしたが、突然仲良しがいなくなってしまうのは、子ども心にも痛手が大きかったよう)
イギリスの小学校では普段の授業でも小グループ活動が多く、特に幼児部 (Infant School 4〜7歳)では教室に各生徒の机はなく6人掛けのテーブルを並べたレイアウト。これは不安が軽減されて声を出しやすい環境ですね。ちなみに、イギリスの公立小学校って教科書(共同)もノートも筆記用具も学校に置いてあるので、カバンの中身といえば水筒と課題図書くらい…(^^;)
息子の場合は、仲良しのB君と一緒のテーブルに座らせてもらい、安心度アップ。大抵ASD児のZ君と彼のTAも同じテーブルにいて、このTAが息子の支援も担当してくれてました。解らないことがあっても自分から訊けませんが、グループにTAがいれば声をかけてもらえるので、学習面でも大助かり。
初めてクラスメイトの前で普通の声が出せたのは、2学期も終わるころ。春になって陽気が良くなり、校庭で小グループ活動をしていた時でした。指導者は担任ではなく、警察官の彼女の旦那様。みんなで日向ぼっこしながら、警察の仕事に関する話を聞いたり、おしゃべりしたりという授業だったよう。
日の当たる校庭での楽しい時間、人当たりのいい担任のご主人、子どもが憧れる警察官の仕事など、ポジティブな要因が重なった結果でしょうか?息子の場合、担任よりTAや他の大人の方が話しやすい、教室内より校庭の方が気持ちが楽、という条件もありました。知り合いだけど話せない大人より、知らないけれど親しみが持てる人の方がハードルが低かったんでしょう。
別に声を出そうと決意していたわけではなく、ついポロリと普通の声が出てしまったものと思われます。以前も書きましたが、幼少期はまだ緘黙が固定化しておらず、子どもの自意識もそれほど強くないため、この「ついポロリ」が多く、そのために快復も早いのではないかと思います。
(注:先に息子がプレイセラピーを受け、その時初めて教室で大人と話せたこと書きました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!』をご参照ください)。通常、場面緘黙の治療に使われるのはCBT(認知行動療法)で、プレイセラピーではありません。息子はレセプション時代に緘動があり、クラスの活動で支障がでる程だったため、プレイセラピーは不安の軽減のためでした)
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