【訃報】SMiRA創設者、アリス・スルーキンさん逝く

2月15日夜、SMiRA創設者で、一昨年前まで代表を務めていたアリス・スルーキンさん(Alice Sluckin)が亡くなりました。99歳でした。

アリスさんは、1992年にリンジー・ウィテントンさん(SMiRAコーディネーター)と支援団体SMiRA(Selective Mutism Information Research Association)を設立。場面緘黙の支援に情熱を注いで来られました。設立当時すでに精神医学ソーシャルワーカーの仕事を退いており、晩年を場面緘黙の子ども、大人、保護者たちの支援に捧げたといっても過言ではありません。

アリスさんと場面緘黙児たちとの出遭いは、緘黙が殆ど知られていなかった60年代に遡ります。夫君(Wladyslaw Sluckin )がレスター大学教授で心理学者という環境の中、心理学の原則を当てはめながら緘黙を研究し、論文を発表。場面緘黙治療のパイオニア的な存在となりました。

アリスさんとSMiRAのお陰で、イギリスではいち早く場面緘黙の支援・治療の方法が一般に浸透していきました。現在でも支援体制が整ったとはいえませんが、SLTのマギー・ジョンソンさん他、多くの専門家が誕生し、学校関係者の知識も豊富になっています。

私自身も、息子が緘黙になり闇の中にいた14年前、アドバイスや温かな激励をいただき、アリスさんには感謝してもしきれません。個人的にも懇意にさせていただき、昨夜リンジーさんから訃報を聞いて以来、心にぽっかり穴があいたように感じています。

2005年にSMiRAとアリスさんとの出遭いがあり、2006年に『場面緘黙ジャーナル』のフォーラムで心理士の角田けいこさんや緘黙児の保護者たちと出遭い、その翌年にK-netが誕生したのです。考えてみると、縁というのは本当に不思議ですね。

       2013年、SMiRA創設21周年記念パーティにて。緘黙経験者でミスイングランドのカースティ・ヘイズルウッドさんと

19歳の時に単独でチェコからイギリスに亡命したアリスさん(詳しくは『プラハの夏休み(その2)』をご参照下さい)。小柄ですがバイタリティーにあふれ、慈愛とユーモアに富む、本当に可愛らしい方でした。

アリスさんとの想い出は尽きませんが、2009年のSMiRAコンファレンスにKnet代表の角田さんと私を招待してくださり、会の後にレスターのご自宅に泊めてくださった時のことが鮮明に心に残っています。

当時89歳だったアリスさんは、すでに夫君を亡くされて一人暮らしでした(息子さん二人は独立)。閑静な住宅地にある家は、書籍だらけ。日当たりのいい居間には、ご家族の写真と鉢植えがたくさんありました。

すでにご高齢だったにもかかわらず、テキパキ動き回って会話も達者。夕食をご馳走になったんですが、アリスさんの食べるスピードの速いこと!食事に集中する姿に驚き、感動し、これが彼女のバイタリティの源なんだな、と思いました。翌日、私たちが作った具沢山のインスタントラーメンを、同じように「美味しいわ」と食べてくださり、また感激。

アリスさんは、2010年にその貢献を称えられ、OBE大英帝国勲章(Order of the British Empire)を受勲しています。受章者はバッキンガム宮殿に赴き、エリザベス女王から直接勲章を授かるのです。が、「衣装は?」「晴れ舞台よ!」と浮かれる周囲の興奮をよそに、アリスさんは何とチャリティショップで中古の洋服を購入。誰かのおさがりを身に着けて、女王様に謁見したのでした。

自然体で飾らない、彼女らしいエピソードなのですが、まだ続きがありました。昨年夏、99歳の誕生会に参加させていただいた時、ご子息が「母らしい」と、額縁ではなくチョコレートの空き箱に張り付けた受章時の記念写真を見せてくれたのです!

2010年代に入ってからは、SMiRAコンファレンスの昼食後、講演中にこっくり居眠りをする姿が頻繁に。今考えれば、90歳代だったので当然なのですが、保護者や専門家たちと歓談し、積極的に会に関わっておられました。

2015年SMiRAコンファレンスにて

2015年にプラハ旅行から帰った後、プラハのシナゴグ(ユダヤ教会堂)でホロコーストの犠牲になった子どもたちの遺品や日記を見た話をしました。「たった一人で亡命して、本当に大変でしたね」と声をかけると、「それはもう昔のことだから」と…。

アウシュビッツの強制収容所で家族全員を亡くしたアリスさんですが、一言も誰も責めようとはしませんでした。現在SMiRAは海外の支援団体と協力し合っていて、その中にはKnetはもちろん、ドイツの支援団体も含まれています。

後ろではなく、前を向いて生きていく――アリスさんの生きる力に尊敬の念を抱かずにはいられません。彼女の情熱が人々を動かし、場面緘黙を一般に広め、支援の輪を広げてきたのです。

2年ほど前、ケアを受けながらまだご自宅で独り暮らしを続けるアリスさんを訪たことがあります。ものすごく喜んでくれて、帰り際に私の手をぎゅっと握ってくださいました。その手の温かさを、今も忘れることができません。その温もりは、アリスさんの人柄そのもののように感じました。

アリスさん、本当にありがとうございました。

本当に温かくて、芯が強くて可愛らしい女性――誰からも愛されたアリスさんのご冥福を、心からお祈りいたします。

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24) 大きく後退!

「大丈夫?」

カチコチに固まっている息子にかけよる私に、知らないママさんからこんな言葉が…。

「何を食べたいのか訊いても、返事しないのよ。他の子も待ってるし、困っちゃったわ」

「すみません…」

(押しの強そうなハキハキした外国人女性で、私自身も少々ビビってしまいました)

彼女の前の大きなテーブルには、料理やサンドイッチ、お菓子類など色々な食べ物や飲み物がいっぱい。子ども達はテーブルまで行って、大人に好きな物を言ってお皿に入れてもらうのです。

多分、T君と一緒に来たのはいいけれど、大人に声をかけられて返事ができず、固まったんだろうな…。

シマッタ~!!!

ずっと息子についててあげれば良かった、と後悔しても後の祭りでした。

……………………………………………… 。…………………………………………………

この一件があってから、息子に変化がありました。

それまではそれ程ではなかったのに、すごく人目を気にするようになったのです。

以前は平気だったのが、「見られてるから」と下記を嫌がるようになりました。

  • バスに乗る
  • 外食する

以前は楽しさの方が勝っていたためか、バスやカフェ・レストランの中では、人目を気にすることなく家族には普通に話せていたのです。突然のことに、「ええ~っ、どうして?!」とビックリしました。

でも、一番驚いたのは祖父母と話せなくなったこと。数か月ぶりに祖父母宅に行ったところ、顔をあわせた途端に息子は私の後ろに隠れたのです…。

『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その22)』に載せたTalking Mapを参照していただくと判るのですが、息子はグラニー(祖母)が大好き。赤ちゃん時代からグラニーには甘えまくりで、頻繁に会って親密な時間を過ごしてきました。それが、グラニーを前に言葉が出なくなるなんて。

その一方で、背が高くがっしりした紳士風のグランダディ(祖父)には、あまり自分から近寄らず、片言で返事をするという感じでした。それでも、全く話さないことはなかったのに…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23) 夏休みの落とし穴!

あっという間に1月も、もう終わりに近づいてきました。この新学期はどの生徒さんも情緒が少し不安定で(休み明け病ですね)、何かと問題が…。先週、近くのスーパーで買い物をしていたら、何年かぶりに息子の小学校(幼児部)時代のSENCo(特別支援コーディネーター)と遭遇。昔話に花が咲き、当時の記憶が蘇ってきました。

さて、久しぶりに息子の緘黙話の続きです。

レセプションクラスが終わる7月上旬には、教室での息子の緘動はかなり和らぎました。担任やTAの温かい見守りの中でなんとか課題や工作ができるようになり、B君とT君のおかげで毎日安心して過ごせていたと思います。

SMiRAの資料によると、緘黙児は長い休みの間に学校環境から遠ざかることで、進歩していた状態が元に戻ってしまう可能性が高いとのこと。抑制的な気質の子どもには新しい環境に慣れにくい特性があり、新学期に教室に戻る際も馴染むのに時間がかかるのです。

新学期からは1年生になって本格的な勉強が始まるし、担任も変わる予定(クラスは持ち上がり)…なんとか夏休み中も学校に行ける機会がないものか…。

そう思っていた時、夏休みのサマークラブのお知らせが!息子の少学校(幼児部)には、放課後子どもを預かってくれるプレイセンター(学童クラブのようなもの)があり、夏休み中にもプレイセンターを開催すると書いてありました。毎日学校の集会場と校庭を使って様々な活動を行い、バスでの小旅行の予定もあると。まさに渡りに船!

息子ひとりでは到底無理なのでT君ママに相談したところ、クラブが終わる8月中旬まで週2日参加させることになりました。ありがたや~!

サマークラブにはレセプション(5歳)から2年生(7歳)までの子どもが参加。知らない子がいっぱいいたのですが、T君のおかげで嫌がらずに通い始めました。前年の夏休みに同じようなサマープレイグループに参加した経験も役立ったかもしれません。

お弁当持参で9時に学校に送り届け、3時にお迎えに行くと、T君と一緒に楽しそうに校庭に出てきました。バスでの小旅行は最初渋っていたものの、ちゃんと行けて、割と楽しめた様子。

サマークラブの他に、B君や昔の友達と遊ぶ計画も立てました。でも、現実はうまくいかないもの…。夏休みは楽しく過ごせそうと思っていた矢先に、また落とし穴にはまったのでした。

それは、幼稚園に同じ日に入園した女の子、Sちゃん(詳しくは『稚園入園-息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)』を参照してください)の誕生会での出来事。T君とSちゃんは同じクラスで、別のクラスの息子も昔のよしみで招待してくれたのです。

(Sちゃんもすごい引っ込み思案で、園に慣れるのに時間がかかった子です。Sちゃんママは、娘の小学校入学と同時に小学校のミールタイムスーパーバイザー(給食の時間に校内や校庭で児童を見張る仕事)として働き始めました。彼女も心配だったんでしょうね。1月に入学した当時は、「入学してからまだクラスで口をきいてないのよ」とも…。

そんなSちゃんでしたが、順調に学校に慣れて、以前よりも活発になった様子。息子もみんなと同じクラスに入れていたら――と当時は思ったものです。ちなみに、Sちゃんは移民3世でした)。

Sちゃん宅は公園の近くの大きな家。ものすごく広い庭にテントを張り、エンターテイナーを呼んでの盛大な誕生会でした。子どもが30人くらい、付き添いやお手伝いで残っているママさんも10人くらいたと記憶しています。

(この頃になると、子どもの誕生会で会場に残る保護者はだんだん減っていきました。みんな送り迎えをするのみで、後はホストにお任せ。みんなどんどん自立してすごいな、とちょっと焦りがありました)。

この日、息子はT君と一緒だったのもあり、エンターテイナーの指示に従ってT君の隣で歌ったり、走ったり。これなら大丈夫だなと一安心しました。

そして、私は「もう少し自立させたいな」と欲を出してしまったのです。困ったら探しに来るだろうとタカをくくり、息子のいる裏庭を離れて、T君ママと家の中へ。

小一時間くらい経った後でしょうか。他のママさん達とお茶を飲みながら、久しぶりにゆっくり雑談していたら、「〇君のママ、来て!」とお呼びが。

急いで行ってみたら、食事やスナックを出している部屋で、息子がカチコチになってつっ立っていたのです…。

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お子さんはたんぽぽ、それとも蘭?

新年、明けましておめでとうございます。こんな辺境のブログを訪れてくれる方々、ありがとうございます。なかなか思うように更新できず、息子の緘黙記も停滞しているのですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

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昨年の暮れ、12月30日のTimes紙日曜版を読んでいたら、教育セクションにあった『あなたのお子さんはたんぽぽ、それとも蘭?』という記事が目にとまりました。

これは、1月24日に出版されるアメリカの児童心理学者、トーマス・ボイス博士(Dr Thomas Boyce)の著書『蘭とたんぽぽ(The Orchid and the Dandelion)』を紹介したもの。ボイス博士は、カリフォルニア大学の小児発達行動医学部長で、カナダの最新医学研究所で小児脳発達プログラムの共同監督も務めています。

彼によれば、子どもの5人にひとりは「蘭」。周囲の環境に鋭敏に反応し、病気になったり挫折しやすい傾向を持つ…ただし、適切に養育されれば最高レベルで成功できる素養を持つとのこと。

対して、それ以外の80-85%の子どもは「たんぽぽ」で、雑草のようなタフな精神と抵抗力を持ち、 どんな家庭や学校環境でも伸びることができるという学説。

あれっ、このパーセンテージ、どこかで聞いたことがある⁉

そうです。場面緘黙になる要因として知られる、行動抑制的な気質に生まれつく子ども10〜15%と、ほぼ重なるのです。この有名な学説は、同じくアメリカの発達心理学者、J ケイガン(J Kalan)博士によるもの。

ケイガン博士の説は『ささいなことで動揺してしまうあなたへ』の著者、エレイン・アーロン氏の著書の中で何度も引用しています。

アーロン女子は『敏感すぎる子どもHighly Sensitive Child(HSC)』の中で、「HSCはありえないストレス下に置かれなければ、精神的に病むことはない。その90%は、ケイガン博士が唱えるように、常に行動抑制的で不安に悩む成人にはならない」と記しています。

が、それに反してボイス博士は、「子どもの15-20%は『蘭』で、『子どもの集団に見られる、すべての身体的および心理的な病気の大部分を経時的に経験する』」と述べているのです。

「『ラン』の子どもは往々に泣き虫で、シャイで過敏であり、周囲の環境に対して脆弱で過敏に反応するため、より共感的な養育・教育が必要となる。適切な支援がなければ、病気になったり、薬物に依存したり、犯罪に手を染めたり、精神を患う傾向が強くなる」とも。

ひょえ~、こんな風に言い切られると怖いです…。ケイガン博士やアーロン女子と比べると、悲観的ですよね…。

でも、ボイス博士の研究のきっかけは、自身の家族なのです。なぜ他の子と同様に成功する能力を持ち合わせた子が病気に屈してしまうのか――転校をきっかけに苦しい日々を送るようになった妹、メアリーを真近で見てきて、興味を持つようになったといいます。

メアリーは、他の子どもなら踏み越えていくだろう困難にぶつかってレールから脱線していき、52歳という年齢で自らの命を絶ったのだそう。

彼は、二人の子ども時代は何ら違うところはなかったと回想しています。1950年代にカリフォルニアの中流家庭に生まれ、両者ともに頭脳明晰。しかし、スタンフォード大学とハーバード大学というアメリカ最高峰の大学2校で学位を取得したものの、内向的だったメアリーは徐々に精神を病み絶望感にさいなまれたといいます。

記事より:

「蘭」の子どもは生まれつき特別に繊細で、この繊細さはソックスの皺を気にするというような身体への刺激に対する過剰反応によって、幼い頃に発見されることもある。

↑ これって、ASD児やSM児によくある感覚過敏のことですよね…。

彼らはストレスに対して顕著な反応を示し、内向的であることや、学校で仲間外れになったり虐められたりすることにより敏感だ。

↑ 同じストレス、虐めや仲間外れでも、「蘭」の子と「たんぽぽ」の子では受け止め方や衝撃度が異なるということ?「蘭」はより傷つきやすく、回復が難しい・時間がかかるということなんだろうと思います。

また、「多くの保護者に『蘭』の子と『たんぽぽ』の子が一人ずつ生まれるだろう」とも。

↑ 実は、彼の子ども二人もこのパターンなんだそう。でも、ボイス博士の妹が「蘭」であったことを考えると、彼の家系には「蘭」のDNAが流れているので、「蘭」の子が生まれる確率が高いように思います。

彼の説によると、人口の1/5は「蘭」に生まれついていることになり、35人のクラスに5~6名は超繊細な「蘭」の子がいることになります。けれど、その子たちが全員辛い人生を送るようになる訳じゃないですよね。

私はシャイで敏感な子どもでも、徐々に鍛えられて強くたくましく生きることができると信じてます。実は、自分も「蘭」の部類だったと思うのですが、時を経て面の皮が随分厚くなってます(^^;)

アーロン女史もいうように、どのように支援しながら養育・教育するかが、将来の鍵となるよう。

私たちも、通常よりも育てにくく、周囲からの配慮が必要な「蘭」の子の保護者。責任重大だなあと改めて思いますが、周囲の環境などはコントロールできない部分が大きいです。保護者も、メゲずに柔軟に対処していけるといいなと思います。

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