息子の緘黙・幼児期5~6歳(その12)誤解されてた!

すでに12月も半ばを過ぎてしまいましたね。天気が悪いせいもあるけれど、朝7時になってもまだどっぷりと暗く、午後4時半前にはもう真っ暗。でも、明日12月22日が今年の冬至で、1年で一番短い日。それから少しずつ日が長くなっていくかと思うと、なんだかホッとします。

大学生になった息子が帰省し、クリスマスの飾りつけも終えました

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1年生の1学期は、教室で囁き始めるなど大きな進歩が見られました。その反面、どうしたら普通の声を出せるようになるのかと、随分気をもんだ時期でもあります。

そして、息子のことを随分誤解されていたんだと思い知らされたエピソードも…。

息子の緘黙状態はちょっと不思議で、学校内であっても放課後の校庭で幼稚園時代の親友T君(日本人)と一緒に遊んでいる時だけは、声が出せていたのです(詳しくは、『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その18)悲しい想い』をご参照ください)。

多分、学校にいることに慣れて緊張や不安が減ったところに、私の顔を見てホッとする。さらに、仲良しのT君と一緒に行動できる楽しみや、「やっと学校が終わった!」という安堵感があったんだと思います。

また、みんなと一緒になって体を動かしている時は、「見られている」という意識が緩むよう。小学校低学年くらいまでは、第三者の目や自分の行動の不合理性をそこまで深く考えられず、だからこそ「ついポロっ」と声が出てしまうんじゃないでしょうか。

イギリスでは小学校の幼児部 (Infant School 4〜7歳)まで、保護者やその代理人が学校の送り迎えをする義務があります。父親もちらほらいますが、放課後のお迎えはだいたい母親かナニーさんの役割。

校舎から出てきた子ども達は、しばらくの間校庭で遊ぶことが多く、その間母親たちは井戸端会議。私とT君ママはおやつを持参することが習慣になっていて、息子とT君はお菓子やサンドイッチを食べながら校庭を走り回っていることが多かったと記憶しています。

1学期も終わりに近いある日、私は同じクラスのママ達とおしゃべりしていました。

どういう訳か、息子とT君は息子のクラスメートが大勢いるところで遊んでいました。すると、何と息子がクラスメートのいる前でT君に向かって大声で叫んだのです!ちょっと離れていた私たちのところまで聞こえてくる位の声でした。

きっと遊びに夢中になってたんでしょう。何と言ったのか、今では覚えていないのですが、3単語位の文章だったと思います

クラスメートのQ君が私たちのところにやってきて、

「〇〇(息子)がしゃべるの、初めて聞いた!」と純粋に興奮した様子でQ君ママに告げました。

すると、後からやってきたクラスでも代表格のE君が、

「でも、アイツ絶対に教室ではしゃべらないよな!」と…。

私は驚いてしまって何も言えませんでした。

そうしたら、そのすぐ後にもっと巨大な爆弾が!!!

そこに居合わせたE君ママが、「〇〇君、ちゃんと話せたんだ!もしかしたら、精薄なのかと思ってたわ!」

えええ~っ?!

その時放たれた “I thought he was retard” という言葉を、私は今でも忘れられません。

”retard’ が精神遅滞/ 薄弱(現在は知的障害)と頭の中で変換され、大ショック!

息子は、そんな風に思われてたんだ…。

「ちっ、違うのよ~。家ではちゃんとしゃべるのよ。えっと、不安のために学校では話せなくて…」

焦って頭の中が真っ白になり、しどろもどろの説明しかできず…(^^;)

(母親の私も未だ緊張しーで、とっさに言葉が出ないことも多いんです。あとになって、「ああ、あの時こう言っていれば」と悔やむことが多くて…)

よく考えてみると、話せないだけでなく緘動で動きも鈍く、レセプション時代は活動についていけてなかったと思うので、そう思われても仕方がなかったのかも…。

それにしても…。

すごい衝撃ではありましたが、その場でストレートに言ってくれて良かった、と後から思いました。イギリス人って、それほど人のことを気にかけないし、あまり噂話とかもしないような気がします。自分がどう思うか、ストレートに意見をいう人が多いかな…。

(ちなみに、息子は翌年からE君の友達グループに入れてもらい、今でも友達関係が続いています。さらに、E君ママは私の悩みを聞いてくれる良き友になりました。人生って本当に判らないものです)

みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

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すでに12月も半ばですね。今年は時間が経つのが加速的に早かったような気がします。先週末、久しぶりに訪れたロンドン中心部のコベントガーデンで、ちょっとメルヘンチックなクリスマスイルミネーションに遭遇。雨降りのさえない天気が続く中、心がほっこりしました。

   

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こうして、学校外で少しずつ話せる人の輪が広がると同時に、学校内でも徐々に囁ける人が増えていきました。1学期の終わりには、TAだけでなく、ついに担任の耳元でも囁くことができるように。

クラスメートについても、仲良しのB君、S君、転入生だけでなく、他の子にも囁けるようになっていったようです。ただ、人目を気にしながら一人の人の耳元に囁くことはできても、クラスの前で声が出せる訳ではありません。

囁き声を続けることが声帯に悪いという見解もあり、どうしたら普通の声を出せるようになるのか、色々気をもんだ時期でもありました。

1学期も中盤を過ぎ、(2005年)11月に入ったころ、SLT(言語療法士)による言語テストが行われました(詳細については、『日本では発達障害と見なされやすい?(その2)』をご参照ください)。

その時のレポートを見ると、

  • SLT(言語療法士)と初めて会ったにもかかわらず、すんなり言語テストに臨めた
  • SLTとは短い間視線を合わせられるが、目を見ない方が応答しやすそうだった
  • 殆どの質問に囁いて答えることができ、何度かはSLTの目を見て答えた
  • 理解力:2~4個の情報を持つ文章を理解できる
  • 話す力:多数の単語を使って長めの文章を構成できるが、時々動詞(is)や冠詞が抜けたり、前置詞を間違えたりすることがあった (注:冠詞と前置詞は私の弱点です(^^;)息子が小学校に入ってから普段の会話を日本語から英語に切り替えたので、多分そのせいもあるかと…)
  • この言語テストは、絵を主体にした比較的解答しやすいもの
  • 緘黙児は「試される」ことを嫌う傾向が強く、それが不安を増す原因となることもあるため、担任や母親と話し合いこの形式に決めた(私はきいてない…)
  • 子どもの言語能力が年齢に見合う範囲内にあるかは、更に詳細なテストが必要

このレポートは、SLTが所属する地区のNHS(国民保健サービス)が発行したものです。そのコピーは私たち保護者だけでなく、学校と発達テストを受けた小児クリニックの担当医にも送付されました。

小児クリニックは1回受診しただけで、「(ASDではないから)もう来なくていい」と言われたのですが、(将来のため?)息子のファイルに追加されたんだと思います。この受診がなかったら、学校にSLTが送られてくることもなかった訳で、ちゃんと繋がってますね。

このことからも、イギリスでは保護者、医療機関、学校のネットワークがあるのが解ります。その中の一つが機能していなかったら、他の二つが指摘して協力を仰ぐことができるようなシステムといえそう。

(といっても、実際は保護者が学校や医療関係に働きかけることが多いのですが…。反面、学校が主導して緘黙支援をしてくれるケースもあります)

それまでの息子の治療・支援の歴史を簡単にまとめると、

  1.  幼稚園    寡黙(ただ、日本人の親友とは人目がないところで普通に会話)
  2.  4歳6か月   滑り台から突き落とされ緘黙・緘動になる
  3.  4歳6か月(事件の1週間後) SENCOと保護者が会い、学校での支援開始(この時点ではまだ場面緘黙とは判明していなかった)
  4.  4歳10か月  小児クリニックで発達テスト(心理士に場面緘黙だと申告)
  5.  4歳11か月半  発達テストのレポートが保護者と学校に書面で届く
  6.  5歳3か月     学校で言語テスト
  7.  5歳9か月     言語テストのレポートが保護者と学校に書面で届く

特に、医療機関の介入に時間がかかってるのが判りますね。息子の学校がインクルージブ教育に力を入れていて、特別支援の体制が整っていたのが幸いでした。

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私は毎週土曜日の朝、2時間ほど散歩することを習慣にしています。今朝、公園の中の道を通ったら、あたり一面が霜で白くなっていました。

一緒に歩いているのは、息子の小学校時代のママ友。息子のためにと、一生懸命頼んで協力してもらっていた彼女たちとは、息子たちがそれぞれの道を行く今も、長いお付き合いが続いています。

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息子が学校で囁くようになったB君は、息子と同じ早生まれ。前年のレセプションクラスには、1学期ではなく2学期から入学しました(4歳)。入学時期が同じのチビちゃん同士だったので、息子と気が合ったのでしょう。

B君ママに事情を話して協力してもらい、レセプション時代から週1回くらい家にB君を招いてプレイデート(詳しくは『プレイデート作戦』をご参照ください)を続けていました。B君ママの仕事の関係で、2年生になるまでB君宅に招かれたことはなかったと記憶しています。

学校から我が家まで10分くらい歩くのですが、息子は学校を後にして他の生徒たちが見えなくなる辺りでボツボツ話し始め、家に戻るとハイテンションになって、うるさい位でした。多分、学校で黙っている反動だったんでしょう。

B君は社交的でひょうきんなところがあり、1年生になると友達をぐんぐん増やしていきました。特に、S君と仲良くなったんですが、そこに息子も加えてくれたのです。ありがたや~!

ある日、学校にお迎えに行くと(イギリスでは小学校2年生(7歳)まで、保護者の送り迎えが義務)、それまで挨拶をする程度だったS君ママが私に近づいてきました。

「B君と一緒に〇〇君も一緒に遊びに来て」というのです。

イギリス人ママ達は子どもの意見を尊重するので、親が気を利かせて息子も招いてくれた訳ではなさそう…(そのへんはすごくシビアです)。S君、息子も一緒に誘ってくれたんです。これは嬉しい!

ただ、B君と一緒であっても初めて行くS君宅。きっと委縮して、全く声が出なくなるだろうと予測されました。そこで、場面緘黙であることを簡単に説明し、図々しくも私が付き添ってもいいかお願いしてみたのです。

S君ママは快く承知してくれ、初日は私も一緒にS君宅へ。お茶をご馳走になりながら、場面緘黙について、息子の性格や扱い方について詳しく説明しました。

その間、子ども達は三人で仲良く遊べていて、息子も声を出すことができたのです。やった!近くに私がいたこと、母親同士が親しそうだったことが、息子に安心感を与えたと思います。

一緒に遊べば遊ぶほど3人での交友関係に慣れてくるはず。この時から、B君を招く際にはS君も誘うことにしました。ちなみに、幼稚園時代の親友T君との交友も、T君が2年生になって帰国するまで、ずっと続きました。

息子に確かめたうえで、S君宅へは次回から付き添いなしにしました。「一緒に遊びたい」という強い気持ちと、「僕だってひとりで行ける」というプライドもあったんでしょう。

S君ママへは「返事をしなくても、無視してる訳じゃないので、気にしないでね。できるだけ普通に話しかけて」とお願いしておきました。

2回目に迎えに行くと、「私に返事したわよ!」と知らされ、その後「うちの主人にも口をきいたわ」と嬉しい報告が!

ママ友たちの協力が本当にありがたかったです。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その9)教室内で囁き始める

 

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その9) 教室内で囁き始める

相変わらず雨模様のイギリス。日照時間がますます短くなって、午後4時過ぎには暗くなるため、夜9時頃まで明るい夏季と比べると、一日が半分くらいに短縮してしまった感じです。イギリスでこうなら、北欧やアイスランドではもっと寒くて暗い時間が多いことでしょう…。

   習慣にしている森の散歩も、湿った地面から冷気があがって凍えそうに…。でもよく見ると、そこかしこに野生の茸がニョキニョキ

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小学校1年生になったばかりの秋は、学校の支援が手厚かったこともあり、大きな進歩が見られました。

息子が学校心理士とのセラピーで、声を出すことができたのが10月に入ったころ。正確な日付は覚えていないのですが、このころから今度はB君の耳元で囁くようになったのです。

B君を1週間に1度くらい家に招いて息子と遊ばせるプレイデートは、レセプション時代から続けていました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その19)B君ママに告白』をご参照ください)。家ではB君と普通にしゃべるだけでなく、B君ママにも懐いて口をきくように。

 夏休みを挟んで5か月ほどプレイデートを続けた成果が、ここに来て出てきたように思います。もちろん、B君とだけでなく、幼稚園時代の日本人の親友、T君とも頻繁に遊ばせていました(T君とは、学校でも放課後の校庭でなら話せていました)。

 緘黙児は学校でずっと黙っているため、ストレスがいっぱい溜まります。だから、家で切れやすくなったり、暴れたりする子も。それ故に、学校外で遊べる同年代の子や兄弟姉妹がいることは、とても重要になってくると思います。

また、いつの間にか1対1の読本の時間にTAにも囁くようになり、教室でもそのTAの耳元に答えを言ったり、用事を伝えるようになりました。

ちょうどその頃、男の子がひとり転入してきたのですが、何とその子には初めから囁いていたのです!かなり後になってから息子に訊いたところ、理由は「転校してきたばかりで、僕が話せないことを知らないから話しやすかった」とのこと…。

まだ小さかったので、思考が単純というか、なんというか。でも、息子なりに、「話さなくちゃ」と思っていたのかもしれません。

その子は何度か家に遊びに来たのですが、ある日お母さんが迎えに来た際、息子のことを「〇〇君は学校では全然しゃべらないんだよ」とポロリ。

お母さんが焦って、「何バカなこと言ってるの!」と叱ろうとするので、「いや、本当なんです。恥ずかしがり屋で…」と咄嗟にフォローしました。

息子の学校は36カ国からの子どもが集まっていて、出身国によってはとても保守的な人もいます。当時は場面緘黙が一般的に全く知られておらず、誤解されて変な目で見られるかもという危惧がありました。

だから、クラスの保護者全員に説明することはせず、理解・協力してくれそうな人だけに話していたのです。息子の場合はまだ幼かったこともあり、息子が話しているビデオを見せたり、緘黙の説明をしたり、とクラス全体に告白することもありませんでした。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!

イギリスでは随分気温が下がってきて、いよいよ初冬に突入しつつあります。先週末は届け物があって、8週間ぶりにサリー州の大学の寮で暮らす息子に会ってきました。風邪もひかずに元気そうにしていて、まずは一安心。

片田舎の大学なためかキャンパス内も緑豊かで、夏はピクニックが楽しめそう

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前の記事でお伝えしたIEPの支援に加え、小学1年生の1学期には学校心理士とのセラピーセッションとSLT(言語療法士)による言語テストも受けることができました。

地区によって異なるのですが、私が住んでいる地区では学校心理士(NHS国民健康保険制度の一環)が公立の学校を順番に回ってくるシステム。ちょうど1学期に息子の学校に来ることになり、SENCoの推薦でセラピーを受けられることに。

人数に制限があるので、それだけ息子の状態が悪かったんでしょう…。この頃は緘動はなくなっていたものの、まだまだ不安が大きくTAの後押しが必要でした。

ある日、偶然学校でSENCoと会ったら、「〇〇君も心理士とセッションできるよう推薦しておいたわ」との報告が。その時は、私も心理士に会って話を聞けるものと思いこんでました。

そうしたら、確か9月末だったと思うのですが、知らないうちにセッションが終わっていたという…。

ある日お迎えに行ったら、担任がニコニコ顔で「今日、心理士とのプレイセラピーで初めて声が出ました」と教えてくれたのです!

「えーっ、本当ですか?!」

「初めて話した大人が私じゃなかったのは悔しいけどね」と担任。

この時初めて、新担任と喜びをシェアすることができました。誰かが一緒になって子どもを応援してくれるというのは、本当に心強いものだなと実感。

詳しい話を聞いてみると、心理士は息子が大好きな電車などの玩具で1時間ほど一緒に遊んでくれたとか。遊んでいるうちに徐々に緊張が解け、楽しくなってきて声が出たよう。

そういえば、息子は昔から優しいお姉さんがお気に入りで、甘えるのが上手でした。学校の先生や関係者ではない知らない女性だったからこそ、声が出たのでしょう。小さな部屋で心理士と二人っきり、というシチュエーションも成功要因だったと思います。

(実は、レセプション(4~5歳)時代にもたった一度だけ、教室で声を出したことがありました。仲良しのB君と一緒にいたところに、担任が来てB君にアルファベットの発音を質問したら、B君が答えに詰まったとか。そうしたら、息子が「S」とひと言。たまたま答えを知っていて、安心できる環境だったため、ついうっかり声が出ちゃったんですね。

この「つい、うっかり」は、まだ自意識が強くない低学年の頃に多く、それをきっかけに話し出す子もいます)

この時の状況を詳しく説明してもらう機会はなかったのですが、緘黙児とのセッションには、下記のようなテクニックを使えると思います。まずは、子どもに安心感を与えることが先決。

<最初は1対1で信頼関係(ラポート)を築く>

  • 他の人が出入りしない部屋(小さい方がベター)に、子どもが好きな玩具などをそろえて
  • 緘黙児は見られることに敏感なので、視線を合わせないように。対座するより同じ側に座る方がベター
  • 楽しい遊びを導入して、緊張をほぐす。子どもが何も言わなくても、子どもの気持ちを代弁しながら遊びを進めていく
  • 慣れてきたら、頷き、指さしやジェスチャーで応えられる質問をする(例 単語をいって絵カードを2枚から選ばせる)
  • はい/いいえの二者選択式の質問、答えが判っている質問をすれば、「知ってる」という安心感から声が出しやすい

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どんよりと曇った日が続く中、ちょっと晴れ間が出たので久しぶりにハイゲートの森の向かい側にあるQueen’s Woodに行ってきました。枯葉の間から色々な茸がニョキニョキ生えていて、冬に向かう森の生態系を感じることができました。

   

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前の記事で「学校の支援が最も手厚かったのが小学校1年生」と書きましたが、それだけ問題児だったということなのかも(^^;)

小学校では7年間ずーっと同じクラスだったためか、男子ママ友(7人のグループ)の団結は強く、今でも年に複数回集まる仲。先日も集まって昔話に花を咲かせていたら、教師をしているひとりが「あのクラス、担任泣かせだったと思う」と…。

それまで、「いいクラスだった」という意見で一致していたので、「どうして?」とみんなビックリ。

「だって、中等部になって落ち着いたけど結構暴れるASD児(Z君)がひとり、学習障害の女の子がひとり、何にも言わない子が二人(F君とうちの息子。最初は緘動もありました…)。途中で摂食障害になった子もいたし。その上、日本からの編入性(駐在員のお子さん)も多かったしね」

およよ…そういわれると、その通りですね。担任の先生方、当時は本当にお世話になりました。

さて、初めて担任が変わったこともあり、1年生の1学期は前年度のIEP(個別指導プラン)を継続。その内容は下記のようなものでした(通常IEPは1学期に1回更新します)。

2005年6月~10月までのIEP(Individual Educational Plan)

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上
  • リソース&テクニック:はい/ いいえ の二者選択のQ&A/ 絵本/ 絵カードなど
  • 作戦: 簡単な答えを誘導するリソースを使用
  • 担任とTAへの提案:どのような形のコミュニケーションも奨励する

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(タイプミスか数字ナシ)
  • リソース&テクニック:好きな玩具、興味のあるもの、ジェスチャー
  • 作戦:話しかけ、なんらかの返事を奨励する
  • 担任とTAへの提案:できたら必ず言葉をかけ、さらに後押しする

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回
  • リソース&テクニック:小グループ活動/ ボールゲーム/ パラシュートゲーム/ 順番にできる活動/ 人形を使ったロールプレイ/ 「話す+聞く」ゲームなど
  • 作戦:SENCoが行う社会的スキル習得のための小グループ活動に毎週参加させる。
  • 担任とTAへの提案: 小グループで「話す+ 聞く」ゲームや順番に行うゲームを行う

このプランの作成時まだ場面緘黙は診断されておらず、SENCo(特別支援教育コーディネーター)と担任が息子の状態を見ながら計画したもの。レセプションクラス時代はまだ専門家が支援に加わっていなかったため、学校内のスタッフだけで支援するSchool Actionというカテゴリーになっています(現在は法律が変わり、IEPを作成しない学校もあるよう)。

一番最初のIEP(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み』をご参照ください)と比べると、徐々にターゲットをステップアップさせていることが判ります。

ところで、イギリスの小学校は校長(公募制)の方針によって校風や校則が随分違います。幸いなことに、息子の学校ではインクルージブ教育に力を入れていました。そのため、ASDを主に様々なSEN(特別支援のニーズ)のある子どもを積極的に受け入れていたのです。

障害の深刻さが認定されると、地区の教育委員会から学校に補助金が下ります(残念ながらSMだけでは無理)。そのため、他校よりTAが多く、設備も支援も整っていたと思います。ASD児が多かったせいで社会性を促すプログラムもあり、息子とF君もその中に加えてもらうことができました。

また、クラスのASD児、Z君に専用のTAがついていたので、Z君のグループに入れてもらい目を配ってもらえました。今考えると、すごくラッキーだったなと思います。

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昨日から11月に入り、今年もあと2か月を切りました。イギリスでは先週末に時計を1時間遅らせ冬時間に突入したため、午後4時半ころになるともう辺りは真っ暗。

久しぶりに森に行ったら、紅葉はもうピークを過ぎていました。落ち葉が地面いっぱいに積もって、歩くとカサカサ音がする季節です。

  

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息子の症状が場面緘黙であることが判明したのが2005年5月、それからは息子のことで無我夢中で周りがよく見えていませんでした。

2005年9月に息子が1年生になり、私もクラスボランティアを始めて少し落ち着いてくると、息子のクラスのことが見えるようになってきました。そして、「あれっ」と気付いたことが…。

どうやら、息子のクラスには、もうひとり緘黙児がいるみたい。

記憶を遡ると、息子がレセプションに入ったばかりの2005年1月後半(緘黙傾向はあったものの、まだ顕著ではなかった)、担任が放った謎の言葉がありました。

「大丈夫、もっと重症の子がいるから」…。(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)』をご参照ください)。

それが何のことかさっぱり解らないうちに、滑り台事件が起こって息子が緘黙・緘動状態に陥ってしまい、何とかしなきゃと必死だった日々。毎晩ネットを徘徊しているうちに「場面緘黙」という言葉に巡り合い、SMiRAに助けを求め、SENCoと担任に資料を渡して、緘黙の支援をお願いすることができたのです。

今考えると、息子への支援が最も手厚かったのが小学校1年生(幼児部4~5歳)の時でした。その理由は、学校の方針と予算によるものだったと思います。

支援の内容は:

  1. TAとの読本セッション(1対1 週1回15分ほど)(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)』をご覧ください)
  2. ソーシャルグループへの参加(小グループ 週1回30分ほど)。ASD児のために社会性を育てる小グループに混ぜてもらい、少人数でゲームなどの活動をする
  3. クラスでの小グループ活動における配慮。学校外で話せる仲良しのB君と同じグループに、TAのいるグループにしてもらう

注:なお、1)と2)の活動は授業中に教室から別の部屋に連れ出して行われます。

新学年からこれらの支援が実施されるようになり、ふと気づけば息子と全く同じ支援を受けている男の子がいる…。それは、レセプションクラスに入ったばかりの時、担任が「もっと重症の子」と評した、同じ幼稚園出身のF君でした。

F君は身長が高く、内気ながら結構スポーツができる子でしたが、両親はともに外国人。息子もそうですが、やはりバイリンガル環境や文化の違いが緘黙の発症に影響していたものと推測されます(学校で使う言葉が母国語ではない場面、緘黙の発症率は通常より高い)

ある日のお迎え時間、F君のママが「あなたの子もTAと読本してるでしょ?」と、声をかけてくれました。短い立ち話で、支援が助かるね~と確認し合ったのです。

数日後、また話す機会があったので、「私はSMiRAの会員になって、緘黙の本や資料を持ってるから貸しましょうか?」と訊いてみたのです。そしたらすごく引かれて、「うちの子は違うから」と拒絶されたのでした…。

どうやら、SENCoは彼女に子どもの症状が緘黙だということを説明してない???ただの恥ずかしがり屋で、時間が経てば治ると言われていたようでした…(F君は早生まれの息子より半年前に入学し、その頃学校もSENCoも緘黙についての知識がない状態だったと思います)。

学校で全く話さず、息子と同じ支援を受けてるんだから、絶対緘黙だよ――そうは思ったものの、押し付ける訳にもいかず…。ちょっと凹みましたが、まあ人それぞれだし、とその後は傍観することにしたのでした。

でも、SMの知識があろうとなかろうと、F君ママも子どもの交友関係を大切にして、よく彼の友達を家に招いていたようです。

それが功をなしたのか、F君は息子より早くクラスで話せるようになりました(^^;) クラスに仲の良い友達がいて、休み時間にサッカーなどの遊びに必ず加わっていたことも、克服の助けになったんじゃないかなと思っています。

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場面緘黙とASD

日本は度重なる台風の影響で、豪雨による甚大な被害が出ているようですね…被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。世界中で今までにないような大災害が多発していて、いつ自分が被災してもおかしくないような状況になってきていると思います。

雨続きのロンドンでは秋がどんどん深まり、店先にはクリスマス飾りやカードが。まだそれほど寒くないけれど、近づいてくる冬の足音がきこるよう。

  

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2013年に『緘黙は発達障害なのか?』という記事を書いた頃、SMiRA掲示板ではASD(自閉症スペクトラム障害)の併存に関する話題は殆どありませんでした。当時は不安、言語やコミュニケーションに関する問題の併存については知られていましたが、ASDや発達障害との関連についてはそれ程着目されてなかったように思います。

それが、SMiRAのFBグループ内では、ここ3年あまりでASDを併存する緘黙児の割合が急増しているのです。

その理由を推測してみると、ASDとSMに対する全体的な知識が深まってきたからのように思えます。

1) 学校関係者や専門家、ASD児の保護者がSMという症状があることに気づいた結果

イギリスでは幼児期における自閉症のスクリーニングが定着していて、就学前(5歳になる前)にはASDの診断がおりていることが多い。以前はSMの症状があっても、その子が持つ自閉症状のうちのひとつ(一定の人や状況へのこだわり/ 他人への興味が薄いため、会話する気持ちの欠如/ 社会的な理解力の問題)と捉えていた。しかし、学校関係者や保護者がSMの知識を持つようになり、ASDの二次障害だと気付くようになった。

2) 子どもの緘黙に気づいた学校関係者、専門家、保護者がASDの併存を疑うケースが増えた結果

最近では、学校関係者や専門家の知識が豊富になったうえ、保護者の側からASDのアセスメントを要求することが増えている。

現在のところ、SMとASD併存率は明らかになっていません。が、2018年に教育心理学者のクレア・キャロルさんがSMiRAのFBグループを対象に行った非公式の調査では(対象者 364名)、SMとASD併存する子どもは、全体の約三分の一(34%)という比率になっていました(詳しくは下記を参照ください)。

もう一つ注目したいのは、最近になってASDと診断される女の子の数が急増していること。自閉症の名付け親、レオ・カナーの1943年の研究によれば、ASDの男女比は4対1。これに対して、2017年のルームズ他の研究だと、3対1の比率になっています。

私が働いている高機能ASD専門の特別支援学校では、これまで女生徒の人数は1割に満たないものでした。それが、今年9月の新学期から女子が急増! 日本語の生徒さんのクラス(15〜16歳)は、女子が3分の1以上に増えていてビックリ。

イギリスのNHS(国民保健サービス)によると、場面緘黙の発症率は140人の子どもにひとり。男女比は女子の方が多く、カナダの団体Anxiety Canadaによると、男女比は1対2となっています。

2018年のクレアさんの調査では、「SM とASDが併存」と診断されたのは、全体の34%(124名)、その中で診断に満足していると答えた98名について、男女比はきれいに1対1に分かれているのです。全体の男女比は公表されていないのですが、とても興味深い結果だと思います。

場面緘黙だからASDというのは決してありませんが、ASD児の中に二次障害として場面緘黙を発症する子が一定数いるのは、間違いないよう。…………………………………………………………………………………………………

2018年度、SMiRAのFBグループで行った調査から(詳しくは『2018年SMiRAコンファレンス(その5)』をご参照ください)

 1) 第一調査:参加者(大半は保護者)364名

SMのみ   66% (240名)  /  SM とASDが併存 34% (124名)

2) 第二調査(1) 対象:「SMのみ」の診断に納得している参加者(162名)

男女比:      男子 23%(37名) :  女子 77%(125名)

3) 第二調査(2)対象:「ASDとSMが併存」の診断に納得している参加者(98名)

男女比:      男子 50%(49名) : 女子 50%(49名)

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5) 学校外でのスモールステップ

イギリスの秋はどんどん深まってきました。今年もあと2か月半で終わりかと思うと、時間が過ぎるのが本当に早いです。

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Cちゃんの誕生会に行ってから、学校外で随分人目を気にするようになり、緘黙が悪化してしまった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

それまでは割と平気だった、学校外での社会的場面――買い物、外食、公共交通機関での移動など――を嫌がるようになりました。周囲をすごく意識するようになったのです。緘黙だけでなく、対人恐怖症というか社会不安も一挙に増大。

学校の支援のお陰で少~しずつ改善しつつあると思えた対人関係も、一気にどん底に…。

う~ん、どうやったら元の基準にまで戻せるものか…。ここでも、やはりスモールステップで場に慣れさせるCBT(認知行動療法)を試みました。

この時に役立ったのが日本でもお馴染みになったIKEAのカフェでした。その利点は、

  • 家から離れていて、知り合いに会う確率が0に近い
  • 大好きなミートボールが食べられる
  • 自分で好きな席を選べる
  • 周囲がガヤガヤしている

最初は嫌がっても、好きなものを食べている時は、食事に集中して周囲の目を気にしなくなりました。回を重ねる毎に、誰も見ていないことを徐々に実感できたよう。

バスや地下鉄にも頻繁に乗るようにしました。その時に息子が安心できるよう注意したのは、

  • 最初は知り合いに会わないよう、ちょっと遠くで練習してから徐々に近所へ
  • あまり混んでいない時間帯に利用
  • バスでは息子が窓側に、私が通路側に座るようにする
  • 声かけ「大丈夫」「怖くないよ」「よくできたね」を忘れずに

スーパーや息子の欲しいものがある玩具屋/文具店での買い物作戦も有効でした。注意点は、

  • まずは学校から離れたお店で
  • 好きなものをひとつ選ばせる
  • 嫌がらなかったら、レジまで持って行かせる
  • 様子を見ながら自分でお金を払わせる
  • 声かけを忘れずに
  • (全部クリアできたら、私の声に合わせて「ありがとう」と言わせてみる)

上記のようなスモールステップで、少しずつ少しずつ恐怖症が治っていったように思います。長い道のりですが、諦めずに根気よく。注意すべきは、緘黙児は間が空くと元に戻ってしまう習性があること。なるべく頻繁に行う必要があります。

私が実践したスモールステップは、息子ができそうなことを選んで、自分で考案したもの。緘黙児はひとりひとり違うので、その子に合うスモールステップを組み立ててください。自分の子を一番良く理解しているのは保護者だと思うので、プロに頼まなくても大丈夫です。

そして、ひとつできたら次はもう少し高めのステップにチャレンジさせます。できなかったら、ステップをもっと細かく修正して再チャレンジ。

常にできそうなステップを準備して、少しずつ自信をつけさせることが重要です。失敗して後退してしまうこともあるかと思いますが、その時はその時。怖がらずに親子でチャレンジしましょう!

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1年生の教室と担任にも慣れてきたかなと思う頃、息子が帰宅するなり「TAの先生が僕を喋らせようとするから、ヤダ!」と訴えてきました。

何の事だろうと聞きだしてみると、息子は読本ができない(教室で声を出せない)ため、別室にてTAと1対1で読本を見てもらっているとのこと(息子ほかにも複数名いて、各15分位ずつ)。そのTAが息子に声を出させようとするので嫌だ、というのです。

あれっ? まずは、話すプレッシャーを無くして、子どもの不安を減少させることが緘黙支援の基本だよね??

前年にSENCo(特別支援コーディネーター)にSMiRAの資料を渡してあり、担任や他のスタッフにも息子が場面緘黙であることは通達されてるはず、と思い込んでいた私。が、どうもそうではないような…。そこで、担任にお願いして、TAとの読本セッションに私も参加させてもらうことにしました。

当日、息子と一緒に読本セッションに行き、TAに「どうして息子が話さないかご存知ですか?」と訊ねてみました。すると、即座に「知りません」と返事が…。

「学校内の連携ができてない~!」とショックを受けましたが、TAはパートタイムだし、担任と話す時間もあまりないのかも…と推測。子どもが本を読めるようにするのが彼女の役割なので、「声を出させるな」という注文は酷かも…。

とりあえず、簡単に場面緘黙の説明をし、話すようプレッシャーをかけないようお願いしました。

それから、その日の読本が始まったのですが、TAは即座に「声を出して読む」のではなく、「指さし」で単語や内容について訊ねるという形に変えました。私が隣にいて安心できていたためか、息子は指さしでTAの質問に答え始めました。

すると、「まあ、ちゃんと解ってたのね!」とTAが感嘆しているではないですか!「グッドボーイ!」と何度も褒められ、息子もまんざらではなさそう――それまで、どれだけできない子と思われてたのか…(-_-;)

何も話さない子に対してTAも接し方が判らなかっただろうし、どうも緊張で身体が動かない緘動状態になっていたのでは、と疑われました。

話せないこと、普通に動けないことで誤解されることって、結構多いかもしれません。誰かが気付いて誤解を解いてくれればいいですが、先生たちも忙しいので、見過ごされてしまうこともあるかも…。

その後、息子は読本セッションに喜んで行くようになり、結果的には担任より先にこのTAに話すことができるようになったのです。

緘黙児に対する接し方については、自然に子どもに寄り添える先生もいれば、努力してるのに子どもが余計に固まってしまう先生もいますよね…。緘黙児は感性が鋭いので、相性が合うかどうかも大きく影響するかもしれません。うちの子もそうでしたが、緘黙児って人に対する好き嫌いが激しいような…。でも、親身になってくれる先生の思いは、絶対に子どもに通じると思います。

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