アイスランドの夏休み(その1)

もうすぐ10月も終わりですね。思いっきり時間が経過してしまいましたが、この夏息子は18歳になりました。イギリスでは成人になる年なので、私たち夫婦の結婚20周年記念を兼ねて、新婚旅行で行ったアイスランドに家族で行ってきました。

1998年当時は旅行先として人気はなく、税関で「新婚旅行です」と言ったら、「何でアイスランドなんかに?!」と驚かれたという…。行くことに決めたのは、アイスランドの歌姫、ビュークのドキュメンタリーに出てきた風景に心を奪われたから。

このビデオの背景にはアイスランドの絶景が散りばめられてます

1日目:レイキャネス半島南西部とレイキャビク

ロンドンからケブラビーク空港まで飛行機で約3時間。空港のレンタカーオフィスで1時間待たされた後(提携していたエージェントのひとつが潰れ、オフィスが大混雑)、なんとか無事にレンタカーを借りることができました。

で、車を見てビックリ。何と、20年前に借りたのと同じ、白い日産マイクラだったのです!違う車を予約しておいたのに…。

首都レイキャビクのゲストハウスは午後2時にならないとチェックイン不可。なので、まずは空港周辺のレイキャネス半島を観光することに。

    アイスランド独特のターフルーフの小屋

バイキングワールド博物館  https://www.vikingworld.is/#home

最初に9世紀のバイキング船、ゴクスタ船のレプリカがあるバイキングワールドへ。入場料の1,500ISK(約1,400円)が高いかなと迷っていると、親切な館員さんが「家族料金でいいよ」とまけてくれました~(^^;

ガラガラの館内を見学して、今回初のお昼ご飯。伝統的な羊肉のスープ、キョットスーパ(Kjötsúpa)1,200ISK(約1,100円)を選びました。さっきの館員さんが、「パンはお代わりしていいからね」と。

 伝統的な羊肉のスープ、キョトスーパ(Kjötsúpa)1,200ISK(約1,100円)。コンソメ風のスープに柔らかく煮こんだラム肉、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツなど野菜がいっぱい。今回の旅行で何度か食べましたが、パンも含めここのが一番安くて美味でした

大陸の割れ目

次はレイキャネス半島の海岸沿いを走る1本道(425号線?)を通って、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの割れ目にかかる架け橋 Bridge of Two Continents へ。

行く道は見渡す限りの溶岩台地

 

架け橋と橋の上から海側を見た風景。右側がユーラシア大陸で左側が北アメリカ大陸?(有料ですが、地元の観光局で「2大陸横断証明書」を出してくれるそうな)

グングヴェル地熱地帯

半島の最南端 Reykjanestá(レイキャネス半島の爪先)に立つ灯台

更に南へ下った半島の最南端近くにあるのがグンヌヴェル地熱地帯(Gunnuhver)。赤っぽい地面のあちこちから蒸気がもうもうと立ち込め、腐った卵のような硫黄臭が。アイスランドの電力は地熱発電が3割、水力発電が7割と、100%再生可能エネルギーなのだそう。

  

地熱開発で、電力だけでなく家庭や企業で使う熱湯や暖房もまかなっているとのこと。だから、お湯の蛇口をひねるとゆで卵の臭い(笑)。シャワーを浴びるのに「臭いが体に移るかも」と心配になりますが、乾けば大丈夫。日本も温泉が多いので、もっと地熱発電を開発できるといいなと思います。

レイキャビクのウォーターフロント

レイキャビクのゲストハウスに腰を落ち着けた後、街の北西にあるオールドハーバーへ。というのも、主人も息子も水泳パンツを忘れたことが判明し、家主さんがスポーツショップがあると教えてくれたから。

オールドハーバーにはカフェやレストラン、ギフトショップがいっぱい

ウォーターフロントを東へ歩いてくと、バイキング船をデザインした彫刻 Solfarがあります。20年ぶりに再会できて大感激。途中、観光客がやってるのか積み石だらけのスポットがありました。

 

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳 (その21)子どもへの言葉がけ

息子の症状が場面緘黙だと判りSMiRAの資料や専門書を読んで、早期発見とサポートが肝心だと解りました。そして、幼少期なら早い回復が望めることも。

本人を安心させるため、世界中に緘黙の子どもがいること、不安のため声がでないことを説明した方がいいというのは理解できました。

が、息子はまだ4歳。できれば本人の自覚がないうちに治してやりたい――という親心(?)が働きました。まだ小さいから、なんだか解らないうちに治っていた状態にできたら…。最初は長期戦といっても、それほど時間はかからないだろうとタカをくくっていたのでした…。

(でも、どんなに幼くても自分の状況をそれなりに把握していて、周囲からの支援を自覚していたと、後で知ることになりました)

当時の息子は、幼いながら「自分はみんなと違っている」「話せないことは悪いこと」と感じているようでした。そのことについては一言もいいませんでしたが、漠然とした不安をひとりで抱え込んでいたのでしょう。

(息子の場合、幼稚園時代から学校での出来事を自分から話すことはめったにありませんでした。ダイレクトに訊かれるのを嫌がるので、園や学校の情報は友達やママ友や経由がほとんど。ですが、少し時間が経ってから、ふと詳しく話し始めるという…。私がすぐ理解できないと息子はご機嫌斜めに――どうも、母親の私は、自分のことや気持を全て把握していると思い込んでいたようです)

私が実行したのは、「緘黙」の代わりに「怖い」という言葉を使い、恥ずかしがり屋で内弁慶だった自分の経験を話して、息子を安心させることでした。当初は、意識して「学校でしゃべれない」「声が出ない」といった言葉を避けました。

(詳しくは『告知するかしないか(その2)』をご参照ください)。

誰でも直接自分の痛いところをつかれるのは嫌なもの。拒否反応を示す子も多いかもしれません。だけど、第三者のことなら「人ごと」なので安心して聞けます。絵本や人形などを使って説明するのも効果的だと思います。

息子はひとりっ子なので、二人だけの時間を作るのはそれほど難しくありませんでした。でも、帰宅してすぐは学校でのストレスもあるのでNG。おやつを食べて好きな玩具で遊んで――寛いでるなと感じた時がチャンスだったかな。子どものが落ち着いている時に、さりげなく話すのがいいと思います。

向き合って目を合わせるよりも、膝の上に抱っこして体温が伝わるような感じで。就寝前に本の読み聞かせをする時も、横に並ぶので親密な感じで話せました。

まずは、私が息子の味方だということを肌で感じてほしかった。その後に、B君や担任の良いところにも触れ、学校が楽しい場所であるというイメージ作りも。

「マミーが小学校にあがった時、学校は大きいし人はいっぱいいるし、毎日怖かったよ。でも、少しずつ慣れてくるからね」

「マミーは何をしていいのか判らなくて、いつもA子ちゃんに教えてもらってたなぁ。〇〇はT君と違うクラスだから大変だね。本当に頑張ってるね」

「〇〇の教室には玩具がいっぱいあって、庭がついてて良いね。日本では、クラスに専用の庭がある学校なんかないよ」

上記のような感じで、言葉がけをしました。自分も体験したことなので「学校が怖い」「恥ずかしい」という気持ちは、痛いほど解りました。

私が話している間、息子は何もいいませんでした。が、私も幼い頃自分と同じように恥ずかしがり屋で内弁慶だったと知り、安心した様子。世界中に同じような子どもがいること、親戚にもとてもシャイな人がいることなども話しました。

すると、「どうして僕だけそうなの?」「ズルイ」と…。

以前も書きましたが、私の両親と兄は社交的で、何故か私だけがこの気質。でも、抑制気質の叔父と従弟がいて、実は兄の子どものひとりも小さい頃はめっちゃ大人しかったんです(中学頃から活発になり、現在は人前に立つ仕事をしているから不思議なものですね)。

小さい頃の私に輪をかけて繊細・自意識過剰だった(今も継続中?)息子――抑制的な気質が自分よりさらに悪化して遺伝してしまい、ものすごく申し訳なく感じているのです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その20)

息子の緘黙・幼児期4~5歳 (その20)発達テスト

スクールナース(学校看護師)に相談し、待つこと3か月。やっと小児クリニックでの診察の順番が廻ってきました。息子が4歳10か月、緘黙になってから約3か月半後のことです。

相談した時はまだ場面緘黙のことを知らず、アスペルガーを疑っての受診申し込みでした。当日は主人にも付き添ってもらい、親子3人で隣町にある小児クリニックへ。

二人の心理士に迎えられ、私がひとりの心理士と話している間、息子は主人と一緒に別の部屋で発達テストを受けました。なので、息子がどんなテストを受けたのか、あまり定かではありません。

主人によると一言も話さなかったそうですが、絵カードの質問に指差しで答えたそう。運動テストは廊下と階段で行っていたので、たまたま最後の部分を見ることができました。

心理士との問診では、息子の成育歴やそれまでの対人関係、学校と家庭での様子などを詳しく訊かれました。また、私達が気になっていることにも耳を傾けてくれました。

長い問診が終わって廊下に出ると、ちょうど発達テストで息子が階段を上り下りしている最中。「次は、ジャンプしてみようか」と促す心理士に、息子は尻込み。が、主人がジャンプしてみせて何度か促すと、へっぴり腰ながらなんとかジャンプできました(主人に来てもらって大正解)。

その後少し待たされて、二人の心理士から問診と発達テストの結果を聞くことに。

  • 発達は年齢の4歳10ヶ月にきっかり見合うもので、早くはないが遅れもない
  • 父親とコミュニケーションが取れており、対応も年相応
  • アスペルガー(ASD)ではない
  • しかし、極端にシャイなため、学校での見守りが必要

その結果にホッとしたものの、最後に「今後はクリニックに通う必要はありません」と…。

えっ、そんなぁ!

学校にも発達テストの結果のコピーを通知するとのことでしたが--場面緘黙の治療は?SLT(言語療法士)は?

焦った私は、恐る恐る「あのう、息子の学校で話せない状態は、場面緘黙ではないでしょうか?」と訊ねてみました。

すると、心理士のひとりが「ああ、そうですね」と…。

思わず前のめりになって、「あの、場面緘黙の支援団体SMiRAによると、緘黙の治療を担当するのは大体SLTだそうです。どうかSLTを紹介してください!お願いします!!」 と懇願してしまいました。

今考えるとすごく図々しい….母は強しですね。

(イギリスでは「言ったもの勝ち」みたいなところが多々あって、黙っていると「この人は現状で満足している」と見なされがち。反対に、相手の状況や気持ちを慮って本人に聞かずに何かをすると、「要らぬお節介」となることも…)

そんな訳で、小児クリニックで場面緘黙を自己申告して、なんとかSLTを紹介してもらえることになりました。が、いつ・どこで会わせてもらえるかはこの時点では不明。(なにせ無料のNHS国民健康保険なので、何ごとにも時間がかかるのです)

この発達テストの結果は1か月後くらいに届いたのですが、心理士のレポートにはSelective Mutism(場面緘黙)の文字は見当たらず!

自己申告だったから?自閉症の診察だったから???

でも、「コミュニケーションを促すために、SLTを紹介する」と記してあり、やっと本格的な治療をしてもらえる、と期待に胸が膨らんだのでした。この時は、SMiRAの情報により、SLTが自宅を訪問してくれるんだろうなと思い込んでました。

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