イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

2) イギリスの教育システムと学習形態

かつてはイギリスでも日本と同じようなシステム・学習形態だったそうですが、現在ではクラス全員が同じスピードで同じことを学習すべき、という概念はないようです。大まかなガイドラインはあるものの、子どもの成長速度や能力はそれぞれ違うので、ガイドライン内でその子のレベルに合う学習を、という方針のよう。

ジュニアになると主要科目(算数と国語)は、能力別のグループに分かれて学習することが多いようです。といっても、各グループで全く別々のことをやっている訳ではなく、新しい項目を導入する際は、ホワイトボードを使って全員に説明し、それぞれのグループに難易度の違う課題をさせるという感じです。

例えば、算数の掛け算で、2と5の段のみの問題をやっているグループもあれば、1~5段までの問題をやってるグループも、全部を含めた問題をやってるグループもある、といった具合に。読本はグループ別に難易度が異なる本を読み、同じ課題をさせたり。

たいていの場合、一番下のグループにはTAがついて支援。その一方で、飛びぬけて上の子ども(グループ)はギフテッド(gifted)と呼ばれ、特別に英才教育の支援をすることも。真ん中にいるその他大勢の子どもたちは、普通に進めるので支援は殆どありません。

日本人の感覚からいうと、一定の子ばかりが支援されるようで不公平に思えるかもしれませんが、別に保護者への説明もないのです。ちなみに、私がこういうシステムなんだなと気づいたのは、随分後になってからでした(笑)。

それから、驚くことに自分の教科書がない!(私立校はちゃんとあるらしいです)日によって、学校においてある古い教科書を使ったり、プリントを使ったり…。科目別に学科のノートがあるんですが、それも自宅に持ち帰ることはできません。だから、カバンの中には教科書もノートも入ってないんです。

また、日本と比べると宿題が少ない!学校にもよりますが、息子の小学校では金曜日にまとめて宿題が出て、火曜日に提出するという方式でした(これは働いている保護者が週末に監督できるように)。そして、宿題も能力別なんですよね~。

困ってしまうのは、教科書がないので予習・復習ができないこと。そして、子どもが今何を勉強してるのか、さっぱり解らないことです。読本は家に持ち帰りますが、国語の授業で何をやってるのかは謎…。テストしても学期末にしか返ってこなかったり。

で、子どもは家でどんな勉強をしてるかというと、書店で参考書やドリルを買って保護者の方針でめいめい勝手にやってる感じです。熱心な親は早くから家庭教師をつけて、どんどん先のレベルへ。塾というのはないんですが、大体どこの町にも公文があります。やらない子はそのまま、やってる子はものすごく進むので、その差は歴然!

成績表はクラスや学校で何番とかではなく、文部省で定められた学年の水準と比較してどのレベルにいるか、という相対的なものなんです。最初のうちは何がなんだか訳が判らず、実は今も完全には理解できていないという(笑)…。

不思議なことに、同じ公立小学校でも校長の方針によって平均成績に格差があり、評判のいい学校とそうでない学校の差が激しかったりします。学区制なので、子どもがまだ小さいうちに、お目当ての学校の近くに引っ越す人も多いです。

子どもにとってみると、こういったシステムは精神的に楽なんじゃないでしょうか?特に、学習面で困難のある子にとって、皆と同じスピードで同じ様に学習することは大変なストレスになります。周りの目や態度を気になるでしょうし、自己評価も下がってしまう…メンタル面でかなりの負担になると思うのです。グループ学習の場合、できなくてもそれ程目立たないし、クラス中から注目が集まることもありません。

次回はクラス運営や特別支援などのシステムについて説明したいと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

イギリスの小学校と日本の小学校の違い

1) 学校や教室の雰囲気

イギリスの小学校(5~11歳)に行ってみて、まず思うのは規模が小さいこと。都会でも1学年に1クラスのみ(30人)のところがあり、3クラスあると「大きい学校」とみなされます。平均は2クラスくらいでしょうか。小学校(Primary School)はインファント(5~7歳)と呼ばれる幼児部とジュニア(8~11歳)に分かれていて、同じ学校内に両方あるところもあれば、全く別々の学校として独立していることもあります。

息子の小学校は1学年3クラスでしたが、担任はもちろん、殆どの先生と学校職員が全校生徒だけでなく、母親の顔と名前も知ってることに驚きました。インファントのうちは子どものお迎えが義務なので、自然と親の顔を覚えるのかもしれませんが…。そのせいか先生と話しやすく、日本より親しみやすい感じです。

そして、校内・教室内がとってもカラフルで、日本よりずっとカジュアルな雰囲気なんです。生徒が作った壁画、図工の作品、写真などがそこら中に飾られ、学習用具や図書コーナーはラベルや絵つき。大きな行事があると、学校中を飾りつけたりします。

話がそれますが、息子の学年がエジプト文明のワークショップをした際、手伝いにいってビックリ。担任たち全員が「コスプレですか!?」みたいな出で立ち(笑)!お隣のクラスの男性教師が、長い黒髪のカツラ+オレンジ色の衣装+化粧で美女に変身していて、生徒にも大うけ。先生方のハッスルぶりも半端ないです。

教室を見回して一番違うな~と思うのは、机がグループ毎に固めてあること。インファントでは、自分の机というのはなくて、テーブルを囲んで座ることが多いようです。学校によって違うと思うのですが、私の経験では概ねそうでした。

出入口は前方にひとつ。前方の壁にはPCと直結したホワイトボードがあり、ホワイトボードを使う際は、子どもたちを床に座らせることも多いようです。

イギリスの小学校の画像を見つけたので貼り付けますね。幼稚園みたいな玩具のある教室は、レセプションクラス(1年生の前の学年)のものです。

イギリスでは、グループで学習しているところに、先生がまわってくることも多く、授業中も割とガヤガヤしてます。日本よりも寛容な感じがするというか、何か失敗してもそれほど気にならない雰囲気があるような気がします。

次回は教育システムについて説明します。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

さて、ここからやっと本題に入ります。

私は日本の学校に比べ、イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい(=二次障害としての緘黙を発症しにくい)のではないかと考えています。なお、ここで言うASD児の中には、ASD系の発達凸凹のある子どもたちも含めています。

マギージョンソンさんが「複合的な場面緘黙」のカテゴリーにASDとの併存症を含めていること、またDSM-IVで触れていることからも、ASD(及び広汎性発達障害)の二次障害として場面緘黙が発症するケースがあることは周知の通りです。

場面緘黙とは?(その2)

場面緘黙とは?(その3)

でも、二次障害としての場面緘黙がどの程度の割合で発症しているのか、その発症率は環境や文化の違いによって異なるのか、というような研究は殆どなされていません。

二次障害については、「子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないため、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの」と定義されています。また、軽度の発達障害を持つ子どもは、他の軽度発達障害の合併や二次障害を併存することが多いといわれています。

私は2年ほど前からSENTA(特別支援助手)専門のエージェントに登録しています。仕事はASDなどの発達障害児を中心とした、学習に困難のある子どもの支援が中心です。希望としては場面緘黙の子どもを支援したいのですが、緘黙だけで地区の行政局から学校に支援金がおりることは稀で、学校には緘黙児のためにSENTA(日本でいう加配)を雇う予算がないというのが現状です。

エージェントの仕事はフルタイムが殆どだし、イギリスで教育を受けた訳でもなく、英語にもハンデがあり、経験も不足してる私…。今まで受けた仕事は、小学校での短期TA勤務と家庭教師的なものばかり。ASD児の支援の仕事を何度か打診されたのですが、時間などの都合と自信がないのとで、お断りしてました。

経験を積むため、昨年9月から小規模なASD児専門の私立校(8~17歳)で、週に1回研修をさせてもらっています。一昨年前の夏には、息子が通っていた公立小学校のレセプションクラス(5歳児)と小4のクラスで1学期間お手伝いさせてもらいました。

専門校に在籍する30人のアスペっ子のうち緘黙症状がある子はゼロ。息子の出身校は全校生徒約700人中10人程度のASD児がいるということでしたが、緘黙を併存している子はここでもゼロ。配属されたクラスに回復中のハーフの緘黙児がいたんですが、ASDではありませんでした。

また、エージェントを通じて、移民の多い地区の小学校で2人のASD男児のサポートと小3クラスのTAを担当しましたが、2人とも緘黙傾向はありませんでした。

今までSMIRAの保護者会や緘黙のワークショップに参加したり、イギリスの学校で働いてみて、環境に適応できないために二次障害を起こすASD児が少ないのでは、という感想を持った次第です。

ちなみに、SMIRAの会員にはASD児が殆どいない印象ですが、ASDと緘黙を併発している子どもがいることは確かです。それは、SENTAのエージェントが主催する『発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)』の短期コースを受講した際に実感しました。受講者はフルタイムで働いている35名ほどのTAで、うち70%程度がASD児専門ユニットやASD児を含む支援をしていました。緘黙児がいるかどうか訊いてみたところ、2名から「いる」という答えが。両方ともASD児でASDの症状が重いため、緘黙はそれほど問題になってない様子でした(SMIRAの資料を渡しましたが、反応が薄かったです)。

偶然にも、コース受講中に懇意になったTAの中に、「息子(14歳)は現在の担任になってから話さなくなった」というASD児の母親がいたのですが、彼女は「学校が息子を理解してくれない。環境が悪い」と嘆いていました。子どもの性格や気質が第一の要因だと思いますが、ASD児が学校の環境に適応できるかどうかも大きな要因だと思います。

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発達凸凹という考え方

杉山登志郎氏著の『発達障害のいま(講談社現代新書 2011年)』を読み、発達凸凹という考え方を知って、目からウロコの思いでした。

「自閉症スペクトラム」という概念では、健常人からカナータイプの典型的な自閉症の人まで、人類全員がそのスペクトラム(連続体)の中に含まれます。連続体なので各カテゴリーの境界線は曖昧で、さらに他にも様々な濃淡を持つ要素が複雑に絡み合っているものと思われます。

杉山氏の解釈では、《一般人 - 発達凸凹 - 自閉症スペクトラム障害 - 自閉症》という順番で、下記のような三角形の中に、一般人のグループを左端、自閉症のグループを右端にして入れています(この説明では解りにくいかな…。直角三角形の画像を探したんだけど、直角マークが入ってるのしかなかった…)。 triangle

認知に高い峰と低い谷の両者を持つグループを発達凸凹とし、その中で適応障害があるグループを自閉症スペクトラム障害としています。典型的な自閉症ではなく、知的障害のない、より軽度の、しかし社会的な問題を多発させている人たちの中で、適応障害がない状態(=困っていない状態)が発達凸凹という説明。

この図は自閉症スペクトラム障害についてですが、LDやADHD、言語障害、協調運動障害など、それ以外の障害に関しても、凸凹といえる状態の子ども達がいるのではないか?場面緘黙は社会不安がベースになっていると言われていますが、社会不安や脅迫感が強すぎるのも、ある意味で発達の凸凹ではないかな?と勝手に考えています。

自閉症スペクトラムだけでなく、他の発達の凸凹を持つ子ども達も、社会的に適応できていれば個性や苦手の範囲にとどまるケースや、二次障害を発症せずにすむケースが多くなるのでは?と考えたんですが….どうでしょう?適応できるかどうかは、子どものニーズに合う対応と、子どもが置かれている家庭や学校の環境要因に大きく左右されそうです。つまり、小さい頃から凸凹に優しい環境や周りの理解・サポートがあれば、社会に適応しやすくなるということ。(これがイギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくいのでは、という私の考えの根拠になってます)。

私が学生だった頃は、「自閉症」、「ADHD」、「学習障害」などという言葉は聞いたことがありませんでした。カナーが自閉症を発見したのが1944年頃、「Developmental Disorder (発達障害)」という言葉がDSM-III-Rに初登場したのが1987年と考えると、「発達障害」という概念自体がまだ比較的新しく、これからもっと研究が進みそうですね。

『ドラえもん』じゃないですが、クラスメートの中には個性の強い子が複数人いたような気がします。いつもオチャラケてて先生に注意されてる子とか、算数は得意なのに国語は全然できない子とか。今思えば、もしかしたらADHDやLDの傾向があったのかもしれません。でも、それが彼らの個性で、それほど問題になることなくクラスに溶け込んでいました。かくいう私も、低学年の頃は先生から見ると「極端におとなしい子」だったと思います。

小学校の頃は地区の「子ども会」があり、行事などで集団で活動することが多かったし、低学年の頃は近所の子どもが集まって一緒に遊んでいました。学校とはまた別の子ども社会があったのです。地域コミュニティの繋がりが濃く、大人と関わる機会も今の子ども達よりずっと多かったし、親戚関係ももっと濃厚でした(しがらみが強くて面倒な部分も多々あったんですが….)。

当時の社会的な環境が子どもの社会性を育て、発達に凸凹のある子が適応障害になるのを防いでいた部分が大きいかもしれません。一緒に遊んでいるうちに仲間意識が育ち、それぞれの個性を受け入れ、自然と小さい子や困った子の面倒を見るようになります。それが学校での生活にも繋がっていました。

『発達障害のいま』の中で、「発達障害が増えている」ことを取り上げていますが、こういった社会の移り変わりもその原因のひとつなんだろうなと思います。

追伸: 時差ぼけやら何やらでぼーっとしている内に、あっという間に1月も半ばになってしまいました~。これからもう少し頻繁に更新しようと思ってますので、よろしくお付き合いください。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その2)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その2)

やっとのことで、イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その1)の続きです。

杉山氏の意見について、私なりに考えてみました。

1) 緘黙はASD(自閉症スペクトラム障害)ではないと考えられてきたため、国際的な診断基準にもそのための除外診断の記載があるが、最近になって重症の緘黙児には高頻度にASDの子どもがいることが明確になってきた

DSM-IVでは、ASDと場面緘黙が併存している場合、場面緘黙はASD(広汎性発達障害)の二次障害と見なします。そのため、一次障害としての(独立した?)緘黙からは除外しています。

・E コミュニケーション障害(例えば、吃音)が原因ではなく、また、広汎性発達障害、総合失調症やその他の精神病性障害の経過中にのみ起こるものは含めない。(詳しくは場面緘黙とは?(その2)を参照してください)。

上記の文面から判断すると、杉山氏は一次障害と二次障害の区別はしておらず、「重症の緘黙児は、ASD児である頻度が高い」という事実から、場面緘黙=ASD、という可能性を示唆しているように思えます。

2) 軽症の緘黙児は不安感が強いとか、家族の中で見えない対立があるなどの家庭環境の要因がみられる。しかし、コミュニケーション全体に遅れを認める難治性の緘黙児は、殆ど実はASDの併存症として生じている

ここでは、コミュニケーション全体に遅れがある難治性の場面緘黙=自閉症スペクトラムの併存症、としています。別の視点で捉えると、ASD児が二次障害として場面緘黙を発症した場合、治りが悪いと言えるのではないでしょうか?とすると、マギージョンソンさんの下記の説に通じる部分があるのではないかなと思います(詳しくは場面緘黙とは?(その3)と(その4)を参照してください)。

純粋な緘黙の場合は、緘黙に対する取り組みだけでいいが、その他の場合(ASDがある場合は、4の複合的な場面緘黙に当ります)はそれぞれ併存している問題への対処が必要になる。純粋な緘黙に比べ、回復はゆっくりになる傾向が強い。

ただし、難治性の緘黙児は全員ASDを併発しているとは言い切れないのではないでしょうか?が、場面緘黙だけでなく、何らかの問題・障害が併存している可能性は高いのではと思います。

また、軽症の緘黙児について 「不安感が強い」、「家庭環境の要因がみられる」とありますが、不安感の強さは症状の強弱に関係なく、緘黙の子供にも大人にも共通していると思います。ちなみに、ASD児も不安感は非常に強いことで知られていますよね?また、「家庭環境の要因がみられる」というのは古い定説で、正しくないと思います。

追記:マーキュリー2世さんにコメントをいただき、「家庭環境の要因」については不透明だなと考え直しました。ただ、「親の育て方のせいで緘黙になるのではない」と思っていますし、「見えない対立」というような家庭環境が要因になっていることは稀なのではないかなと思います。

3) このグループは思春期に転帰が分かれ、外でコミュニケーションが取れる子と、取れないままの子に2分される。

これに関しては、調査や研究を読んでいないので何ともいえません。

4) ASDの併存症としての緘黙症に対しては積極的な治療、つまり入院治療を行うと成果があがる。入院して家族と離れて生活するだけで、早い子は2週間、粘る子でも1ヶ月、最悪の場合は3ヶ月あれば、家庭外でも会話によるコミュニケーションが可能となる。

イギリスでは緘黙の入院治療というのはありませんし、日本以外の国でも聞いたことがありません。日本だけの特殊な治療方法ではないかなと思います。

日本の学校教育システムを考えた場合、担任やTAがひとりの子供のために頻繁に時間を取ることは、放課後を除いて難しいのではないでしょうか?(イギリスでも住んでいる地区や学校によって、取り組みはまちまちです)。海外のようにIEP(個別教育プランIndividual Educational Plan)が設置されていない場合、担任の自己責任の範囲で協力ということになりますし…。イギリスでは、学校や学年によっては母親が学校に通ってキーワーカー(架け橋的な役割)になるケースもありますが、これも日本では難しいでしょう。そう考えると、学校内での取り組みや治療というのは、かなり限定されてくるような気がします。クリニックや児相などでの定期的な治療と比較すると、入院治療というのはもっと集中して場面緘黙を治療できる良い機会じゃないかなと思えます。

私は入院治療に関する情報を持っていないので、病院の小児病棟でどのように緘黙治療をするのか見当がつきません。多分、1対1もしくは、小規模なグループセラピーのような感じかなと想像しています。家族と切り離して病院の環境に慣れさせ、毎日同じ看護婦さんたちやと医師たちと触れ合って信頼関係を築くことで、不安を減らして言葉を引き出すことができるんだろうなと思います。家だったら暗黙の了解だったり、母親がやってくれていたことなど、何らかの意思表示をしなければならないサバイバル的な部分も出てきますよね(例えば、トイレに行きたい時や欲しいものを選ぶ時など)。家族の助けなしに緘黙児が自分でコミュニケーションを取り、話し始めることができたら、きっと大きな自信になるはずです。ただ、場所が病院なので、学校でも同じように話せるかというと、どうなんでしょう…?

ここでは、「ASDの併存症としての緘黙症に対しては」とありますが、決してASD併存のケースだけが入院治療に向いているということではないと思います。多分、どんな緘黙児にも入院治療は効果があり、特にASD併存の緘黙児には成果が期待できるということなのかなと。

私は全くの想像でものを言っているので、もし入院治療をされた方、子供を入院治療させた方がいらしたら、是非その体験をおききしたいです。

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新年、明けましておめでとうございます

みなさん、明けましておめでとうございます。

昨年7月末に始めたこのブログ、止まりそうになりながらも何とか細々と続けることができ、無事年を越せました。のらりくらりと遠回りしておりますが、本年もどうぞよろしくお付き合いください。

30日の飛行機でロンドンに戻る際、何故か再びチェックインで引っかかり、「30分ほどお待ちください」とのお達し…。でも、さすが日本!ロンドンのBAカウンターで日付変更をした際、帰りの便も操作したらしいのですが、時間内にきちんと処理してくれました。ヘルシンキまでの10時間弱は、足を伸ばせる壁に面した席をあてがわれ、とってもラッキー!

朝11時55分に出発し、夕方5時半過ぎにロンドンに辿りつきました。夫の実家でクリスマス休暇を過ごしていた子供と夫が迎えに来てくれて、久々に我が家へ。ほっとした反面、翌日は大晦日というのに、床は荷物でいっぱい、冷蔵庫はからっぽ…。

昨日は洗濯機を3回まわし、スーパーで食料品の買い出しをし、夜3人で鍋を囲むことができました。あまりに眠かったため食後ひと眠りして、夜10時に起きてお土産に買ってきた抹茶チョコやお煎餅を食べながら年越し。今年もテムズ河の花火は見事でした。

そして、今日元旦は雨、雨、雨…。お雑煮を食べてから出かけようと張り切っていたのに、家でゴロゴロする羽目に。勤め人の夫は明日からもう出勤です。私も今年こそはもう少し頑張りたいと思ってます。

余談ですが、最近日本に帰ると、どうも餡子のお菓子に目がいってしまいます。喫茶店よりも甘味処に惹かれる今日この頃…。

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地元でお気に入りの喫茶店。抹茶アイスの餡蜜が美味

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名古屋の友達の家で食べたイチゴ大福は最高でした

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          名古屋ではもう水仙の花が咲いていてびっくり。どんよりした曇りの日が多いロンドンに比べ、寒くてもからりと晴れるのがいいですね

2014年がみなさんにとって良い年となりますように。