イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その2)

やっとのことで、イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その1)の続きです。

杉山氏の意見について、私なりに考えてみました。

1) 緘黙はASD(自閉症スペクトラム障害)ではないと考えられてきたため、国際的な診断基準にもそのための除外診断の記載があるが、最近になって重症の緘黙児には高頻度にASDの子どもがいることが明確になってきた

DSM-IVでは、ASDと場面緘黙が併存している場合、場面緘黙はASD(広汎性発達障害)の二次障害と見なします。そのため、一次障害としての(独立した?)緘黙からは除外しています。

・E コミュニケーション障害(例えば、吃音)が原因ではなく、また、広汎性発達障害、総合失調症やその他の精神病性障害の経過中にのみ起こるものは含めない。(詳しくは場面緘黙とは?(その2)を参照してください)。

上記の文面から判断すると、杉山氏は一次障害と二次障害の区別はしておらず、「重症の緘黙児は、ASD児である頻度が高い」という事実から、場面緘黙=ASD、という可能性を示唆しているように思えます。

2) 軽症の緘黙児は不安感が強いとか、家族の中で見えない対立があるなどの家庭環境の要因がみられる。しかし、コミュニケーション全体に遅れを認める難治性の緘黙児は、殆ど実はASDの併存症として生じている

ここでは、コミュニケーション全体に遅れがある難治性の場面緘黙=自閉症スペクトラムの併存症、としています。別の視点で捉えると、ASD児が二次障害として場面緘黙を発症した場合、治りが悪いと言えるのではないでしょうか?とすると、マギージョンソンさんの下記の説に通じる部分があるのではないかなと思います(詳しくは場面緘黙とは?(その3)と(その4)を参照してください)。

純粋な緘黙の場合は、緘黙に対する取り組みだけでいいが、その他の場合(ASDがある場合は、4の複合的な場面緘黙に当ります)はそれぞれ併存している問題への対処が必要になる。純粋な緘黙に比べ、回復はゆっくりになる傾向が強い。

ただし、難治性の緘黙児は全員ASDを併発しているとは言い切れないのではないでしょうか?が、場面緘黙だけでなく、何らかの問題・障害が併存している可能性は高いのではと思います。

また、軽症の緘黙児について 「不安感が強い」、「家庭環境の要因がみられる」とありますが、不安感の強さは症状の強弱に関係なく、緘黙の子供にも大人にも共通していると思います。ちなみに、ASD児も不安感は非常に強いことで知られていますよね?また、「家庭環境の要因がみられる」というのは古い定説で、正しくないと思います。

追記:マーキュリー2世さんにコメントをいただき、「家庭環境の要因」については不透明だなと考え直しました。ただ、「親の育て方のせいで緘黙になるのではない」と思っていますし、「見えない対立」というような家庭環境が要因になっていることは稀なのではないかなと思います。

3) このグループは思春期に転帰が分かれ、外でコミュニケーションが取れる子と、取れないままの子に2分される。

これに関しては、調査や研究を読んでいないので何ともいえません。

4) ASDの併存症としての緘黙症に対しては積極的な治療、つまり入院治療を行うと成果があがる。入院して家族と離れて生活するだけで、早い子は2週間、粘る子でも1ヶ月、最悪の場合は3ヶ月あれば、家庭外でも会話によるコミュニケーションが可能となる。

イギリスでは緘黙の入院治療というのはありませんし、日本以外の国でも聞いたことがありません。日本だけの特殊な治療方法ではないかなと思います。

日本の学校教育システムを考えた場合、担任やTAがひとりの子供のために頻繁に時間を取ることは、放課後を除いて難しいのではないでしょうか?(イギリスでも住んでいる地区や学校によって、取り組みはまちまちです)。海外のようにIEP(個別教育プランIndividual Educational Plan)が設置されていない場合、担任の自己責任の範囲で協力ということになりますし…。イギリスでは、学校や学年によっては母親が学校に通ってキーワーカー(架け橋的な役割)になるケースもありますが、これも日本では難しいでしょう。そう考えると、学校内での取り組みや治療というのは、かなり限定されてくるような気がします。クリニックや児相などでの定期的な治療と比較すると、入院治療というのはもっと集中して場面緘黙を治療できる良い機会じゃないかなと思えます。

私は入院治療に関する情報を持っていないので、病院の小児病棟でどのように緘黙治療をするのか見当がつきません。多分、1対1もしくは、小規模なグループセラピーのような感じかなと想像しています。家族と切り離して病院の環境に慣れさせ、毎日同じ看護婦さんたちやと医師たちと触れ合って信頼関係を築くことで、不安を減らして言葉を引き出すことができるんだろうなと思います。家だったら暗黙の了解だったり、母親がやってくれていたことなど、何らかの意思表示をしなければならないサバイバル的な部分も出てきますよね(例えば、トイレに行きたい時や欲しいものを選ぶ時など)。家族の助けなしに緘黙児が自分でコミュニケーションを取り、話し始めることができたら、きっと大きな自信になるはずです。ただ、場所が病院なので、学校でも同じように話せるかというと、どうなんでしょう…?

ここでは、「ASDの併存症としての緘黙症に対しては」とありますが、決してASD併存のケースだけが入院治療に向いているということではないと思います。多分、どんな緘黙児にも入院治療は効果があり、特にASD併存の緘黙児には成果が期待できるということなのかなと。

私は全くの想像でものを言っているので、もし入院治療をされた方、子供を入院治療させた方がいらしたら、是非その体験をおききしたいです。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その1)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その1)

『日本では発達障害と見なされやすい?』のシリーズでは、日本では場面緘黙児がPDD(広汎性発達障害)と診断されることが多いように思えること、またその理由について考えてきました。今度は、イギリスの学校環境やシステムの中では、ASD児が二次障害として場面緘黙を発症する率が低いのではないか、という私の勝手な仮説について考えてみたいと思います。

その前に、『日本では発達障害と見なされやすい?(その5)』でも触れたのですが、杉山登志郎氏の著書『発達障害のいま』に着目したいと思います。日本における高機能自閉症の権威のひとりといわれる杉山氏は、あいち小児保健医療総合センターの心療科(児童精神科)の部長として、2010年まで9年間、臨床の最前線にいた方です。

2011年夏にこの本が出版された時は随分話題になったようですが、読まれた方はどの様な感想を持たれたでしょうか?私は2011年秋に帰国した折、Knetのおしゃべり会 in 名古屋に行く途中立ち寄った書店で、偶然にこの本と出遭いました。読んでみて、難解な中にも目からうろこの発想が沢山あったように思います。特に、発達障害が何故増えているのか、発達の凸凹とトラウマについては興味深く何度も読み返しました。

ご存知かもしれませんが、この本の中には「選択性かん黙」についての記述があります(P170)。      要約してみると、

1) 緘黙はASD(自閉症スペクトラム障害)ではないと考えられてきたため、国際的な診断基準にもそのための除外診断の記載があるが、最近になって重症の緘黙児には高頻度にASDの子どもがいることが明確になってきた。

2) 軽症の緘黙児は不安感が強いとか、家族の中で見えない対立があるなどの家庭環境の要因がみられる。しかし、コミュニケーション全体に遅れを認める難治性の緘黙児は、殆ど実はASDの併存症として生じている。

3) このグループは思春期に転帰が分かれ、外でコミュニケーションが取れる子と、取れないままの子に二分される。

4) ASDの併存症としての緘黙症に対しては積極的な治療、つまり入院治療を行うと成果があがる。入院して家族と離れて生活するだけで、早い子は2週間、粘る子でも1ヶ月、最悪の場合は3ヶ月あれば、家庭外でも会話によるコミュニケーションが可能となる。

(『発達障害のいま』 杉山登志郎 講談社現代新書 2011年)より抜粋&要約)

ここから、またまた続きます。

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