再々度、緘黙は発達障害 or 障害なのか?

日本では、場面緘黙=発達障害というイメージが強いことについて、再び考えてみました。全く専門家ではないので、いち素人の考えとして受けとめてください。

(以前に書いた記事はこちら → 『緘黙は発達障害なのか?』『再び、緘黙は発達障害なのか?』)

大前提として、緘黙は「発達障害」ではなく「不安障害」のカテゴリーに含まれています。そういう意味では発達障害ではないといえますが、発達障害の子が緘黙になるケースもあるし(詳しくは、「場面緘黙とは?(その3)」をご参照ください)、学校や病院など公の場で緊張状態にあるため、家庭での本来の姿が見えにくく、判定が難しいのではないでしょうか?

特に、緘黙児とASD児の持つ特性がオーバーラップする部分があるため、(詳しくは、『ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)』をご参照ください)、見分けがつきにくいというのが現状ではないかと。病院など不慣れな場所で、不安を抱えながらWISCなどの発達テストを受ける場合、本来より低い判定が出たりしないんでしょうか?

私は息子が場面緘黙になった時、緘黙は「障害」なのか「症状」なのか、ものすごく気になりました。というのも、「障害」というと「治らない」というイメージが強かったから。

例えば、「睡眠障害」というと重篤な印象ですが、「不眠症」というとそれほど重い感じはしませんよね。でも、正確には「睡眠障害」という大きなくくりがあり、その中のひとつが「不眠症」なのです。

では、「障害」とは何か? 障害者基本法の定義には、「この法律において、障害者とは身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と書かれています。(「長期に渡り」の「長期」がどれくらいの長さなのか調べてみないと判らないのですが、多分1ヶ月以上からではないかなと…)。

緘黙の場合、話せないことにより長期に渡って日常・社会生活に制限を受けるわけなので、定義からすれば障害に分類されるのかもしれません。ただ、緘黙が起こる場所が学校を中心とした公の場で、家庭では制限を受けないことも多いので、ややこしいですね。

精神障害の中でも「うつ病」や「パニック障害」など治るものもあれば、「てんかん」など生まれつきで治らないものも。脳の機能的障害により引き起こされる「発達障害」は後者です。場面緘黙については、治る不安障害のひとつと考えればいいのかな?

発達障害の定義を調べてみると、「脳機能の発達に関係する障害」とあり、具体的には主に広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)をあげています。(他に、トゥレット症候群と吃音が含まれます。知らなかったのですが、吃音は2005年から発達障害の対象となったよう。ということは、吃音は治る部類の発達障害なんでしょうか??)。発達障害とは、子どもが成長する過程において、基準の発達段階に到達しない状態。発達期間中いつでも開始し、通常生涯を通じて続くとされています。

参考: 政府広報オンライン『発達障害って、なんだろう?』http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/index.html

なお、欧米では「PDD(広汎性発達障害)」ではなく、主に「ASD (Autism Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)」という名称を使っています。DSM-5(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)では、「アスペルガー症候群」というサブカテゴリーが無くなりました(詳しくは、『DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その2)』をご参照ください)

どうしてまた場面緘黙と発達障害について取り上げたのかというと、緘黙の背景にある問題を早期に見極めることの重要性を感じているから。発達障害だけじゃなくて、言葉に問題があるケースなど、早期に発見できれば早く対応することができます。また、緘黙が障害であれ、そうでなかれ、抑制的な気質を持つ緘黙児に対しては、通常とは違う配慮が必要だと思うのです。

性格的なものは変えられないことが多いし、たとえ完治しない問題があったとしても、環境を変えたり、対処していくことで、日常&社会生活はずっと楽になるはず。性格であれ完治しない問題であれ、一生つき合うのなら、早くから気づいて自分なりの対処法を身にけるのがベストではないかと。

こんなことをいうのは、私が日本語を教えているASDのティーン達(全員アスペ男子)を見ていて、早期対応がいかに大切か実感できるからなんです。みんな(今登校拒否中の一人を除き)マイペースで、学校生活をそれなりに楽しんでる感じ。まあ、30人位しかいない特別支援校で、先生やTA達とも気軽に話ができる環境ではありますが…。

生徒はそれぞれ、ASD以外にもADHDやLDなど複数の障害を抱えています。公立校で仲間外れにされたり、問題を起こして転校してくる子も多数。が、特別校ではなんとか自分の居場所を見つけ、自信を回復しているよう。友達を作り、得意科目の成績を伸ばし、趣味のゲームに没頭したり、ジョークを飛ばしたり。学校生活に不安を感じず、ノビノビしてる子が多いように感じます。

例えば、A君は「僕はADHDだから集中力ないよ。ちょっと休んでいい?」と主張。D君は「ディスレクシアだから読むのが遅いんだ」とか「もっと論理的に」と、自分が納得するまで質問したり、課題をこなすのに時間がかかってもメゲません。私の英語の発音やスペルミスは、嬉しそうに速攻で指摘してくるし(恥)。自分の特性をちゃんと理解して、自分なりに対処している様子。

この学校でも、常に何らかの問題は起きています(特に、小学部)。感情をコントロールできず、反省室に入れられるエピソードは頻繁に起きるし、昨年は怒りに任せて窓ガラスを割ってしまい、手を負傷した子も。でも、みんなある程度自己主張しながら学校生活を送れている印象。不安や緊張感がないということが、自信にも繋がっているように思います。そして、この自己肯定感こそが、社会の中で生きる上で一番大切ではないかと思う今日このごろなのです。

長々とひとりごとを聞いていただいて、ありがとうございました。次は抑制的な子どもへの対処法について考えてみたいとい思っています。

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緘黙は発達障害なのか?

再び、緘黙は発達障害なのか?

ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)

7月6日に書いた記事の続きです。2011年に行われたマギー・ジョンソンさんのワークショップの資料を掘り起こしてみたら、ノートにこんなメモがありました。「ASD児とSM児の持つ特性はオーバーラップするところがあり、ASDとSMを併発しているケースは以前考えられていたほど少なくない」。”not so rare as previously thought” とあるので、「多くはないけれど、時々見られる」程度の感じじゃないかと思います。

これは、「日本では広汎性発達障害と診断されるSM児が多いようなんですが、イギリスではどうですか?」という私の質問に対する答えでした。ここ数年来、マギーさんは主にセカンダリー(11歳~16歳)以上の子どもの治療を担当していて、あまり改善が見られない場合は、ASDが併存しているケースが見られるとも…。

緘黙の治療効果は小学校中学年から緩やかになり、年齢があがるにつれて回復が難しくなると言われています。特に、小学校高学年から中学までは、プレ思春期と思春期が重なるため、周りの目が最も気になる時期。高校や大学進学を期に自力で立ち直るケースも多いようなので、改善が見られないからASDということではありません。特に、日本では保護者と学校・専門家が連携して治療に当たるのが難しいため、年齢が上の子の緘黙治療はより困難といえそう…。

下記は私がとったメモからの抜粋です。急いで書き写したので、間違いがあるかも…。

<SM児とASD児のオーバーラップする特性>

  1. 根本的な気質(same underlying disposition 不安になりやすい抑制的な気質?)
  2. 自分なりのルールへのこだわり(rule bound 食べ物、服装などを含む)
  3. 感覚過敏 (sensory sensitivity)
  4. 視覚的な説明やチェックリストが必要 (need visual explanation/ checklist SM児の場合、不安のため情報を受信できないこともある)
  5. コミュニケーション量の問題 (issues with communication load認識プロセスのレベルに問題があるため、一度に大量のコミュニケーションを処理できない)                           ASDを併発しているSM児の中には、多量で複雑なコミュニケーションを処理できないため、緘黙傾向に陥る子もいる。解決法 → 一度に大量の情報を与えないよう、「コミュニケーション量」を減らし、混乱しないように早めに助け舟を出す。自分で選ばせるなど、子ども自身に主導権を与える。

*注:どのSM児も1~5までの特性を全て持っているということではありません。上記の事項が類似していることが多いということだと思います。また、上記が当てはまるからといって、自閉症スペクトラムという訳ではありません。④⑤には言語の問題が含まれるかもしれませんね。

例えASDが併存する場合でも、治療や支援のアプローチは同じということ。ただ、純粋な緘黙と比べて回復はゆっくりになります。また、緘黙を克服してもASDが治る訳ではないので、ASDに対する支援も必須です。とにかく、緘黙とその背景にある問題を早期に発見し、早期介入することが大切ということでした。

うちの息子の場合を考えてみると、1、2(特に服装と髪型!)、3、そしてう~ん、同時に複数のことをするのが苦手なんですが、5 の傾向もあるのかな?視覚優位でもあるようだし…。

「ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」ということで、1~5 に問題がある時は下記のような対策が立てられるかなと思います。

  • 不安を減らす呼吸法や自分なりの対処方法を考えさせる
  • こだわりを責めず、徐々に納得させて自分なりに対処できるようにする
  • 新行事などがある時は、予め予定を伝えておく
  • 写真や絵、物を使って具体的に説明する
  • 指示する時は短かめに、解かりやすく
  • 一度に沢山のことを言わず、ひとつずつ順番に

もっとたくさんの対処法があると思うので、自分の子どもに合うような対策を考えられるといいですね。

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ASD児と緘黙児--類似する特性?

 

ASD児と緘黙児--類似する特性?

先週の金曜日、ASD児専門校の子ども達に付き添って、近隣の名門私立校に行ってきました。学校同士の交流があり、わが校のセカンダリー(12~16歳)の子ども達を対象にしたワークショップを開催してくれたのです。うちのクラスからも、6年生の子が3人参加しました。

地下鉄利用ということもあり、総勢16名の子どもに付き添いの大人がぞろぞろ…。スタッフの息抜きも兼ねた、学年末のイベントのひとつだったよう。

16世紀から続くという歴史ある名門校を訪問してみて、学校施設や人材の充実ぶりに驚かされました。広々とした敷地内に立派な校舎や専門の施設が点在し、専用のテニスコートやアスレチックグランドも。入学試験の難度が高く、学費もかなり高額らしいのですが、この充実度だったら納得という感じ。いや、ケタ違いにすごい!

最初に案内されたスポーツグランドではテニスの授業中でしたが、体育の先生じゃなくて、テニス専用のコーチが教えてるんです。生徒数は20名ほどなのに、助手が2名。各教科についても、えり抜きの優秀な教師陣と助手を揃えているだろうことは、容易に想像できました。

ワークショップはスポーツコーチ、D&T(デザイン&技術)教師、そして科学者(後で調べたら、結構有名な方でした!)が担当。スポーツで汗を流した後は、立派なD&T教室でミニLED懐中電灯作りに取り組みました(PC搭載のレーザーカッターで製作したキーホルダーのお土産つき)。最後の科学講座は、液体窒素などを使って次から次へと実験を繰り広げるスリリングな内容。おしまいに子ども達を部屋の隅に退去させ、ものすごい大音響で風船を爆発させたのには度肝を抜かれました。

どのセッションもプロ意識の高さが伝わってくる内容で、毎日こういう授業を受けてる子ども達がイギリスの将来を担っていくんだなと、感慨深かったです。予算の少ない公立の学校では、こうはいかないでしょう…。

話は変わりますが、このイベントを通じて感じたのは、緘黙児と似た傾向の子がいるということ。

スポーツイベントでソフトフハードル走をした際、付き添っていたグループの女の子が逃げ腰に…。やったことがないと不安がるので、「柔らかいハードルだから当たっても痛くないよ」 「一緒に走ろうか?」と声をかけ、手をつないでスタート。ひとつ目のハードルを飛び越えた後、ひとりで走っていくことができました。その後の競技でも「また一緒に来て」と頼まれて、一緒に走ったのですが、私の方が遅かったので自信がついたと思います(笑)。

また、最後の記念撮影では、ひとりだけ撮影拒否の子が…。いくらスタッフが誘っても頑として動かないので、そのままに。でも、担任が「じゃあ、写真撮って」と声をかけ、撮影側として参加させることに成功しました。

緘黙児と大きく違ったのは、D&T教室で男子生徒が我先にと手を挙げて質問に答えていたこと。得意分野に関する知識は、半端ないものがあります。実に堂々と答えるので、何だか誇らしかったです。

2011年にマギー・ジョンソンさんの緘黙支援ワークショップに参加した際、「緘黙児とASD児の特性は重なるところがあるので、ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」と話されてました。その資料とメモを見つけ出して、もう少し詳しく説明できたらいいなと思ってます。

 

ASD児の不安と緘黙児の不安

クラスの5人の子ども達に共通しているのは、「自閉症の三つ組」と呼ばれる特性です。子どもによって三つ組のバランスや現われ方は違いますが、程度の差はあれ全員これらの特性を持ちあわせているなあ、と納得しているところです。

1) 社会性の質的な差異

年齢相応の常識や社会性を身につけるのが難しく、場の空気を読んだり、人の気持ちを察して行動することが苦手

2) コミュニケーションの質的な差異

適切な言葉やボディランゲージを使って人と交流することが難しい

3) イマジネーションの質的な差異

目の前にない事柄(もの・情報・可能性など)について推測したり予測したりすることが困難

研修初日にクラス担任に言われたのは、「この子達は、時間や空間といった抽象的な概念を捉えるのが苦手だから、教室の移動やスタッフの顔ぶれが変わるだけでも不安になりやすいの。だから、スケジュールが変わる時は要注意」ということでした。

「抑制的な気質」を持つ緘黙児も、新しい状況に慣れるのに時間がかかり、未知の体験・環境・人に対して不安になると言われています。また、ASD児と同様に、感覚過敏がある子も少なくないようです。それでは、ASD児とSM児の感じている不安は同種類のものなのでしょうか?

以前、『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりであるトニー・クライン教授にこの質問をしたところ、「SM児とASD児では、抱えている不安の質が違う」という興味深い返事が返ってきました。

彼によると、SM児の不安は「自分が話しているところを人に見られたくない=人前で失敗したくない、目立ちたくない」という社会不安であり、ASD児の不安は「予測がつかない事態への不安」だということ。

これまで体験入学でやってきた子のお世話を何度かしたのですが、どの子も「次はなにをするの?」と質問してきます。担任が事前に必ず作成しておくのが、その子用の時間割。最初に時間割の説明は済ませているのですが、訊かれる度にそれを見せて、「今この授業をやってるから、次はこれだよ」と説明すると、みんな安心するのです。

(ちなみに、教室内には仕切りのついた個別のブースが5人分あり、それぞれの子どもに机とPCが与えられ、壁にはラミネート加工したその日の時間割が貼ってあります(曜日毎に貼りかえます)。驚いたのは、子どもによって時間割の表記が異なること。数字と教科を記しただけのシンプルなものもあれば、時計の絵と教科のシンボルマークが入ったもの、1教科終わるごとに閉じて、その時やっている教科と時間が明確になるものなど、実に工夫に富んでいて感心します)。

朝の会では、まず最初に担任がその日のスケジュールと変更事項などを説明するのですが、これが子ども達の不安を低減するのに役立っているよう。また、ひとりひとりの子どもに対し、その日の具体的な目標を確認(例えば、発言する時は手を挙げるなど)するのも、どう行動すればいいか解りやすいと思います。

子ども達には、普段心配そうだったり、不安そうにしている様子は見られません。何か嫌なこと、したくないことがあって不安になった場合は、即座に「嫌だ」、「やりたくない」と強い拒否反応を示すことが多いかな…。ASD児はとても正直なので、嫌な時、不安な時、困っている時はストレートに言動に現われるように思います。

学校にはホールがあって、ランチや全校集会、屋内体育の授業などに使用するのですが、全校集会に出ることを嫌がる子がいました(現在はあまり問題ありません)。途中で転校してきたこの子は、ランチの時間は全く平気なのに、全校集会の時だけ時々問題児に…。聴覚過敏で騒音が気になる部分もあったようですが、何をするのか予測がつかない部分と前の学校での嫌な体験が不安に繋がっていたようです。

皆と一緒にベンチに座っていたのに急に立ち上がって教室に戻ろうとした時もあれば、問題なく話を聞いていた時、嫌がってホールに入らず教室のドアを蹴飛ばして大声で叫んだ時もあり、何が原因なのか??? そうかと思うと、うちのクラスが発表会をした時には、皆の前でPCを操作し、堂々と発言するという…。

その時々の雰囲気や心理状態などが強く影響しているという印象で、すごく波がありました。人にどう思われるかを気にする面は、あまり大きくなかったような…。

一方、息子も全校集会を酷く嫌がっていた時期(小3の頃)があったのですが、理由を訊いてみたら、「もし校長先生に呼ばれたら、何か訊かれるかもしれない。怖い」と。更に、様々なシチュエーションを想像して、もし何か失敗したらどうしようと、心配しているのです。ちょっと考えすぎ、想像しすぎじゃないのと思えるくらいに。

全校集会では、その週に頑張った子ども達を校長先生が表彰(といっても、とても簡単なもの)する習慣があって、大勢前に出て行って簡素な表彰状をもらい、大抵は”Thank you”を言う程度だったと思います。何とかそういう場でも返事ができるくらいまで回復していた時期でしたが、まだまだ不安は大きかったよう。実際に体験してみて、「あっ、思ったほど大変じゃなかった」と実感することで、徐々に慣れていくことができたように思います。

この2つのケースを比較してみて、不安の質が違うというのはこういうことなのかなと考えていますが、どうなんでしょうか?

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その8)

これまでイギリスの小学校の制度や教育システムを長々と綴ってきましたが、ASD児が場面緘黙を発症しにくいと考える根拠をまとめてみます。

<イギリスの学校の利点>

●登校しぶりや登校拒否が少ない = 適応障害を起こしにくい環境

イギリスでは小学生の登校しぶりや登校拒否が殆ど話題になりません。実際にかなり少ないようですし、私の身近でも聞いたことがありません。その背景には、能力に合わせた学習体制に加え、支援の多い馴染みのあるクラス環境があると思います。学校に対する不安や恐怖、学校生活のストレスが少ない環境は、ASD児はもちろん全ての子どもに優しい環境といえます。

(ちなみに、この国で社会問題となっているのは、ワーキングクラスや移民の子どもが集まる地区の学力低下の問題。いまだに階級制度が存在し、英語が第二言語の子どもが多いため、地区や学校によって学力の差が激しいのです。また、イギリスでもセカンダリースクール(12~16歳)にあがると、登校拒否やドロップアウトの問題が出てきます。セカンダリーでは急に学校の規模が大きくなり、大学のようなシステムに変化し、学校と保護者の繋がりが希薄になることが原因と考えられます)。

●特別支援システムが浸透していて、保護者と学校の繋がりが強い

イギリスの学校には専属のSENCO(特別支援コーディネーター)が存在し、ひとりひとりの子供にIEP(個別教育プラン)を立てて支援します。支援は学習の遅れや態度・行動の問題から、何らかの障害がある子どもまで、かなり広範囲。学校の予算と子どものニーズに合わせ、心理士や言語療法士、作業療法士といった専門家の支援を追加することも(その多くは学校ベースで行われます)。

SENCOを中心に、担任とTA、必要であれば専門家、そして保護者で支援チームを結成します。こう書くと理想的なようですが、学校によってサポートの質や量が大幅に違うのが難…。それでも、問題が起きた時の対応は日本より早いのではないかと思います。

IEPがあると、周囲の大人が子どもの持つ問題や特徴、支援方法を把握することが可能です。それが、他の子ども達へのフォローや、子どもがクラスに溶け込めるような支援に繋がるように思います。

保護者と学校との連携が義務づけられ、通常は学期末にSENCO(+担任や専門家)と保護者がIEPの達成度をチェックし、次の目標を決めます。インファントでは送り迎えが必要なので担任と顔を合わせる機会が多く、ジュニアでも普段から担任やSENCOに相談しやすい雰囲気があります。

<ASDの二次障害としての緘黙>

●二次障害の定義

子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないために、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの。

●ASDの特徴

社会性、想像力、コミュニケーションに障害があり、対人関係で問題を起こしやすい傾向があります。また、発達の凸凹が大きいため、学習面でできることとできないことの差が大きかったり、学習障害などを併発していることも。環境の変化に弱く、集団生活に不安を感じる子が多いようです。

●ASD児が場面緘黙になるケース

ASD児の中でも、やはり抑制的な性格や学校への不安が大きい子、比較的受動的な子が場面緘黙になりやすいのではないでしょうか?不安の少ない学校環境で、対人関係に対する大人の支援やフォローが多いことを考えると、ASD児が場面緘黙を発症する頻度は、日本の小学校と比べ少ないのではと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

3) クラス運営と特別支援のシステム

<クラス運営について>

イギリスの公立小学校は1~6年生(6~11歳)の前にレセプションクラス(5歳)を加えた7年制。通常、クラスの定員は30名です。一体どんな基準でクラス編成するのか不明ですが、息子の学校では、7年の間ずっとクラス替えなしでした。ちなみに、担任は1年ごとに交代します。

最初、「えっ、友達関係がうまくいかなかったら、ずっとそのまま!? おとなしい子が自分の殻を破るチャンスがないのでは?」と、すごく心配だったのですが、息子の場合はこのシステムがプラスに働きました。

7年間も同じクラスだと、仲間意識が強くなり、子ども達はそれぞれの個性を当たり前に受け止め、認め合うようになります。困った時どんな風にフォローすればいいのか皆解っているので、自然な助け合いができるというか…。例えば、杖をついている子がいたら、一緒に歩く時にどんな風に振舞えばいいのか自然に身につく感じです。多分、マイナス面もあると思うのですが、総合すれば利点は大きいように思います。

SM児もそうですが、ASD児は変化に弱く、新しい環境に馴染みにくいのが特徴のひとつ。また、内気な子どもにとっても、日本のように毎年クラス替えをすることは随分負担になるのではないでしょうか?

<特別支援教育について>

イギリスの公立校ではインクルージブ教育(健常児と障害児の統合教育)システムを採用していて、全ての子どもが普通クラスで学ぶ体制になっています。もちろん例外もあって、何らかの重い障害がある子どもは、保護者の希望などにより特別学校に行くケースも。

息子の学校では、他校と比べて特別支援が必要な子どもを多く受け入れていました。発達の障害や身体的な障害がある子が、クラスに1~2人くらい。校内では、杖をついて歩く子や車椅子の子の姿も(校内にエレベーターがあるのです!)。基本的に、特別支援用の通級クラスというのはありません。それぞれの子どものIEP(個別教育プラン)に合わせ、定期的に授業を抜け出して小グループ活動、個別の学習セッションやセラピーを受けに行くという感じです。

ちなみに、インファント(5~7歳)では各クラスに担任とTA(教員補助)がつく体制。特別支援(SEN)を必要とする子どもの中でも、症状が重くステートメントと呼ばれる法的評価を受けている子に対しては、地方の行政局から学校に予算が下りるので、専属のTAがつくことが多いです。加えて、科目によってはエキストラで学習支援員がついたり、保護者ボランティアが参加したり。

息子をイギリスの公立校に通わせてみて、子どもに能力以上の無理をさせないようなシステムという感想を持ちました。学習面では能力別にグループ学習させることが多いと前の記事で書きましたが、体育とかも同じなんです(笑)。例えば、逆上りや縄跳びをする場合、全員ができるように支援するというのが日本。でも、イギリスはそうじゃないんです。

小3の時に学校で縄跳びの授業があったんですが、息子を含めできない子が複数人いました。で、担任に相談したら、「男の子は跳べない子も多いから」と言われ、なんの対処もなし….。結局、夏休みに家で練習して跳べるようになったんですが、学校ではできるまで支援という発想はないようでした。

私の感触では、「できる子はもっと、できない子はそれなりに」というシステムかな…。これって保護者にとっては困った傾向ですが、子どもにはストレスが少ないと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

2) イギリスの教育システムと学習形態

かつてはイギリスでも日本と同じようなシステム・学習形態だったそうですが、現在ではクラス全員が同じスピードで同じことを学習すべき、という概念はないようです。大まかなガイドラインはあるものの、子どもの成長速度や能力はそれぞれ違うので、ガイドライン内でその子のレベルに合う学習を、という方針のよう。

ジュニアになると主要科目(算数と国語)は、能力別のグループに分かれて学習することが多いようです。といっても、各グループで全く別々のことをやっている訳ではなく、新しい項目を導入する際は、ホワイトボードを使って全員に説明し、それぞれのグループに難易度の違う課題をさせるという感じです。

例えば、算数の掛け算で、2と5の段のみの問題をやっているグループもあれば、1~5段までの問題をやってるグループも、全部を含めた問題をやってるグループもある、といった具合に。読本はグループ別に難易度が異なる本を読み、同じ課題をさせたり。

たいていの場合、一番下のグループにはTAがついて支援。その一方で、飛びぬけて上の子ども(グループ)はギフテッド(gifted)と呼ばれ、特別に英才教育の支援をすることも。真ん中にいるその他大勢の子どもたちは、普通に進めるので支援は殆どありません。

日本人の感覚からいうと、一定の子ばかりが支援されるようで不公平に思えるかもしれませんが、別に保護者への説明もないのです。ちなみに、私がこういうシステムなんだなと気づいたのは、随分後になってからでした(笑)。

それから、驚くことに自分の教科書がない!(私立校はちゃんとあるらしいです)日によって、学校においてある古い教科書を使ったり、プリントを使ったり…。科目別に学科のノートがあるんですが、それも自宅に持ち帰ることはできません。だから、カバンの中には教科書もノートも入ってないんです。

また、日本と比べると宿題が少ない!学校にもよりますが、息子の小学校では金曜日にまとめて宿題が出て、火曜日に提出するという方式でした(これは働いている保護者が週末に監督できるように)。そして、宿題も能力別なんですよね~。

困ってしまうのは、教科書がないので予習・復習ができないこと。そして、子どもが今何を勉強してるのか、さっぱり解らないことです。読本は家に持ち帰りますが、国語の授業で何をやってるのかは謎…。テストしても学期末にしか返ってこなかったり。

で、子どもは家でどんな勉強をしてるかというと、書店で参考書やドリルを買って保護者の方針でめいめい勝手にやってる感じです。熱心な親は早くから家庭教師をつけて、どんどん先のレベルへ。塾というのはないんですが、大体どこの町にも公文があります。やらない子はそのまま、やってる子はものすごく進むので、その差は歴然!

成績表はクラスや学校で何番とかではなく、文部省で定められた学年の水準と比較してどのレベルにいるか、という相対的なものなんです。最初のうちは何がなんだか訳が判らず、実は今も完全には理解できていないという(笑)…。

不思議なことに、同じ公立小学校でも校長の方針によって平均成績に格差があり、評判のいい学校とそうでない学校の差が激しかったりします。学区制なので、子どもがまだ小さいうちに、お目当ての学校の近くに引っ越す人も多いです。

子どもにとってみると、こういったシステムは精神的に楽なんじゃないでしょうか?特に、学習面で困難のある子にとって、皆と同じスピードで同じ様に学習することは大変なストレスになります。周りの目や態度を気になるでしょうし、自己評価も下がってしまう…メンタル面でかなりの負担になると思うのです。グループ学習の場合、できなくてもそれ程目立たないし、クラス中から注目が集まることもありません。

次回はクラス運営や特別支援などのシステムについて説明したいと思います。

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イギリスの小学校と日本の小学校の違い

1) 学校や教室の雰囲気

イギリスの小学校(5~11歳)に行ってみて、まず思うのは規模が小さいこと。都会でも1学年に1クラスのみ(30人)のところがあり、3クラスあると「大きい学校」とみなされます。平均は2クラスくらいでしょうか。小学校(Primary School)はインファント(5~7歳)と呼ばれる幼児部とジュニア(8~11歳)に分かれていて、同じ学校内に両方あるところもあれば、全く別々の学校として独立していることもあります。

息子の小学校は1学年3クラスでしたが、担任はもちろん、殆どの先生と学校職員が全校生徒だけでなく、母親の顔と名前も知ってることに驚きました。インファントのうちは子どものお迎えが義務なので、自然と親の顔を覚えるのかもしれませんが…。そのせいか先生と話しやすく、日本より親しみやすい感じです。

そして、校内・教室内がとってもカラフルで、日本よりずっとカジュアルな雰囲気なんです。生徒が作った壁画、図工の作品、写真などがそこら中に飾られ、学習用具や図書コーナーはラベルや絵つき。大きな行事があると、学校中を飾りつけたりします。

話がそれますが、息子の学年がエジプト文明のワークショップをした際、手伝いにいってビックリ。担任たち全員が「コスプレですか!?」みたいな出で立ち(笑)!お隣のクラスの男性教師が、長い黒髪のカツラ+オレンジ色の衣装+化粧で美女に変身していて、生徒にも大うけ。先生方のハッスルぶりも半端ないです。

教室を見回して一番違うな~と思うのは、机がグループ毎に固めてあること。インファントでは、自分の机というのはなくて、テーブルを囲んで座ることが多いようです。学校によって違うと思うのですが、私の経験では概ねそうでした。

出入口は前方にひとつ。前方の壁にはPCと直結したホワイトボードがあり、ホワイトボードを使う際は、子どもたちを床に座らせることも多いようです。

イギリスの小学校の画像を見つけたので貼り付けますね。幼稚園みたいな玩具のある教室は、レセプションクラス(1年生の前の学年)のものです。

イギリスでは、グループで学習しているところに、先生がまわってくることも多く、授業中も割とガヤガヤしてます。日本よりも寛容な感じがするというか、何か失敗してもそれほど気にならない雰囲気があるような気がします。

次回は教育システムについて説明します。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

さて、ここからやっと本題に入ります。

私は日本の学校に比べ、イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい(=二次障害としての緘黙を発症しにくい)のではないかと考えています。なお、ここで言うASD児の中には、ASD系の発達凸凹のある子どもたちも含めています。

マギージョンソンさんが「複合的な場面緘黙」のカテゴリーにASDとの併存症を含めていること、またDSM-IVで触れていることからも、ASD(及び広汎性発達障害)の二次障害として場面緘黙が発症するケースがあることは周知の通りです。

場面緘黙とは?(その2)

場面緘黙とは?(その3)

でも、二次障害としての場面緘黙がどの程度の割合で発症しているのか、その発症率は環境や文化の違いによって異なるのか、というような研究は殆どなされていません。

二次障害については、「子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないため、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの」と定義されています。また、軽度の発達障害を持つ子どもは、他の軽度発達障害の合併や二次障害を併存することが多いといわれています。

私は2年ほど前からSENTA(特別支援助手)専門のエージェントに登録しています。仕事はASDなどの発達障害児を中心とした、学習に困難のある子どもの支援が中心です。希望としては場面緘黙の子どもを支援したいのですが、緘黙だけで地区の行政局から学校に支援金がおりることは稀で、学校には緘黙児のためにSENTA(日本でいう加配)を雇う予算がないというのが現状です。

エージェントの仕事はフルタイムが殆どだし、イギリスで教育を受けた訳でもなく、英語にもハンデがあり、経験も不足してる私…。今まで受けた仕事は、小学校での短期TA勤務と家庭教師的なものばかり。ASD児の支援の仕事を何度か打診されたのですが、時間などの都合と自信がないのとで、お断りしてました。

経験を積むため、昨年9月から小規模なASD児専門の私立校(8~17歳)で、週に1回研修をさせてもらっています。一昨年前の夏には、息子が通っていた公立小学校のレセプションクラス(5歳児)と小4のクラスで1学期間お手伝いさせてもらいました。

専門校に在籍する30人のアスペっ子のうち緘黙症状がある子はゼロ。息子の出身校は全校生徒約700人中10人程度のASD児がいるということでしたが、緘黙を併存している子はここでもゼロ。配属されたクラスに回復中のハーフの緘黙児がいたんですが、ASDではありませんでした。

また、エージェントを通じて、移民の多い地区の小学校で2人のASD男児のサポートと小3クラスのTAを担当しましたが、2人とも緘黙傾向はありませんでした。

今までSMIRAの保護者会や緘黙のワークショップに参加したり、イギリスの学校で働いてみて、環境に適応できないために二次障害を起こすASD児が少ないのでは、という感想を持った次第です。

ちなみに、SMIRAの会員にはASD児が殆どいない印象ですが、ASDと緘黙を併発している子どもがいることは確かです。それは、SENTAのエージェントが主催する『発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)』の短期コースを受講した際に実感しました。受講者はフルタイムで働いている35名ほどのTAで、うち70%程度がASD児専門ユニットやASD児を含む支援をしていました。緘黙児がいるかどうか訊いてみたところ、2名から「いる」という答えが。両方ともASD児でASDの症状が重いため、緘黙はそれほど問題になってない様子でした(SMIRAの資料を渡しましたが、反応が薄かったです)。

偶然にも、コース受講中に懇意になったTAの中に、「息子(14歳)は現在の担任になってから話さなくなった」というASD児の母親がいたのですが、彼女は「学校が息子を理解してくれない。環境が悪い」と嘆いていました。子どもの性格や気質が第一の要因だと思いますが、ASD児が学校の環境に適応できるかどうかも大きな要因だと思います。

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発達凸凹という考え方

杉山登志郎氏著の『発達障害のいま(講談社現代新書 2011年)』を読み、発達凸凹という考え方を知って、目からウロコの思いでした。

「自閉症スペクトラム」という概念では、健常人からカナータイプの典型的な自閉症の人まで、人類全員がそのスペクトラム(連続体)の中に含まれます。連続体なので各カテゴリーの境界線は曖昧で、さらに他にも様々な濃淡を持つ要素が複雑に絡み合っているものと思われます。

杉山氏の解釈では、《一般人 - 発達凸凹 - 自閉症スペクトラム障害 - 自閉症》という順番で、下記のような三角形の中に、一般人のグループを左端、自閉症のグループを右端にして入れています(この説明では解りにくいかな…。直角三角形の画像を探したんだけど、直角マークが入ってるのしかなかった…)。 triangle

認知に高い峰と低い谷の両者を持つグループを発達凸凹とし、その中で適応障害があるグループを自閉症スペクトラム障害としています。典型的な自閉症ではなく、知的障害のない、より軽度の、しかし社会的な問題を多発させている人たちの中で、適応障害がない状態(=困っていない状態)が発達凸凹という説明。

この図は自閉症スペクトラム障害についてですが、LDやADHD、言語障害、協調運動障害など、それ以外の障害に関しても、凸凹といえる状態の子ども達がいるのではないか?場面緘黙は社会不安がベースになっていると言われていますが、社会不安や脅迫感が強すぎるのも、ある意味で発達の凸凹ではないかな?と勝手に考えています。

自閉症スペクトラムだけでなく、他の発達の凸凹を持つ子ども達も、社会的に適応できていれば個性や苦手の範囲にとどまるケースや、二次障害を発症せずにすむケースが多くなるのでは?と考えたんですが….どうでしょう?適応できるかどうかは、子どものニーズに合う対応と、子どもが置かれている家庭や学校の環境要因に大きく左右されそうです。つまり、小さい頃から凸凹に優しい環境や周りの理解・サポートがあれば、社会に適応しやすくなるということ。(これがイギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくいのでは、という私の考えの根拠になってます)。

私が学生だった頃は、「自閉症」、「ADHD」、「学習障害」などという言葉は聞いたことがありませんでした。カナーが自閉症を発見したのが1944年頃、「Developmental Disorder (発達障害)」という言葉がDSM-III-Rに初登場したのが1987年と考えると、「発達障害」という概念自体がまだ比較的新しく、これからもっと研究が進みそうですね。

『ドラえもん』じゃないですが、クラスメートの中には個性の強い子が複数人いたような気がします。いつもオチャラケてて先生に注意されてる子とか、算数は得意なのに国語は全然できない子とか。今思えば、もしかしたらADHDやLDの傾向があったのかもしれません。でも、それが彼らの個性で、それほど問題になることなくクラスに溶け込んでいました。かくいう私も、低学年の頃は先生から見ると「極端におとなしい子」だったと思います。

小学校の頃は地区の「子ども会」があり、行事などで集団で活動することが多かったし、低学年の頃は近所の子どもが集まって一緒に遊んでいました。学校とはまた別の子ども社会があったのです。地域コミュニティの繋がりが濃く、大人と関わる機会も今の子ども達よりずっと多かったし、親戚関係ももっと濃厚でした(しがらみが強くて面倒な部分も多々あったんですが….)。

当時の社会的な環境が子どもの社会性を育て、発達に凸凹のある子が適応障害になるのを防いでいた部分が大きいかもしれません。一緒に遊んでいるうちに仲間意識が育ち、それぞれの個性を受け入れ、自然と小さい子や困った子の面倒を見るようになります。それが学校での生活にも繋がっていました。

『発達障害のいま』の中で、「発達障害が増えている」ことを取り上げていますが、こういった社会の移り変わりもその原因のひとつなんだろうなと思います。

追伸: 時差ぼけやら何やらでぼーっとしている内に、あっという間に1月も半ばになってしまいました~。これからもう少し頻繁に更新しようと思ってますので、よろしくお付き合いください。

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