2019年SMiRAコンファレンス(その5)SMとASDの対比

日本では10連休ももうすぐ終わりですね。昨日は関東地区でゲリラ豪雨が発生し、大量の雹が降ったとか…やはり、世界各国で気候変動の影響が出ているように思います…。さて、SMiRAコンファレンスの続きです。

<ASDとSMの対比>

  • ASD: 自閉症スペクトラムは、人がコミュニケーションをする方法、世界を見る方法、他者と関与する方法に影響を及ぼす、生涯続く症状。程度の差はあれ、全ての状況で起こる
  • SM: 場面緘黙はある気質的な素因を持つ人が、不安をベースにした反応として起こす症状。全ての状況で起こる訳ではなく、生涯続く訳ではない
  • そして、ASDに不安障害はつきものであるため、ある気質的な素因を持つ人の何割かはASDであると思われる

もし、表に出てくる行動や言動――アイスクリームサンデーのウエーハウスの部分――だけを見るならば、SM児もASD児も似たように見えるかもしれない。

<ASDとSMで重複する行動>

  • 視線を合わせるのを避ける
  • 自発的に、自由に人の輪に参加しない
  • 限定された社会的興味
  • 限定された相互関係
  • 感覚の違和
  • メルトダウン

<ASDの人が抱える困難>

  • 社会的な相互関係
  • 社会的コミュニケーション
  • 思考の柔軟性(想像力)
  • 知覚

          ↑

   ★あらゆる状況で常時存在する(うまく隠せているケースもある)

<SMの人が抱える困難>

  •  社会的な相互関係
  • 社会的コミュニケーション

       ↑

   ★常時ではない(子どもの不安が強い時)

  • 思考の柔軟性
  • 知覚

                         ↑

   ★時として困難が伴うこともある

<なぜ混同されるのか?>

  • 他人の言動や行動は目に見えるが、それを起こしている要因は見えない
  • 自閉症は場面緘黙より認知度が高い
  • 専門家がSM状態の子どもといる時、当然子どものコミュニケーションは通常とは異なる → 保護者に普段の様子をきく必要がある

ASDとSMの併存率は現在のところ知られていない

みく備考:人前では引込み思案な割に、頑固で完全主義なところがある緘黙児は多いのではないでしょうか?ただの「頑固」なのか「こだわり」なのか、判断が難しいところだと思います。でも、「こだわり(柔軟な思考の困難)」が強いからといって、すぐに自閉症には結びつきません。3つの特性をすべて持ち併せているかが鍵となります。

また、騒音が苦手、服のラベルが肌に触れるのを嫌がるなど、SM児の感覚過敏に悩まされる保護者は多いと思います。感覚過敏もASD児に共通する特性ですが、感覚過敏=自閉症ではありません。ただ、SM児の感覚過敏は、成長するにつれて薄らいでいく/ うまく適応・対処していけるケースが多いのでは? うちの学校のASD児やティーンを見ていると、年齢があがっても食べられる食品が極端に少なかったり、「〇〇は絶対にしない」と頑固一徹(思考の柔軟性がない)なような…。状況から判断して、「ちょっと我慢・妥協した方がいいかな」という姿勢は見られません。

イギリスでは、最近になってASDの診断を受ける女の子や成人女性の増加が報告されています。女子は男子より精神的な成長が早く、周囲を見て模倣することや社会性の欠如を隠すことに長けているため、見つけにくいというのが理由のひとつのよう。また、ASD児の男女比は4:1とされているため、女子がアセスメントを受ける機会が少ないとも。アスペルガーや高機能ASDのアセスメントには、女子用のマニュアルが登場しているようです。

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環境問題の旗手は場面緘黙(その2)

環境運動の旗手は場面緘黙?(その2)

5月に入って、令和の時代が始まりましたね。16歳の環境アクティビスト、グレタ・トゥーンベリさんの話の続きです。

まずは、TED(Technology Entertainment Design 世界中の著名人による様々な講演会を開催・配信する非営利団体)で配信されたグレタさんの訴え(日本語訳つき)を聞いてみてください。堂々として、本当に素晴らしいスピーチです。

<1分33秒から2分5秒までに注目>

「それで私は11歳の時 病気になりました」

「うつ病になり 話さなくなり 食べなくなりました」

「2か月で10キロ痩せました」

「後に私はアスペルガー症候群で 強迫性障害で 選択的無言症だと診断されました」

「その症状は基本的に必要だと思う時しか話さないことで 今がその必要な時なのです」

うむむ…(未だに選択制無言症という古い訳)この説明だと、自分で話したい時を選んで話していると思われてしまいますね――実際、英国のガーディアン紙はこの路線でSMを説明し、後に訂正していました。

TEDの動画にはありませんが、他の記事で環境活動を始める以前の自分を、下記のように語っています。

「私はいつもみんなの後ろにいる、何も言わない子どもでした」​​

「学校ストライキを始める前、私は透明人間みたいな存在でした。話さなければならない時以外は、全く話さなかったわ

緘黙の子どもが周囲の輪に入れない自分を、「透明人間みたいな存在」と感じることは多いと思います。が、やはりここでも、自分が選んで話さなかったような表現…。

グレタさんの場面緘黙に関して、もっと詳しく知りたいと検索していたら、オンラインマガジン(?)Quiletteで記事を見つけました。ここには、グレタさんと家族のことがもっと詳しく書かれています。

https://quillette.com/2019/04/23/self-harm-versus-the-greater-good-greta-thunberg-and-child-activism/

グレタさんの母マレーナ・エルンマンさん(Malena Ernman)は、ヨーロッパでは知られたオペラ歌手。父のスヴァンテ・トゥーンベリさん(Svante Thunberg)は俳優、祖父も俳優と、著名な家族の元に生まれています。(でも、実はグレタさんの妹もADHDとOCDを併発しているのだとか)

記事によると、母親のマレーナさんが昨年出版した本『Scenes from the Heart (心の風景?)』に、学校ストライキに至るまでのグレタさんのメンタルヘルスと家族の葛藤が克明に描かれているよう(現在この本はスウェーデン語版のみ)。

グレタさんが初めて環境問題に触れたのは、8歳のころ。小学校の授業で観たビデオ――海洋に集積するプラスティックや飢えてやせ細っていく北極グマなど――に大きなショックを受けました。

クラスメイトたちの興味は、ビデオが終われば別のことにうつっていきました。でも、グレタさんの脳裏には映像が生々しく残り、いつまでたっても不安や悲しみが色あせなかったのです――気候変動が自分や地球にもたらす危機についてひとり悶々と悩み続けたことが、11歳の時にうつ病を発症した主因だったと書かれています。

(これは自閉症の特徴である「こだわり(思考の柔軟性の困難)」に(もしかしたら「フラッシュバック」にも)起因していると思われます。グレタさんはそれを承知していて、現在では自分の個性として受け入れ、モチベーションを保つ原動力にしているとか)

記事では、何年ものうつ病、摂食障害、不安の発作に悩まされた後、やっと医学的な診断がおりたとあります。そして、その当時は家族としか話さなかったと。

この時、うつ病、アスペルガー症候群(ASD)、強迫性障害(OCD)、そして場面緘黙と診断された訳です。

回復のきっかけは、環境についての心配を家族に打ち明け始めたこと。そして、CO2排出量を極力抑えるよう両親を説得し、彼らを変えることができたことが自信になったよう。それから国会前での座り込みを始め、あっと言う間に名が知れ渡って、一躍時の人となりました。

(ちなみに、本人はヴィーガンになり、服など新しいものは極力購入せず、飛行機を避けて列車で移動するという徹底ぶり。自らのポリシーを貫く姿勢がすごいですね)

ストライキを始めたばかりの頃は、お父さんが彼女のスポークスマンとしてメディアや研究者たちとやり取りしていたこともあったとか。国際的な会議などでスピーチをする娘の姿に、グレタさんの両親が一番驚いているよう。

緘黙についてまとめると、

  1. もともと寡黙な子どもだった(すでにこの時点で緘黙だった可能性あり)
  2. 11歳でうつ病を発症した際に家族としか話さなくなり、その後場面緘黙と診断される
  3. 15歳で環境運動を始めると、両親がびっくりするほど話せるようになった

本人は「話さなかった」という言葉を使っていますが、実際のところは「話せない」状態だったのかどうか――本を読んでいないので不明です。

ただ、自閉症の人が抱える不安に環境問題の大きな不安が加わったため、二次障害として不安障害である強迫性障害(OCD)や場面緘黙を発症したのではないかと推測できます。

ニュースやインタビューの映像を観ると、グレタさんはディスカッションにも参加し、デモでも多くの人と関わり、対話しています。

学校や地元でのパーソナルな状況は判りませんが、公の場においては既に場面緘黙を克服しているのでは?

「気候問題に積極的に取り組むことで、私はもう孤独でも、静かな存在でもなくなりました。今は世界を変えることに忙しく、この活動を楽しんでいるの」

この言葉から、自己肯定感が高まり、現在の自分に満足している様子がうかがえます。

大人たちがずっと後回しにしてきた環境問題を、今解決しなければならない緊急の課題として突きつけるグレタさん。時間がかかるのを承知のうえで、金曜日の学校ストライキや環境運動を続けています。その強い意志、忍耐強さ、ごまかしを許さない潔癖さが、世界を大きく動かしているのです。

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日本は今日から10連休ですね。イギリスでは先週末がイースター(復活祭)の4連休でした。その間、メディアを賑わせたのは、ロンドン中心部で行われた『絶滅レベリオン(Extinction Rebellion)』のデモ活動。普段人で賑わう主要部の5か所を占拠し、交通をストップさせて大騒ぎになりました。

     ロンドン随一のショッピング街、オックスフォードサーカスの交差点を占拠するデモ参加者たち

彼らの訴えは、政府の気候変動への対応に不服をとなえるもの。地球温暖化を減速させるために、現実的な対策の実行を要求しています。こうした環境運動は、今ヨーロッパを中心に世界各国に広がりをみせているよう。特徴は、中高生を巻き込む若い世代が参加していること。

その発起人が、スウェーデン人の16歳の少女、グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)さん。昨年の夏休み明け、たったひとりでストックホルムの国会議事堂前に座り込み、3週間のデモを決行。その後も、毎週金曜に学校を休んでこの抗議活動を続けています。

わずか16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさん

彼女の活動はSNSやメディアを通じて広がり、中高生の賛同者もどんどん増えていきました。これが『未来のための金曜日(Fridays for Future)』運動となり、今年3月15日(金)には、グレタさんの呼びかけで125カ国の約2000か所で、100万人を超える学生がデモに参加したとか。

     『気候変動問題のための学校ストライキ(School Strike for Climate)』のプラカードを掲げるグレタさん

今や国際的な環境アクティビストとして知られるようになったグレタさん。ヨーロッパ各国の抗議デモに参加したり、国連の環境会議や世界経済フォーラムなどで、堂々たる英語で演説したり。TVやメディアのインタビューや対談にも多数出演し、先日ノーベル平和賞候補にノミネートされました。まさに時の人なのです。

先週末は汽車で渡英し、ロンドンにもやってきました。デモのステージで演説したり、政治家に会ったりと精力的に動き、多くのメディアに取り上げられました。

私はグレタさんがアスペルガーだということは知っていたのですが、一昨日、ネットの記事を読んでびっくり。何と、場面緘黙の診断も下りているというのです!

政治家や著名人の前、大勢の聴衆の前で、臆することなく理路整然と英語のスピーチを繰り広げるグレタさんが場面緘黙??

ここのところ、SMiRAコンファレンスの講演『SMとASDの共存』の報告をしている際中なので、とても興味を持ちました。もう少し詳しく調べて、次回に私なりの見解を書いてみたいと思っています。

みなさん、素敵な大型連休をお楽しみください。

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再々度、緘黙は発達障害 or 障害なのか?

日本では、場面緘黙=発達障害というイメージが強いことについて、再び考えてみました。全く専門家ではないので、いち素人の考えとして受けとめてください。

(以前に書いた記事はこちら → 『緘黙は発達障害なのか?』『再び、緘黙は発達障害なのか?』)

大前提として、緘黙は「発達障害」ではなく「不安障害」のカテゴリーに含まれています。そういう意味では発達障害ではないといえますが、発達障害の子が緘黙になるケースもあるし(詳しくは、「場面緘黙とは?(その3)」をご参照ください)、学校や病院など公の場で緊張状態にあるため、家庭での本来の姿が見えにくく、判定が難しいのではないでしょうか?

特に、緘黙児とASD児の持つ特性がオーバーラップする部分があるため、(詳しくは、『ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)』をご参照ください)、見分けがつきにくいというのが現状ではないかと。病院など不慣れな場所で、不安を抱えながらWISCなどの発達テストを受ける場合、本来より低い判定が出たりしないんでしょうか?

私は息子が場面緘黙になった時、緘黙は「障害」なのか「症状」なのか、ものすごく気になりました。というのも、「障害」というと「治らない」というイメージが強かったから。

例えば、「睡眠障害」というと重篤な印象ですが、「不眠症」というとそれほど重い感じはしませんよね。でも、正確には「睡眠障害」という大きなくくりがあり、その中のひとつが「不眠症」なのです。

では、「障害」とは何か? 障害者基本法の定義には、「この法律において、障害者とは身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と書かれています。(「長期に渡り」の「長期」がどれくらいの長さなのか調べてみないと判らないのですが、多分1ヶ月以上からではないかなと…)。

緘黙の場合、話せないことにより長期に渡って日常・社会生活に制限を受けるわけなので、定義からすれば障害に分類されるのかもしれません。ただ、緘黙が起こる場所が学校を中心とした公の場で、家庭では制限を受けないことも多いので、ややこしいですね。

精神障害の中でも「うつ病」や「パニック障害」など治るものもあれば、「てんかん」など生まれつきで治らないものも。脳の機能的障害により引き起こされる「発達障害」は後者です。場面緘黙については、治る不安障害のひとつと考えればいいのかな?

発達障害の定義を調べてみると、「脳機能の発達に関係する障害」とあり、具体的には主に広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)をあげています。(他に、トゥレット症候群と吃音が含まれます。知らなかったのですが、吃音は2005年から発達障害の対象となったよう。ということは、吃音は治る部類の発達障害なんでしょうか??)。発達障害とは、子どもが成長する過程において、基準の発達段階に到達しない状態。発達期間中いつでも開始し、通常生涯を通じて続くとされています。

参考: 政府広報オンライン『発達障害って、なんだろう?』http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/index.html

なお、欧米では「PDD(広汎性発達障害)」ではなく、主に「ASD (Autism Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)」という名称を使っています。DSM-5(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)では、「アスペルガー症候群」というサブカテゴリーが無くなりました(詳しくは、『DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その2)』をご参照ください)

どうしてまた場面緘黙と発達障害について取り上げたのかというと、緘黙の背景にある問題を早期に見極めることの重要性を感じているから。発達障害だけじゃなくて、言葉に問題があるケースなど、早期に発見できれば早く対応することができます。また、緘黙が障害であれ、そうでなかれ、抑制的な気質を持つ緘黙児に対しては、通常とは違う配慮が必要だと思うのです。

性格的なものは変えられないことが多いし、たとえ完治しない問題があったとしても、環境を変えたり、対処していくことで、日常&社会生活はずっと楽になるはず。性格であれ完治しない問題であれ、一生つき合うのなら、早くから気づいて自分なりの対処法を身にけるのがベストではないかと。

こんなことをいうのは、私が日本語を教えているASDのティーン達(全員アスペ男子)を見ていて、早期対応がいかに大切か実感できるからなんです。みんな(今登校拒否中の一人を除き)マイペースで、学校生活をそれなりに楽しんでる感じ。まあ、30人位しかいない特別支援校で、先生やTA達とも気軽に話ができる環境ではありますが…。

生徒はそれぞれ、ASD以外にもADHDやLDなど複数の障害を抱えています。公立校で仲間外れにされたり、問題を起こして転校してくる子も多数。が、特別校ではなんとか自分の居場所を見つけ、自信を回復しているよう。友達を作り、得意科目の成績を伸ばし、趣味のゲームに没頭したり、ジョークを飛ばしたり。学校生活に不安を感じず、ノビノビしてる子が多いように感じます。

例えば、A君は「僕はADHDだから集中力ないよ。ちょっと休んでいい?」と主張。D君は「ディスレクシアだから読むのが遅いんだ」とか「もっと論理的に」と、自分が納得するまで質問したり、課題をこなすのに時間がかかってもメゲません。私の英語の発音やスペルミスは、嬉しそうに速攻で指摘してくるし(恥)。自分の特性をちゃんと理解して、自分なりに対処している様子。

この学校でも、常に何らかの問題は起きています(特に、小学部)。感情をコントロールできず、反省室に入れられるエピソードは頻繁に起きるし、昨年は怒りに任せて窓ガラスを割ってしまい、手を負傷した子も。でも、みんなある程度自己主張しながら学校生活を送れている印象。不安や緊張感がないということが、自信にも繋がっているように思います。そして、この自己肯定感こそが、社会の中で生きる上で一番大切ではないかと思う今日このごろなのです。

長々とひとりごとを聞いていただいて、ありがとうございました。次は抑制的な子どもへの対処法について考えてみたいとい思っています。

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緘黙は発達障害なのか?

再び、緘黙は発達障害なのか?

ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)

7月6日に書いた記事の続きです。2011年に行われたマギー・ジョンソンさんのワークショップの資料を掘り起こしてみたら、ノートにこんなメモがありました。「ASD児とSM児の持つ特性はオーバーラップするところがあり、ASDとSMを併発しているケースは以前考えられていたほど少なくない」。”not so rare as previously thought” とあるので、「多くはないけれど、時々見られる」程度の感じじゃないかと思います。

これは、「日本では広汎性発達障害と診断されるSM児が多いようなんですが、イギリスではどうですか?」という私の質問に対する答えでした。ここ数年来、マギーさんは主にセカンダリー(11歳~16歳)以上の子どもの治療を担当していて、あまり改善が見られない場合は、ASDが併存しているケースが見られるとも…。

緘黙の治療効果は小学校中学年から緩やかになり、年齢があがるにつれて回復が難しくなると言われています。特に、小学校高学年から中学までは、プレ思春期と思春期が重なるため、周りの目が最も気になる時期。高校や大学進学を期に自力で立ち直るケースも多いようなので、改善が見られないからASDということではありません。特に、日本では保護者と学校・専門家が連携して治療に当たるのが難しいため、年齢が上の子の緘黙治療はより困難といえそう…。

下記は私がとったメモからの抜粋です。急いで書き写したので、間違いがあるかも…。

<SM児とASD児のオーバーラップする特性>

  1. 根本的な気質(same underlying disposition 不安になりやすい抑制的な気質?)
  2. 自分なりのルールへのこだわり(rule bound 食べ物、服装などを含む)
  3. 感覚過敏 (sensory sensitivity)
  4. 視覚的な説明やチェックリストが必要 (need visual explanation/ checklist SM児の場合、不安のため情報を受信できないこともある)
  5. コミュニケーション量の問題 (issues with communication load認識プロセスのレベルに問題があるため、一度に大量のコミュニケーションを処理できない)                           ASDを併発しているSM児の中には、多量で複雑なコミュニケーションを処理できないため、緘黙傾向に陥る子もいる。解決法 → 一度に大量の情報を与えないよう、「コミュニケーション量」を減らし、混乱しないように早めに助け舟を出す。自分で選ばせるなど、子ども自身に主導権を与える。

*注:どのSM児も1~5までの特性を全て持っているということではありません。上記の事項が類似していることが多いということだと思います。また、上記が当てはまるからといって、自閉症スペクトラムという訳ではありません。④⑤には言語の問題が含まれるかもしれませんね。

例えASDが併存する場合でも、治療や支援のアプローチは同じということ。ただ、純粋な緘黙と比べて回復はゆっくりになります。また、緘黙を克服してもASDが治る訳ではないので、ASDに対する支援も必須です。とにかく、緘黙とその背景にある問題を早期に発見し、早期介入することが大切ということでした。

うちの息子の場合を考えてみると、1、2(特に服装と髪型!)、3、そしてう~ん、同時に複数のことをするのが苦手なんですが、5 の傾向もあるのかな?視覚優位でもあるようだし…。

「ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」ということで、1~5 に問題がある時は下記のような対策が立てられるかなと思います。

  • 不安を減らす呼吸法や自分なりの対処方法を考えさせる
  • こだわりを責めず、徐々に納得させて自分なりに対処できるようにする
  • 新行事などがある時は、予め予定を伝えておく
  • 写真や絵、物を使って具体的に説明する
  • 指示する時は短かめに、解かりやすく
  • 一度に沢山のことを言わず、ひとつずつ順番に

もっとたくさんの対処法があると思うので、自分の子どもに合うような対策を考えられるといいですね。

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ASD児と緘黙児--類似する特性?

先週の金曜日、ASD児専門校の子ども達に付き添って、近隣の名門私立校に行ってきました。学校同士の交流があり、わが校のセカンダリー(12~16歳)の子ども達を対象にしたワークショップを開催してくれたのです。うちのクラスからも、6年生の子が3人参加しました。

地下鉄利用ということもあり、総勢16名の子どもに付き添いの大人がぞろぞろ…。スタッフの息抜きも兼ねた、学年末のイベントのひとつだったよう。

16世紀から続くという歴史ある名門校を訪問してみて、学校施設や人材の充実ぶりに驚かされました。広々とした敷地内に立派な校舎や専門の施設が点在し、専用のテニスコートやアスレチックグランドも。入学試験の難度が高く、学費もかなり高額らしいのですが、この充実度だったら納得という感じ。いや、ケタ違いにすごい!

最初に案内されたスポーツグランドではテニスの授業中でしたが、体育の先生じゃなくて、テニス専用のコーチが教えてるんです。生徒数は20名ほどなのに、助手が2名。各教科についても、えり抜きの優秀な教師陣と助手を揃えているだろうことは、容易に想像できました。

ワークショップはスポーツコーチ、D&T(デザイン&技術)教師、そして科学者(後で調べたら、結構有名な方でした!)が担当。スポーツで汗を流した後は、立派なD&T教室でミニLED懐中電灯作りに取り組みました(PC搭載のレーザーカッターで製作したキーホルダーのお土産つき)。最後の科学講座は、液体窒素などを使って次から次へと実験を繰り広げるスリリングな内容。おしまいに子ども達を部屋の隅に退去させ、ものすごい大音響で風船を爆発させたのには度肝を抜かれました。

どのセッションもプロ意識の高さが伝わってくる内容で、毎日こういう授業を受けてる子ども達がイギリスの将来を担っていくんだなと、感慨深かったです。予算の少ない公立の学校では、こうはいかないでしょう…。

話は変わりますが、このイベントを通じて感じたのは、緘黙児と似た傾向の子がいるということ。

スポーツイベントでソフトフハードル走をした際、付き添っていたグループの女の子が逃げ腰に…。やったことがないと不安がるので、「柔らかいハードルだから当たっても痛くないよ」 「一緒に走ろうか?」と声をかけ、手をつないでスタート。ひとつ目のハードルを飛び越えた後、ひとりで走っていくことができました。その後の競技でも「また一緒に来て」と頼まれて、一緒に走ったのですが、私の方が遅かったので自信がついたと思います(笑)。

また、最後の記念撮影では、ひとりだけ撮影拒否の子が…。いくらスタッフが誘っても頑として動かないので、そのままに。でも、担任が「じゃあ、写真撮って」と声をかけ、撮影側として参加させることに成功しました。

緘黙児と大きく違ったのは、D&T教室で男子生徒が我先にと手を挙げて質問に答えていたこと。得意分野に関する知識は、半端ないものがあります。実に堂々と答えるので、何だか誇らしかったです。

2011年にマギー・ジョンソンさんの緘黙支援ワークショップに参加した際、「緘黙児とASD児の特性は重なるところがあるので、ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」と話されてました。その資料とメモを見つけ出して、もう少し詳しく説明できたらいいなと思ってます。

 

ASD児の不安と緘黙児の不安

クラスの5人の子ども達に共通しているのは、「自閉症の三つ組」と呼ばれる特性です。子どもによって三つ組のバランスや現われ方は違いますが、程度の差はあれ全員これらの特性を持ちあわせているなあ、と納得しているところです。

1) 社会性の質的な差異

年齢相応の常識や社会性を身につけるのが難しく、場の空気を読んだり、人の気持ちを察して行動することが苦手

2) コミュニケーションの質的な差異

適切な言葉やボディランゲージを使って人と交流することが難しい

3) イマジネーションの質的な差異

目の前にない事柄(もの・情報・可能性など)について推測したり予測したりすることが困難

研修初日にクラス担任に言われたのは、「この子達は、時間や空間といった抽象的な概念を捉えるのが苦手だから、教室の移動やスタッフの顔ぶれが変わるだけでも不安になりやすいの。だから、スケジュールが変わる時は要注意」ということでした。

「抑制的な気質」を持つ緘黙児も、新しい状況に慣れるのに時間がかかり、未知の体験・環境・人に対して不安になると言われています。また、ASD児と同様に、感覚過敏がある子も少なくないようです。それでは、ASD児とSM児の感じている不安は同種類のものなのでしょうか?

以前、『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりであるトニー・クライン教授にこの質問をしたところ、「SM児とASD児では、抱えている不安の質が違う」という興味深い返事が返ってきました。

彼によると、SM児の不安は「自分が話しているところを人に見られたくない=人前で失敗したくない、目立ちたくない」という社会不安であり、ASD児の不安は「予測がつかない事態への不安」だということ。

これまで体験入学でやってきた子のお世話を何度かしたのですが、どの子も「次はなにをするの?」と質問してきます。担任が事前に必ず作成しておくのが、その子用の時間割。最初に時間割の説明は済ませているのですが、訊かれる度にそれを見せて、「今この授業をやってるから、次はこれだよ」と説明すると、みんな安心するのです。

(ちなみに、教室内には仕切りのついた個別のブースが5人分あり、それぞれの子どもに机とPCが与えられ、壁にはラミネート加工したその日の時間割が貼ってあります(曜日毎に貼りかえます)。驚いたのは、子どもによって時間割の表記が異なること。数字と教科を記しただけのシンプルなものもあれば、時計の絵と教科のシンボルマークが入ったもの、1教科終わるごとに閉じて、その時やっている教科と時間が明確になるものなど、実に工夫に富んでいて感心します)。

朝の会では、まず最初に担任がその日のスケジュールと変更事項などを説明するのですが、これが子ども達の不安を低減するのに役立っているよう。また、ひとりひとりの子どもに対し、その日の具体的な目標を確認(例えば、発言する時は手を挙げるなど)するのも、どう行動すればいいか解りやすいと思います。

子ども達には、普段心配そうだったり、不安そうにしている様子は見られません。何か嫌なこと、したくないことがあって不安になった場合は、即座に「嫌だ」、「やりたくない」と強い拒否反応を示すことが多いかな…。ASD児はとても正直なので、嫌な時、不安な時、困っている時はストレートに言動に現われるように思います。

学校にはホールがあって、ランチや全校集会、屋内体育の授業などに使用するのですが、全校集会に出ることを嫌がる子がいました(現在はあまり問題ありません)。途中で転校してきたこの子は、ランチの時間は全く平気なのに、全校集会の時だけ時々問題児に…。聴覚過敏で騒音が気になる部分もあったようですが、何をするのか予測がつかない部分と前の学校での嫌な体験が不安に繋がっていたようです。

皆と一緒にベンチに座っていたのに急に立ち上がって教室に戻ろうとした時もあれば、問題なく話を聞いていた時、嫌がってホールに入らず教室のドアを蹴飛ばして大声で叫んだ時もあり、何が原因なのか??? そうかと思うと、うちのクラスが発表会をした時には、皆の前でPCを操作し、堂々と発言するという…。

その時々の雰囲気や心理状態などが強く影響しているという印象で、すごく波がありました。人にどう思われるかを気にする面は、あまり大きくなかったような…。

一方、息子も全校集会を酷く嫌がっていた時期(小3の頃)があったのですが、理由を訊いてみたら、「もし校長先生に呼ばれたら、何か訊かれるかもしれない。怖い」と。更に、様々なシチュエーションを想像して、もし何か失敗したらどうしようと、心配しているのです。ちょっと考えすぎ、想像しすぎじゃないのと思えるくらいに。

全校集会では、その週に頑張った子ども達を校長先生が表彰(といっても、とても簡単なもの)する習慣があって、大勢前に出て行って簡素な表彰状をもらい、大抵は”Thank you”を言う程度だったと思います。何とかそういう場でも返事ができるくらいまで回復していた時期でしたが、まだまだ不安は大きかったよう。実際に体験してみて、「あっ、思ったほど大変じゃなかった」と実感することで、徐々に慣れていくことができたように思います。

この2つのケースを比較してみて、不安の質が違うというのはこういうことなのかなと考えていますが、どうなんでしょうか?

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その8)

これまでイギリスの小学校の制度や教育システムを長々と綴ってきましたが、ASD児が場面緘黙を発症しにくいと考える根拠をまとめてみます。

<イギリスの学校の利点>

●登校しぶりや登校拒否が少ない = 適応障害を起こしにくい環境

イギリスでは小学生の登校しぶりや登校拒否が殆ど話題になりません。実際にかなり少ないようですし、私の身近でも聞いたことがありません。その背景には、能力に合わせた学習体制に加え、支援の多い馴染みのあるクラス環境があると思います。学校に対する不安や恐怖、学校生活のストレスが少ない環境は、ASD児はもちろん全ての子どもに優しい環境といえます。

(ちなみに、この国で社会問題となっているのは、ワーキングクラスや移民の子どもが集まる地区の学力低下の問題。いまだに階級制度が存在し、英語が第二言語の子どもが多いため、地区や学校によって学力の差が激しいのです。また、イギリスでもセカンダリースクール(12~16歳)にあがると、登校拒否やドロップアウトの問題が出てきます。セカンダリーでは急に学校の規模が大きくなり、大学のようなシステムに変化し、学校と保護者の繋がりが希薄になることが原因と考えられます)。

●特別支援システムが浸透していて、保護者と学校の繋がりが強い

イギリスの学校には専属のSENCO(特別支援コーディネーター)が存在し、ひとりひとりの子供にIEP(個別教育プラン)を立てて支援します。支援は学習の遅れや態度・行動の問題から、何らかの障害がある子どもまで、かなり広範囲。学校の予算と子どものニーズに合わせ、心理士や言語療法士、作業療法士といった専門家の支援を追加することも(その多くは学校ベースで行われます)。

SENCOを中心に、担任とTA、必要であれば専門家、そして保護者で支援チームを結成します。こう書くと理想的なようですが、学校によってサポートの質や量が大幅に違うのが難…。それでも、問題が起きた時の対応は日本より早いのではないかと思います。

IEPがあると、周囲の大人が子どもの持つ問題や特徴、支援方法を把握することが可能です。それが、他の子ども達へのフォローや、子どもがクラスに溶け込めるような支援に繋がるように思います。

保護者と学校との連携が義務づけられ、通常は学期末にSENCO(+担任や専門家)と保護者がIEPの達成度をチェックし、次の目標を決めます。インファントでは送り迎えが必要なので担任と顔を合わせる機会が多く、ジュニアでも普段から担任やSENCOに相談しやすい雰囲気があります。

<ASDの二次障害としての緘黙>

●二次障害の定義

子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないために、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの。

●ASDの特徴

社会性、想像力、コミュニケーションに障害があり、対人関係で問題を起こしやすい傾向があります。また、発達の凸凹が大きいため、学習面でできることとできないことの差が大きかったり、学習障害などを併発していることも。環境の変化に弱く、集団生活に不安を感じる子が多いようです。

●ASD児が場面緘黙になるケース

ASD児の中でも、やはり抑制的な性格や学校への不安が大きい子、比較的受動的な子が場面緘黙になりやすいのではないでしょうか?不安の少ない学校環境で、対人関係に対する大人の支援やフォローが多いことを考えると、ASD児が場面緘黙を発症する頻度は、日本の小学校と比べ少ないのではと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

3) クラス運営と特別支援のシステム

<クラス運営について>

イギリスの公立小学校は1~6年生(6~11歳)の前にレセプションクラス(5歳)を加えた7年制。通常、クラスの定員は30名です。一体どんな基準でクラス編成するのか不明ですが、息子の学校では、7年の間ずっとクラス替えなしでした。ちなみに、担任は1年ごとに交代します。

最初、「えっ、友達関係がうまくいかなかったら、ずっとそのまま!? おとなしい子が自分の殻を破るチャンスがないのでは?」と、すごく心配だったのですが、息子の場合はこのシステムがプラスに働きました。

7年間も同じクラスだと、仲間意識が強くなり、子ども達はそれぞれの個性を当たり前に受け止め、認め合うようになります。困った時どんな風にフォローすればいいのか皆解っているので、自然な助け合いができるというか…。例えば、杖をついている子がいたら、一緒に歩く時にどんな風に振舞えばいいのか自然に身につく感じです。多分、マイナス面もあると思うのですが、総合すれば利点は大きいように思います。

SM児もそうですが、ASD児は変化に弱く、新しい環境に馴染みにくいのが特徴のひとつ。また、内気な子どもにとっても、日本のように毎年クラス替えをすることは随分負担になるのではないでしょうか?

<特別支援教育について>

イギリスの公立校ではインクルージブ教育(健常児と障害児の統合教育)システムを採用していて、全ての子どもが普通クラスで学ぶ体制になっています。もちろん例外もあって、何らかの重い障害がある子どもは、保護者の希望などにより特別学校に行くケースも。

息子の学校では、他校と比べて特別支援が必要な子どもを多く受け入れていました。発達の障害や身体的な障害がある子が、クラスに1~2人くらい。校内では、杖をついて歩く子や車椅子の子の姿も(校内にエレベーターがあるのです!)。基本的に、特別支援用の通級クラスというのはありません。それぞれの子どものIEP(個別教育プラン)に合わせ、定期的に授業を抜け出して小グループ活動、個別の学習セッションやセラピーを受けに行くという感じです。

ちなみに、インファント(5~7歳)では各クラスに担任とTA(教員補助)がつく体制。特別支援(SEN)を必要とする子どもの中でも、症状が重くステートメントと呼ばれる法的評価を受けている子に対しては、地方の行政局から学校に予算が下りるので、専属のTAがつくことが多いです。加えて、科目によってはエキストラで学習支援員がついたり、保護者ボランティアが参加したり。

息子をイギリスの公立校に通わせてみて、子どもに能力以上の無理をさせないようなシステムという感想を持ちました。学習面では能力別にグループ学習させることが多いと前の記事で書きましたが、体育とかも同じなんです(笑)。例えば、逆上りや縄跳びをする場合、全員ができるように支援するというのが日本。でも、イギリスはそうじゃないんです。

小3の時に学校で縄跳びの授業があったんですが、息子を含めできない子が複数人いました。で、担任に相談したら、「男の子は跳べない子も多いから」と言われ、なんの対処もなし….。結局、夏休みに家で練習して跳べるようになったんですが、学校ではできるまで支援という発想はないようでした。

私の感触では、「できる子はもっと、できない子はそれなりに」というシステムかな…。これって保護者にとっては困った傾向ですが、子どもにはストレスが少ないと思います。

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2) イギリスの教育システムと学習形態

かつてはイギリスでも日本と同じようなシステム・学習形態だったそうですが、現在ではクラス全員が同じスピードで同じことを学習すべき、という概念はないようです。大まかなガイドラインはあるものの、子どもの成長速度や能力はそれぞれ違うので、ガイドライン内でその子のレベルに合う学習を、という方針のよう。

ジュニアになると主要科目(算数と国語)は、能力別のグループに分かれて学習することが多いようです。といっても、各グループで全く別々のことをやっている訳ではなく、新しい項目を導入する際は、ホワイトボードを使って全員に説明し、それぞれのグループに難易度の違う課題をさせるという感じです。

例えば、算数の掛け算で、2と5の段のみの問題をやっているグループもあれば、1~5段までの問題をやってるグループも、全部を含めた問題をやってるグループもある、といった具合に。読本はグループ別に難易度が異なる本を読み、同じ課題をさせたり。

たいていの場合、一番下のグループにはTAがついて支援。その一方で、飛びぬけて上の子ども(グループ)はギフテッド(gifted)と呼ばれ、特別に英才教育の支援をすることも。真ん中にいるその他大勢の子どもたちは、普通に進めるので支援は殆どありません。

日本人の感覚からいうと、一定の子ばかりが支援されるようで不公平に思えるかもしれませんが、別に保護者への説明もないのです。ちなみに、私がこういうシステムなんだなと気づいたのは、随分後になってからでした(笑)。

それから、驚くことに自分の教科書がない!(私立校はちゃんとあるらしいです)日によって、学校においてある古い教科書を使ったり、プリントを使ったり…。科目別に学科のノートがあるんですが、それも自宅に持ち帰ることはできません。だから、カバンの中には教科書もノートも入ってないんです。

また、日本と比べると宿題が少ない!学校にもよりますが、息子の小学校では金曜日にまとめて宿題が出て、火曜日に提出するという方式でした(これは働いている保護者が週末に監督できるように)。そして、宿題も能力別なんですよね~。

困ってしまうのは、教科書がないので予習・復習ができないこと。そして、子どもが今何を勉強してるのか、さっぱり解らないことです。読本は家に持ち帰りますが、国語の授業で何をやってるのかは謎…。テストしても学期末にしか返ってこなかったり。

で、子どもは家でどんな勉強をしてるかというと、書店で参考書やドリルを買って保護者の方針でめいめい勝手にやってる感じです。熱心な親は早くから家庭教師をつけて、どんどん先のレベルへ。塾というのはないんですが、大体どこの町にも公文があります。やらない子はそのまま、やってる子はものすごく進むので、その差は歴然!

成績表はクラスや学校で何番とかではなく、文部省で定められた学年の水準と比較してどのレベルにいるか、という相対的なものなんです。最初のうちは何がなんだか訳が判らず、実は今も完全には理解できていないという(笑)…。

不思議なことに、同じ公立小学校でも校長の方針によって平均成績に格差があり、評判のいい学校とそうでない学校の差が激しかったりします。学区制なので、子どもがまだ小さいうちに、お目当ての学校の近くに引っ越す人も多いです。

子どもにとってみると、こういったシステムは精神的に楽なんじゃないでしょうか?特に、学習面で困難のある子にとって、皆と同じスピードで同じ様に学習することは大変なストレスになります。周りの目や態度を気になるでしょうし、自己評価も下がってしまう…メンタル面でかなりの負担になると思うのです。グループ学習の場合、できなくてもそれ程目立たないし、クラス中から注目が集まることもありません。

次回はクラス運営や特別支援などのシステムについて説明したいと思います。

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