息子の緘黙・幼児期4~5歳 (その20)発達テスト

スクールナース(学校看護師)に相談し、待つこと3か月。やっと小児クリニックでの診察の順番が廻ってきました。息子が4歳10か月、緘黙になってから約3か月半後のことです。

相談した時はまだ場面緘黙のことを知らず、アスペルガーを疑っての受診申し込みでした。当日は主人にも付き添ってもらい、親子3人で隣町にある小児クリニックへ。

二人の心理士に迎えられ、私がひとりの心理士と話している間、息子は主人と一緒に別の部屋で発達テストを受けました。なので、息子がどんなテストを受けたのか、あまり定かではありません。

主人によると一言も話さなかったそうですが、絵カードの質問に指差しで答えたそう。運動テストは廊下と階段で行っていたので、たまたま最後の部分を見ることができました。

心理士との問診では、息子の成育歴やそれまでの対人関係、学校と家庭での様子などを詳しく訊かれました。また、私達が気になっていることにも耳を傾けてくれました。

長い問診が終わって廊下に出ると、ちょうど発達テストで息子が階段を上り下りしている最中。「次は、ジャンプしてみようか」と促す心理士に、息子は尻込み。が、主人がジャンプしてみせて何度か促すと、へっぴり腰ながらなんとかジャンプできました(主人に来てもらって大正解)。

その後少し待たされて、二人の心理士から問診と発達テストの結果を聞くことに。

  • 発達は年齢の4歳10ヶ月にきっかり見合うもので、早くはないが遅れもない
  • 父親とコミュニケーションが取れており、対応も年相応
  • アスペルガー(ASD)ではない
  • しかし、極端にシャイなため、学校での見守りが必要

その結果にホッとしたものの、最後に「今後はクリニックに通う必要はありません」と…。

えっ、そんなぁ!

学校にも発達テストの結果のコピーを通知するとのことでしたが--場面緘黙の治療は?SLT(言語療法士)は?

焦った私は、恐る恐る「あのう、息子の学校で話せない状態は、場面緘黙ではないでしょうか?」と訊ねてみました。

すると、心理士のひとりが「ああ、そうですね」と…。

思わず前のめりになって、「あの、場面緘黙の支援団体SMiRAによると、緘黙の治療を担当するのは大体SLTだそうです。どうかSLTを紹介してください!お願いします!!」 と懇願してしまいました。

今考えるとすごく図々しい….母は強しですね。

(イギリスでは「言ったもの勝ち」みたいなところが多々あって、黙っていると「この人は現状で満足している」と見なされがち。反対に、相手の状況や気持ちを慮って本人に聞かずに何かをすると、「要らぬお節介」となることも…)

そんな訳で、小児クリニックで場面緘黙を自己申告して、なんとかSLTを紹介してもらえることになりました。が、いつ・どこで会わせてもらえるかはこの時点では不明。(なにせ無料のNHS国民健康保険なので、何ごとにも時間がかかるのです)

この発達テストの結果は1か月後くらいに届いたのですが、心理士のレポートにはSelective Mutism(場面緘黙)の文字は見当たらず!

自己申告だったから?自閉症の診察だったから???

でも、「コミュニケーションを促すために、SLTを紹介する」と記してあり、やっと本格的な治療をしてもらえる、と期待に胸が膨らんだのでした。この時は、SMiRAの情報により、SLTが自宅を訪問してくれるんだろうなと思い込んでました。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳 (その19)B君ママに告白

お昼休みの校庭で、息子がひとりぼっちだった――その現場を見た瞬間、再び金槌で頭を殴られたようにガーンときました。

でも、反対に「これはイカン!何とかしなければ!」と自分を奮い立たせる転機ともなったのです。

放課後の校庭では、幼稚園時代からの親友T君と遊べるけれど、クラスでは遊べる子がいない。別クラスのT君は自分のクラス内での友人関係があるだろうし、それにあと1年ほどで帰国してしまう…。

息子のクラスには日本人駐在員のお子さんたちが数人いましたが、特に仲良くなれそうな子はいませんでした。そこで思い出したのが、以前担任から「やっと友達ができました。B君です(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)をご参照下さい』」と言われたこと。

息子にB君について訊いてみると、感触は悪くなさそう。そこで、お迎えの時間に大胆にもB君ママにアプローチしてみたのです。友だちを家に招くことを「プレイデート」というのですが、それほど親しくないので内心ドキドキ。でも、何ごとも当たって砕けろ!

(イギリスでは小学校低学年まで子どものお迎えは保護者の義務。同じクラスのママさん(時に、パパさんやナニーさん)が毎日校庭に集まるため、みんな顔見知りなんです。B君は息子と同様早生まれで1月入学だったため、少しは世間話する間柄でした)

今考えると、このB君ママがものすごくできた人でした!いきなり場面緘黙について説明し、「息子がB君に親しみを感じているようなので、できたら一緒に遊ばせたり、家に遊びに来てもらえないか?」という唐突なお願いに、快く応じてくれたのです。(後に、入学後2、3か月の間、B君が家で時々息子の名前を出していたことが判明)

翌日、彼女の方から声をかけてくれ、「昨日ネットでSMについて調べてみたわ。大変そうね。できるだけ協力するわ」と。一方的に頼んだのに、ありがたや~!早速、次の週に息子たちを連れて公園に行くことに。

公園で息子たちが一緒に遊んでいる間、母親同士でおしゃべりし、息子の性格や緘黙の説明をすることができました。B君は当時R君と仲良しになっていて、B君ママは無理してB君と息子を遊ばせる必要などなかったのに--本当に感謝感謝です。

この時息子は全く声を出しませんでしたが、私にくっつくこともなく、B君と二人で遊具へ。ちゃんと動けていて、結構楽しそうに遊んでいました。同じ学校の生徒が来ない公園を選んだので、安心できたんでしょう。そして、親同士が一緒にいることで、子どもも安心するんだと思います。

普段からおしゃべりで好奇心の強そうなB君、何も話さない息子と遊んで楽しいかな?また一緒に遊んでくれるかな?

そんな私の心配をよそに、B君は家に来てくれました。一緒におやつを食べた後、息子はB君に自分の玩具を見せ始めました。初めて来たB君に、自慢したかったんでしょう。カーペットの上にいっぱい玩具を出して遊んでいるうちに、息子はいつの間にか声を出していました。やった!

小さい子がすごいのは、状況を自然に受け入れてくれるところです。息子が話していることに驚く様子もなく、それが当然のようにふるまうB君。もちろん、「〇〇君がしゃべった!」などと言うこともありませんでした。

多くの子どもは、入園や小学校入学など集団生活を開始し、社会的な環境が大きく変わる際に場面緘黙を発症します。早期発見が重要と言われる理由のひとつに、周囲の子どもの受容力が大きいというのもあると思います。周囲が「そのままの自分」を受け入れてくれれば、緘黙児も安心できますよね。不安度が下がれば、声が出やすくなります。

(ちなみに、女の子のクラスメート(5歳)が家にやってきた時は、息子がしゃべったのに驚きの声を上げました。でも、理由を追究することはなく、すんなり受け入れてくれた様な。小さい子はダイレクトにものを言うけれど、思考はすごく柔軟です)

お迎えに来たB君ママに「声が出せたの!ありがとう!」とお礼を言うと、とっても喜んでくれて、本当に嬉しかったです。

この後、週1回くらいの頻度でB君とプレイデートを続けましたが、このB君との友情が息子の緘黙克服への大きな力となったのです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その18)悲しい想い

SMiRA会長のアリスさんから「あなたが学校を啓蒙するのよ」と後押しされ、まずは担任とSENCoに場面緘黙の資料を渡すことにしました。

今なら、お迎えの時に担任のところに行って即ミーティングを申し込むでしょうが、何しろ当時はまだ右も左も分からない新米保護者。他のママさん達に息子の問題を知られたくない気持ちもあり、なかなか行動に移せませんでした。廊下とカーテンで仕切られただけのSENCoの部屋に行くにも、人目が気になるし…。

実は、息子の学校には日本人駐在員のお子さんが多く、「変な風に誤解されたくない」と不安に思ってました。ロンドンの狭い日本人社会。思い込みもあるかもしれませんが、本人の知らないところで噂が広がる風潮があったような…。幼稚園時代にちょっとした出来事(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)』をご参照ください) があったり、全く接点のない私のところまで別の学校の児童の噂が伝わってきたりして、「知らないところで何か言われたら嫌だな。息子にレッテルを張られたらどうしよう」とナーバスになっていたのです。

どういう訳か、大人も子どもも日本人同士で固まる習性があり、息子は放課後の校庭で幼稚園時代の親友T君と一緒に日本人グループと遊ぶことも多かったのです。クラスではひと言も話さないのに、放課後の校庭では寡黙ながら日本語で話している状態。わざわざ「緘黙なんです」と公表するのも変だし…。T君と二人きりだと普通だったため、T君ママにも息子が緘黙であることを打ち明けられずにいました。

放課後の校庭では、T君となら割と自由に遊べて話せていました。が、日本人グループに入ると途端に遠慮がちになり、オマケっぽい存在に。幼い弟妹が「当然」という顔でグループに加わって傍若無人に振舞っているのに比べ、「なんでそんなに遠慮してるの?」と不憫に思ったものです。そして、息子をひとりっ子にしてしまったことが悔やまれました。仕方のないことですが、上に兄姉がいたらもっと自信を持つことができたかも…と。

たまたま仕事のため、T君ママに息子のお迎えを頼んだ時のことです。T君ママはTAのひとりに「◯◯君は教室では全然しゃべらないのよ。今T君とはちゃんと話してるわね。変ね」と言われたそう。「子どもの前で、何て無神経な」と憤りを感じましたが、当時は抗議をすることなど思いもつかず…。ひとり悶々とした想いを引きずってました。

当時は支援する側の学校に緘黙の知識がなく、スタッフの教育も皆無でした(まあ、それでももう少し気を使って欲しいものですが)。親切心から無理に話させようとして二次障害を併発してしまう恐れもあるので、やはり関係者に知識を持ってもらうことは大切ですね。

また、ある日ちょうど学校のある道を通りかかり、「今頃お昼休みだから、校庭に出てるかも」と木製のフェンスの節穴から中を覗いてみたんです。そうしたら、ひとりぼっちで所在なさげにクラスメートの近くをくるくる走っている息子の姿が…。そこには、別のクラスのT君の姿はありませんでした。

クラスに遊べる友達がいないんだ――と大ショックを受け、とても切なかったです。

その後、何とか担任にSMiRAの資料を渡して、SENCoにも伝えてくれるようお願いしました。今考えれば、なるべく早く三者懇談をお願いするべきだったと思います。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その17)「場面緘黙」だ!

ご無沙汰しています。今日で8月が終わり、明日からもう9月…。イギリスでは2週間ほど前から朝夕の気温が下がり、秋の気配が感じられます。「夏休みにはもう少しブログを書こう」と決心していたのですが、思いがけず仕事が入り、その上外出する機会も多かったので、すっかり怠けてしまいました…。

………………………………………………………………………………………………………………….

さて、息子の症状が場面緘黙だと判ったのは、私がネットを徘徊し始めて3ヶ月ほど経った頃でした。最初は、ダイニングルームでの耳塞ぎからASDを疑い(詳しくは『その13』をご参照ください)、ASD児の保護者達が綴るブログを次々と訪問していました。

でも、こだわりや感覚過敏については似た部分があるものの、やっぱり違う…(今考えれば、「耳を塞ぐ」や「アスペルガー」で検索していたので、「学校で話せない」にヒットするはずはなく)。それでも、子どもひとりひとりの成長や保護者の苦悩、努力、喜びに心を動かされ、夢中になって夜半まで読みふけってました。

そんな中で出遭ったのが、確か小学校3年生くらいの男の子のお母さんが書いているブログでした。小さい頃から極度の恥ずかしがり屋で、家ではものすごくおしゃべりなのに、外に出ると別人のようになり、全く話せず動きも限定されてしまう――「うちの子に似てる!」と思いながら読み続けていくうちに、ついに「場面緘黙」という言葉に遭遇したのです!

場面緘黙――それまで一度も聞いたことがない言葉。急いで検索してみたところ、富重さんが運営する『場面緘黙ジャーナル』など一握りのSM関連サイトにたどり着きました。家では普通に話せるのに、学校など公の場では話せない――息子の症状はこれだ!ちゃんと名前があったんだ!

向き合うべき問題がクリアになったことが本当に嬉しく、「息子だけじゃなかった」と安心できたのを、今でもはっきり覚えています。英語ではSelective Mutismだということも判明し、検索の結果SMiRAのサイトにも行きつきました。今から13年も前の、2005年5月のことです。

勇気を出してSMiRAに電話してみたら、創設者のひとりであるリンジーさんが応えてくれました。その後、会長のアリスさんが電話をくださり、私の説明に「それは場面緘黙ね」と判定してくれたのです。色々アドバイスもいただき、とても心強かったです。

かつて精神医学ソーシャルワーカーだったアリスさんは、60年代にいち早く「家の外で話さない子ども」に遭遇し、場面緘黙とその治療法を研究してきた先駆者です。当時はイギリスでもSMがまだ広く認識されておらず、学校はもちろんSENCoでさえ知りませんでした。

そんな中、ネットの普及によって(当時はまだダイヤルアップ方式で接続に電話料金が必要でした)、全く面識のない人たちのサイトやブログから知識を得たり、助けてもらったことを本当に感謝しているのです。私のこのブログも、どこかで誰かの役に立つことがあったら嬉しいと思っています。

(蛇足ですが、「場面緘黙」に遭遇したブログのお子さんは、どういう訳か検診の時に突然ハイになってしまい、発達障害(ADHD)と診断されたとか…。あるASD児の母親のブログと彼女のブログが繋がっていたため、偶然発見することができたのです)

こうして、やっと判明した場面緘黙のことを知るために、まずはSMiRAの資料をプリントアウトし、SMiRAとレスター大学が出版した『Silent Children(日本版では『場面緘黙へのアプローチ』を購入。アメリカのSM支援サイトや日本の緘黙サイトを覗いたりしながら、息子の緘黙克服への支援が始まったのです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その16)トイレの問題

緘黙児が学校でトイレに行くのを我慢することは、かなり多いようです。息子も例にもれずそうでした。帰宅するなりトイレに駆け込むことが多かったです。

担任に訊いたところ、「トイレタイム」を設けて、行きたい子は行くよう促しているとのことでしたが…。本人がそのことに触れられるのを嫌がるので、「ちゃんとトイレに行こうね。怖くないよ」と言ってあげるくらいしかできませんでした。

息子は普段からあまり頻繁にトイレに行く子ではなかったのですが、我慢するのに慣れたのか間隔がより長くなったような…。学校に毎日持参する水筒の水はあまり減ってなくてー多分、トイレに行かなくていいように水を飲むことを控えてたんでしょうね。

お粗相をしたことはなかったので、先生もそこまで気にかけてなかったと思います。もし学校でお漏らししてしまったら、4、5歳といえど本人はすごく傷つくはず。親としては、極力阻止したいですよね。

緘黙児は話せないから「トイレに行きたい」とは言い出せないし、基本的に目立つことを極端に嫌うため、自分から行動することは難しいのです。「トイレカード」を使うという方法もありますが、自主的にカードを見せてトイレに行ける子は少ないのでは?

先生が時間を見計らって誘ってあげたり、クラス全体にトイレタイムを促したりする方が、本人は行きやすいと思います。目立たないように、さり気なくがポイントです。

ちなみに、私が3年ほど前にレセプションクラスで自閉症の男の子のお世話をした時は、様子を見つつ1時間半おきくらいにトイレに誘ってました。毎日お漏らししていたのが殆どなくなって、本人も私もほっと一安心。心なしか、クラスでのびのびできるようになったような…。

あと、教室で緘動状態に陥り、大人が手を添えないと何もできないという緘黙児もたまにいます。声を出すことだけでなく、体を動かすことも、酷くなると机から動くことすらできなくなってしまうのです。

緘黙と同様、時間が経てば慣れて動けるようになるという保証はありません。「そのうち慣れる」と放置しておくと、症状が定着してしまう恐れもあります。年齢があがると、パニック障害など他の不安障害を併発する可能性も出てくるので要注意。

緘動の子どもには、声掛けをしたり、手を添えたり、着替えの手伝いをしたり、優しく見守ってくれる大人が不可欠だと思います。

イギリスの学校だと、担任の他にTAがいるので大人が介入しやすいですが、これも学校の方針や予算、クラスの状況次第。緘動が長引くと学業や社会性に大きく影響してくるので、SENCo(特別支援コーディネーター)が個別教育プランを立てたり、CAMHS(Child and Adolescent Mental Health Service)への受診を勧められるケースが多いよう。

私が知っているイギリスの緘黙児の中には、緘動状態が1年以上も続いたため、保護者が学校にかけあった末、EHCplan(Education, Health and Care Plan 教育・健康ケアプラン)に申請をした子もいます。認可されれば、地区の教育委員会から特別予算がおりるので、その子のためにTAを雇うことが可能になります。

日本だとクラスに大人は担任ひとりということが多いと思うのですが、どの程度の支援をしてもらえるんでしょう?

学校で動けない・話せない本人は本当に辛いと思うので、保護者も積極的に学校と連絡を取り合って状況を改善させて欲しいと思います。子どもは親にとっては唯一の存在ですが、学校では「クラスの中のひとり」でしかありません。忙しい担任や学校がどのように対処しているのか見定めて、「これはマズイ」と思ったら、早めに介入してください。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その15)今見ても切ない…

この春やっと改築工事が終わったうちの屋根裏部屋は、17歳になった息子が陣取っています。2階の部屋から移った際、「もう要らないから」と山積みにしたのは、本箱の片隅にとっておいた幼稚園時代からの絵や学習帳など…。

捨てちゃったら、大人になってから懐かしく見返すことができないのに――。

(ものを捨てられない私は、むかしから整理整頓が苦手。対して、主人と息子は実にキッパリと持ちものに「不用」の烙印を押し、ネットオークションで売ったり、捨てたり、人にあげたり。後で、「あーっ、しまった!」と後悔することも少なくありません)。

ちゃんと箱に入れて物置にしまおうと思いつつ、ずーっと手つかずのまま…。中を見てみたら、学校が作ってくれたレセプション時代の記録ブックが出てきたのです。

当時4歳の息子の絵や写真に加え、先生の言葉も書かれています。最初のページには、2005年2月上旬の写真が。1月後半に入学してその2週間後、場面緘黙になり緘動もあったころです。

「一日のほとんどカーペットに座ったままで、周囲の子ども達のすることを見ています。仲間に入ろうとせず、大人の誘導が必要」と担任の言葉。

床のカーペットにひとりポツンと座り込み、困ったような顔で周りを見ている息子の姿…。

今見ても、とても切ないです…。

 

知らない子達の中、不安で自分からは動けないんです。

仲間に入りたくても、入れないんです。

緘動だったんです。

同ページのもう1枚の写真には、「大人が何度も声掛けしても、自分の名前を書くのに30分以上かかりました」とあります。名前は幼稚園の頃に書けてたのに…。

(幼稚園の記録ブックを見ると、親友と遊んでいる写真が多く、この頃は緘動ではなかったことが判ります)。

でも、次のページには活動テーブルに座ってジグソーパズルをしたり、字を書く練習をしたり、玩具で遊んでいる写真があって、ほっ。

日付は2月下旬頃からのもので、よく見るとお隣にいつも同じ男の子がいるのです。入学して2週間弱、「やっとお友達ができました」と担任に言われたB君でした。

(B君も早生まれで1月に入学。後にB君ママから聞いたのですが、息子が緘黙・緘動になった頃、B君は水疱瘡にかかって10日ほど学校を休んでいたとか。やっと親しくなりかけた子が突然いなくなったことも、息子の心理に影響したかもしれません)

レセプションクラスは就学準備コースのようなものなので、幼稚園とほとんど変わりません。子ども達は好き勝手に教室内の複数の活動テーブルや専属の中庭を移動して、遊びながら学びます。その中に、算数や国語の基礎をやらせる活動もあり、先生やTAが「サイコロを転がして、1から6までの数字を書く」というような課題をさせます。

みんなが好き勝手にあっちこっち動き回り、複数の課題を簡単にこなしているのに、息子は活動テーブルに行くのも最初はTAに誘導されていたよう…。B君となら一緒にいても大丈夫らしいと気づいてくれ、同じ活動をさせる配慮してくれたのだと思います。

緘黙ではなくても、不安を感じている子どもにとって安心できる環境作りは本当に大事。今考えても、とってもありがたいです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その14)褒めて自信をつけさせる

この秋は例年に比べ暖かでしたが、11月に入ってさすがに冷え込みが厳しくなってきました。森の中の散歩道は、高い樹々からハラハラ散る葉っぱで埋もれています。イギリスでは落葉樹はそれほど紅く紅葉せず、黄色くなって散ることが多いよう。

     しーんと静かな森に、時折カサコソとリスが動き回る音が

さて、息子の緘黙の続きです。

学校も、母親の私も、どうして息子が教室で固まって動けなくなったのか理由が判らないまま、支援がスタートしました。

以前、教室で息子と一緒に過ごした際、息子の顔が能面のようになったのを見て心底驚いたことを書きました(詳しくは『息子の緘黙4〜5歳(その10)』をご参照ください)。これに加え、もうひとつ驚いたのは、息子の描く絵が変わったこと。

息子は割とお絵描きが好きで、黄色やオレンジなど明るい色彩を使ってカラフルな絵(線画っぽい)を描くことが多かったのです。でも、この時期に学校から持ち帰ってくる絵は、まるで別人のもの。色使いが黒っぽくなり、人や動物などの対象ではなく細い線でグルグルと塗りつぶしたような感じに…。

一番ショックだったのは、赤黒いボールペンで一面を塗りつぶしたような絵。たまたま近くにあったボールペンを手にしただけかもしれませんが、「えっ、なにこれ?!」と不安になりました。もしかしたら何か心理的な問題を抱えているのかもと、怖くなったのです。

この頃、息子と同じような子はいないものかと、毎日深夜までネットサーチをしていました。自閉症児のお母さん達が綴るブログを読み漁って、その子育ての大変さに驚かされ、ふと気づくと午前1時を周っていたり…。でも、なんか違うんですよね。

主人は親身になってくれないし、ひとりぼっちで暗いトンネルの中にいるような心持ち。寝不足も手伝って、毎日が不安でたまりませんでした。

でも、癇癪は増えたものの、家での息子は以前とあまり変わりません。学校に行きたくないとは一度も言ったことがなく、毎日普通に登校してました。学校が終わって教室から出てきた後、クラスが違う幼稚園時代の親友T君と校庭を駆け回る姿を見るのが救いでした。

T君のママには、息子がクラスで動けなくなってSENCOとミーティングをしたことは黙っていました。放課後は以前と変わらず動けて遊べているので、なんとなく言い出せなかったのです。

ある日、教室で保護者が子どもの様子を見学できる日がありました。たまたま担任が息子の側にいたんですが、二人の女の子がやってきて、「先生、◯◯君はどうしてやらないの?」と息子が課題をしないことに触れたのです。

すると、先生は「◯◯君は準備ができたら自分でするから、放っておいてね」とにっこり。女の子たちは納得したのか、すぐどこかに行ってしまいました。その言葉に、「さすが個人主義の国だな」と妙に感心した記憶があります。

担任は大学を卒業したばかりの若い先生でしたが、姉御肌というか、包容力があってとても頼りがいのある女性。よく泣いてる子を膝にのせて(本当はダメなんですが)いたのを覚えています。

「日本語で”It’s all right”は何ていうの?」と私に訊いてくれて、息子にはよく「大丈夫、大丈夫」と日本語で声かけしてくれていたよう。それから、息子が何かできた時には、ご褒美の黄色いCertificate(頑張った子への証書)を気前よく出してくれました。

毎週何枚かCertificateをもらってくるのですが、ある日の放課後クラスの子が寄ってきて、「あ~、僕まだ1枚しかもらったことない!いいな~!」と羨望のまなざし。後でクラスのママさんに訊いたら、普通はそんなに頻繁には出してもらえないんだとか…。全然知りませんでした。

イギリスではよく「褒めて育てろ」と言うんですが、不安を抱えている息子に自信を持たせようとしてくれてたんですね。

そんな温かい支援のおかげと、学校生活への慣れもあってか、息子はなんとか動けるようになり、徐々に課題もこなせるようになっていきました。緘黙は続きましたが、緘動は1、2ヶ月で脱出できたようです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み

秋も深まり、黄色く紅葉した落葉樹の葉が散り始めました。10月末に時計を1時間進めて冬時間になったため、午後4時半を過ぎると、つるべ落とし式にまっ暗。もうすぐ冬だな、としみじみ思う今日この頃です。

さて、息子の緘黙の続きです。

今から思えば、滑り台事件のあと息子は緘黙のみならず、すっかり緘動状態になっていました。でも、その時は私も学校側も「場面緘黙 Selective Mutism」という言葉すら知らなかったのです。2005年当時は、イギリスでもまだ場面緘黙が良く知られてなかったんですね。

イギリスだったら、すぐ保護者が学校に行って子どもを支援できそうと思われる方もいるかしれません。でも、実際はそうでもないのです。学校によって方針は異なり、家族が直接学校でできる支援はピンからキリまで。

ちなみに、息子の小学校の幼児部 (Infant School 4〜7歳)では、クラス35人の子ども(4~5歳児)に対して、担任とTAがつきます。更に、クラスにアスペでStatementを持つ子がいたため、その子専用のTAが定時間ついていました。これに加え、複数人の母親がクラスヘルパーとしてお手伝い(ひとり週に1回2、3時間程度だったような)。

私もヘルパーになれれば良かったのですが、早生まれの息子が1月に入学した時には(通常は9月から)、既に空きはなし。その時は、「自分が手伝えるかも」ということは全く思いも浮かびませんでした。

(余談ですが、「何故X君とY君のママがクラスを手伝ってるんだろう?」と最初は不思議に思ってました(笑)。入学式も保護者説明会もなく、お知らせは学校が出す週1のニュースレターか担任からのノートのみ。学校やクラスのシステムは、お迎え時間にクラスのママ達とおしゃべりしながら学んだのです…)

ということで、息子が教室で動けなくなった当時の支援は、すべて学校にお任せでした。場面緘黙への対策ではなく、教室で動けない生徒への対策でしたが、学校の取り組みはすごく的を得ていたと思います。

最初にSENCOに会った時、次のように支援していくという話になりました(息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)をご参照ください):

  • 幼稚園時代からの仲良しのT君(別のクラス)となるべく一緒に遊べるようにする
  • 小さいことでも何かできたら褒め、少しずつ課題や活動ができるようにする

イギリスでは特別支援が必要な子どもをSEN(Special Educational Needs)リストに加え、症状に合わせて支援していきます。身体的・発達的・精神的な問題で「学習における困難さや障害」を抱える子どもは、症状の程度にかかわらず何らかの支援を受けられるシズテム。障害が重く、地区の教育委員会から認定を受けると、Statement(現在はEHCプランに切り替え)が発行され、学校にその子のための予算がおりるので、追加のTAを雇えるのです。

SENCOとの初めてのミーティングしたのが2月の終わり。その後、SENCOと担任が相談して、もっと具体的なIEP(Individual Educational Plan 個別教育プラン)を立ててくれました。

サポートの形式: 小グループもしくは1対1

ターゲット1: 毎日自分でひとつアクティビティを選ぶ

  • 達成基準:毎日観察
  • リソース&テクニック:ブロックやレゴなど組み立て式の玩具を使用
  • 作戦:他の子どもや大人と一緒に行う
  • 担任とTAへの提案:隣で遊び方をデモンストレーション&説明

ターゲット2: 大人の呼びかけに、顔を見て対応する

  • 達成基準:1対1、小グループ、クラス
  • リソース&テクニック:名前を呼び、ジェスチャーを使ってフォーカスさせる
  •            できたら褒めて、正しい行動を強化する
  • 担任とTAへの提案:誰かに話しかけられたらその人の顔を見るよう話す

(レセプション・クラスは就学への準備コースのような感じで、遊びながら学ぶ方式。やっていることは幼稚園とあまり変わりません。教室内の4つの大テーブルにそれぞれ違う活動・遊びがセットされ、毎日算数や国語の基礎的な課題を2つほどこなすよう、先生が誘導します。この他、クラス全員でカーペットに座って読みきかせやアルファベットなどを教える時間も)。

IEPは1学期ごとに見直し、成果を吟味したうえで次のターゲットを決めます。たいていは、保護者、SENCO、担任でIEPミーティングを行うのですが、専門家が関与している場合は専門家も加わります。

現在、IEPを立てることは義務ではなくなったようなんですが、文書にすることはとても有効だと思います。当時は、専門家が関わらない場合はSchool Action、加わる場合はSchool Action +となり、支援がより手厚くなる制度だったように思います。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その12)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その12)ダイニングルームで耳ふさぎ?

久しぶりに息子の緘黙記に戻ります。なかなか前に進まなくてすいません。

学校の資料に書いてあったSchool Nurse(学校看護師?養護教諭?)に相談しようと思い、お迎えの時に担任に問い合わせました。すると、School Nurseは週に数日しか出勤していないとのこと。それから何気なく、「○○君は今日ダイニングルームで耳をふさいでました」と言われたのです。

一瞬「は?」と思いました。それまで息子が耳をふさぐ姿なんて見たことがなかったからです。

イギリスの小学校では、大きなダイニングルームに複数の学年が集まって給食やお弁当を一緒に食べます。クラス毎に固まって大テーブルに並ぶのですが、人数が多いのでかなり賑やか。でも、それまではランチタイムのことは何も言われたことがありませんでした。

「耳をふさいでいた」というのがとても気になり、ネットで調べてみたところ、ヒットしたのは「自閉症」。恥ずかしながら、当時の私は自閉症の知識はほとんどありませんでした(当時は、まだASDという呼び方もしてなかったと思います)。

息子は物心ついた頃から車・電車オタクで、特に2歳後半~幼稚園に入るまで仲良しだった日本人の男の子とは、いつも道路や線路などを組み合わせてマニアックな模型遊びを楽しんでました。二人とも腹ばいになって、「あーっ、僕のホンダが中央線にぶつかる」「ストップ、ストップ」などと、自分たちでストーリーを作りながら車や電車を走らせるのです。

ある日、その子のママが「自閉症の子って、車輪が回るのを見てるのが好きなんだって。うちも車輪を見てるから、昔ママ友と『もしかしてうちの子も』って疑ったことがあるの」と思い出話をポツリ。その時に初めて自閉症という言葉を意識したのでした…。

でも、彼女の説によれば、「この子達は、車輪も含めて車が走行しているところを見てるんだよね。自閉症の子は車輪だけを延々と回すらしいの。それに、行き先とか次に何が起こるか想像しながら物語を作ってるでしょ?これってごっこ遊びの一種なんだって」とのこと。

その時は、「ふーん、そうなんだ」と思ったきり…。ごっこ遊びをしない、指差しをしない――息子はそうではなかったし、検診でも引っかからなかったため、他人事のように考えてたんですね。

なので、ネットサーチで「自閉症」をヒットした時には、「えええっ?!」という感じで驚きました。

2005年当時はまだPCとモデムを繋げ、電話回線を使ってインターネットをしていた時代。スピードもとても遅かったのですが、ここから私のネット徘徊が始まりました。最初のうちは、毎日、毎日、自閉症の解説とか、保護者の方のブログを読んでいたのです。

その世界はとても奥が深く、同じ自閉症といっても人によって全く違っていて、症状にも大きな差があることを初めて知りました。衝撃的でした。

自閉症の3つの特徴は

  1. 社会性と対人関係の障害
  2. コミュニケーションや言葉の発達の遅れ
  3. 行動と興味の偏り

息子の場合、集団や慣れない場所だと引っ込み思案になるのですが、慣れた人と1対1だったら問題はありません。大人に甘えるのが結構上手で、1歳になる前から常に友達がいて、仲良く遊ぶことができてました。なので、1と2はクリアしてるのかなと思いました。が、頑固なところがあり、こだわりはかなり強い方。さらに、自閉症児に多い感覚過敏もありました。

ブログ巡りをしているうちに、言葉の遅れはないので、もしそうだとしたらアスペルガー症候群なんだろうなということが解ってきました。でも、「こだわり」については似てる部分もあるのですが、パニックになったことは一度もないし…。

悶々としているうちに、学校でやっとSchool Nurseに会うことができました。「もしかしたらアスペルガーかもしれないんです。どうしたらいいでしょう?」と訊いたところ、小児クリニックに紹介してくれることに。

たしか、3月頭に申し込んでくれて、実際の診察まで3ヶ月以上待たなければなりませんでした。

その間も、私のネットでの探求は夜な夜な続いたのでした…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)自宅での様子

PCのファイルを整理していたら、懐かしい映像が出てきました。確か、2005年の夏に窓の修理をしたときのものだったと思います。

当時、5歳くらい(5歳の誕生日前か後か不明)だった息子は、ビデオカメラで色々撮影するのが大好きでした。この時は居間の古いサッシュウインドー(うちは100年位前のエドワード王朝時代に建てられたテラスドハウスです)を修復していて、床やソファはダストシートで覆われ、修理機器やら掃除機がどーんと陣取っています。

確か、修理の職人さんたちがランチタイムの休憩中で、誰もいない間に撮影したように記憶しています。

なんか落ち着きがないですね。幼少の頃はかなりオシャベリな子どもで、一緒にいるとうるさい位でした。(今はこの映像からは想像もつかないくらい落ち着いてます)。声のトーンが人一倍高くて、本当にうるさいですよね…。

息子は4歳半で小学校のレセプションクラスに入学。就学3週間目に混み合う滑り台から落ちるという事件に遭遇し、それがきっかけで場面緘黙になりました(事故直後は緘動も)。幼稚園では寡黙でしたが、大人がいないところでは日本人の親友と日本語で普通に話していたよう。

小学校では親友とクラスが分かれてしまい、初日から自分の英語力に引けめを感じていました。それまでは日本語中心の生活をしていたのですが、緘黙になってしまったこともあり、英語に切り替えることに。すると、あっという間に英語の生活に変わってしまいました~(涙)。

緘黙を悪化させないために土曜日の日本語学校に入れることを断念したのですが、今でもちょっと後悔しているのです…。私が教えればいいやと思っていたものの、聞く・話すはよくても書くのが大嫌いで――結局漢字をやってる途中で放り出してしまいました。

話がそれてしまいましたが、自宅で撮影した映像を担任や医師などに見せて、子どもの普段の様子を知ってもらうことは結構重要だと思います(私の場合は、映像でなく録音した声を聞いてもらったんですが)。学校や家の外でのイメージとは全く違う本当の姿を見てもらうことで、子どもがいかに緊張しているか、親がどんなに心配しているかを解ってもらえるのではないでしょうか?口で説明するよりも説得力があるのは確かです。

また、学校ではできない本読みや楽器の演奏、唱歌などを、映像を見て評価してもらうという方法もあります。今や携帯で簡単にビデオを撮って送信できる時代なので、それを活用しない手はありません。

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