息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5) 学校外でのスモールステップ

イギリスの秋はどんどん深まってきました。今年もあと2か月半で終わりかと思うと、時間が過ぎるのが本当に早いです。

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Cちゃんの誕生会に行ってから、学校外で随分人目を気にするようになり、緘黙が悪化してしまった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

それまでは割と平気だった、学校外での社会的場面――買い物、外食、公共交通機関での移動など――を嫌がるようになりました。周囲をすごく意識するようになったのです。緘黙だけでなく、対人恐怖症というか社会不安も一挙に増大。

学校の支援のお陰で少~しずつ改善しつつあると思えた対人関係も、一気にどん底に…。

う~ん、どうやったら元の基準にまで戻せるものか…。ここでも、やはりスモールステップで場に慣れさせるCBT(認知行動療法)を試みました。

この時に役立ったのが日本でもお馴染みになったIKEAのカフェでした。その利点は、

  • 家から離れていて、知り合いに会う確率が0に近い
  • 大好きなミートボールが食べられる
  • 自分で好きな席を選べる
  • 周囲がガヤガヤしている

最初は嫌がっても、好きなものを食べている時は、食事に集中して周囲の目を気にしなくなりました。回を重ねる毎に、誰も見ていないことを徐々に実感できたよう。

バスや地下鉄にも頻繁に乗るようにしました。その時に息子が安心できるよう注意したのは、

  • 最初は知り合いに会わないよう、ちょっと遠くで練習してから徐々に近所へ
  • あまり混んでいない時間帯に利用
  • バスでは息子が窓側に、私が通路側に座るようにする
  • 声かけ「大丈夫」「怖くないよ」「よくできたね」を忘れずに

スーパーや息子の欲しいものがある玩具屋/文具店での買い物作戦も有効でした。注意点は、

  • まずは学校から離れたお店で
  • 好きなものをひとつ選ばせる
  • 嫌がらなかったら、レジまで持って行かせる
  • 様子を見ながら自分でお金を払わせる
  • 声かけを忘れずに
  • (全部クリアできたら、私の声に合わせて「ありがとう」と言わせてみる)

上記のようなスモールステップで、少しずつ少しずつ恐怖症が治っていったように思います。長い道のりですが、諦めずに根気よく。注意すべきは、緘黙児は間が空くと元に戻ってしまう習性があること。なるべく頻繁に行う必要があります。

私が実践したスモールステップは、息子ができそうなことを選んで、自分で考案したもの。緘黙児はひとりひとり違うので、その子に合うスモールステップを組み立ててください。自分の子を一番良く理解しているのは保護者だと思うので、プロに頼まなくても大丈夫です。

そして、ひとつできたら次はもう少し高めのステップにチャレンジさせます。できなかったら、ステップをもっと細かく修正して再チャレンジ。

常にできそうなステップを準備して、少しずつ自信をつけさせることが重要です。失敗して後退してしまうこともあるかと思いますが、その時はその時。怖がらずに親子でチャレンジしましょう!

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4) 先生が僕を喋らせようとする!

1年生の教室と担任にも慣れてきたかなと思う頃、息子が帰宅するなり「TAの先生が僕を喋らせようとするから、ヤダ!」と訴えてきました。

何の事だろうと聞きだしてみると、息子は読本ができない(教室で声を出せない)ため、別室にてTAと1対1で読本を見てもらっているとのこと(息子ほかにも複数名いて、各15分位ずつ)。そのTAが息子に声を出させようとするので嫌だ、というのです。

あれっ? まずは、話すプレッシャーを無くして、子どもの不安を減少させることが緘黙支援の基本だよね??

前年にSENCo(特別支援コーディネーター)にSMiRAの資料を渡してあり、担任や他のスタッフにも息子が場面緘黙であることは通達されてるはず、と思い込んでいた私。が、どうもそうではないような…。そこで、担任にお願いして、TAとの読本セッションに私も参加させてもらうことにしました。

当日、息子と一緒に読本セッションに行き、TAに「どうして息子が話さないかご存知ですか?」と訊ねてみました。すると、即座に「知りません」と返事が…。

「学校内の連携ができてない~!」とショックを受けましたが、TAはパートタイムだし、担任と話す時間もあまりないのかも…と推測。子どもが本を読めるようにするのが彼女の役割なので、「声を出させるな」という注文は酷かも…。

とりあえず、簡単に場面緘黙の説明をし、話すようプレッシャーをかけないようお願いしました。

それから、その日の読本が始まったのですが、TAは即座に「声を出して読む」のではなく、「指さし」で単語や内容について訊ねるという形に変えました。私が隣にいて安心できていたためか、息子は指さしでTAの質問に答え始めました。

すると、「まあ、ちゃんと解ってたのね!」とTAが感嘆しているではないですか!「グッドボーイ!」と何度も褒められ、息子もまんざらではなさそう――それまで、どれだけできない子と思われてたのか…(-_-;)

何も話さない子に対してTAも接し方が判らなかっただろうし、どうも緊張で身体が動かない緘動状態になっていたのでは、と疑われました。

話せないこと、普通に動けないことで誤解されることって、結構多いかもしれません。誰かが気付いて誤解を解いてくれればいいですが、先生たちも忙しいので、見過ごされてしまうこともあるかも…。

その後、息子は読本セッションに喜んで行くようになり、結果的には担任より先にこのTAに話すことができるようになったのです。

緘黙児に対する接し方については、自然に子どもに寄り添える先生もいれば、努力してるのに子どもが余計に固まってしまう先生もいますよね…。緘黙児は感性が鋭いので、相性が合うかどうかも大きく影響するかもしれません。うちの子もそうでしたが、緘黙児って人に対する好き嫌いが激しいような…。でも、親身になってくれる先生の思いは、絶対に子どもに通じると思います。

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雨続きの天気の中、イギリスの秋はだんだん深まってきました。雨の合間に太陽が顔をのぞかせると、いつの間にか樹の葉が紅葉しているのに気づかされます。さて、やっと息子の緘黙話の続きです。

真っ赤に紅葉したアメリカ蔦がある知人の庭には、毎日子ギツネが訪ねてきます

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息子の小学校では、クラスは持ち上がりで担任が1年毎に変わるシステムでした。う~ん、7年間ずーっと同じクラスってどうなの?クラスの中でのイメージや交友関係が固定し、息子は目立たない「おとなしい子」のまま卒業してしまうんじゃないか?――入学前はそんな風に疑問視していたのです。

その上、入学後すぐに場面緘黙を発症してしまい、「しゃべらない子」というイメージが固定化してしまう可能性も出てきた訳です(当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったんですが)。

レセプションクラス(4~5歳)から1年生(5~6歳)にあがった息子の新しい担任は、一部の保護者から「厳しい」と評されていた女性教師。でも、いざ新学期が始まってみると、とても熱心できめ細かな指導をしてくれる先生だと判りました。

ちなみに、新担任の名前は前年の3学期の終わりに発表され、子ども達は夏休み前に何度か新しい教室に行って新担任と顔合わせするのです。不安が大きく新しい環境に慣れにくい子どもにとって、担任や教室が変わるのは大変なこと。こういう配慮があれば、子どもは安心できますね。

(日本では2年に1度クラス替えがあるから大変だなと思っていたら、1年毎に替える学校もあるようですね…。緘黙児にとっては負担が大きすぎるのでは?)

息子が新しい担任に馴染めるか心配でしたが、初日に下駄箱まで送っていくと、「マミーはここから来ないで」と、ひとりで教室に入って行きました(イギリスでは小2まで送り迎えは保護者の義務です)。この時、「あっ、こんな小さくても、親が立ち入れない自分の世界を持ってるんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。クラスでは声が出ませんでしたが、登校を渋ることはありませんでした。

イギリスでは1年生からやっと時間割が定められ、徐々に授業に慣らしていきます。この学年では、読本が遅れている子どものために専用のTAをつけたり、ASDの子ども達のためにソーシャルグループ活動があったり。学校心理士に診てもらえたのも1年生の時。今思うと、この学年の支援が一番手厚かったと思います。

息子の学校での様子が知りたい――そう思った私はボランティアの仕事に手を上げました。1年生から体育で水泳が始まるため、着替えのヘルプをしたいと考えたのです。でも、息子に訊いてみたら、「それは嫌!」と断固拒否。多分、入学前にプール恐怖症になったため、自分が「できない」ところを見られたくなかったんでしょう。

その代わり、B君ママと一緒に週1回ITCのお手伝いをすることにしました。子どもを6人位ずつ順番にITCベイ(PCを並べた廊下)に連れて行き、PCを使ってゲームやお絵描きをするというもの。PCに馴染ませる目的の他に、担任とTAが教室に残った子ども達の算数と国語を丁寧に見る時間だったような…。

ボランティアの利点は、クラスの子ども達と接することができ、それぞれの個性や交友関係などが見えてくること。ここで仲良くなれば、家に遊びに来てくれるかもという下心もありました(^^;)

ITCベイに行く途中、子ども達は手を繋ぎたがったり、おしゃべりしたがったり。中には息子が話さないのを不思議がって、私に質問してくる子も。

「ねえ、〇〇君どうしてしゃべらないの?」

「すっごい恥ずかしがり屋で、学校では緊張しちゃうんだよ。〇〇ちゃん、大きなステージに立ってひとりで歌うことを想像してみて。すごく怖いよね?そういう感じになっちゃうんだって」

「ふーん」

「家ではおしゃべりなんだよ。今度遊びに来てね」

「うん」

訊かれる度こういう会話を繰り返していたんですが、みんな素直に納得してくれてたような…。質問してくるのは大体女の子ばかりで、やっぱり精神的な発育が早いんですね。

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大切なことを書き忘れてしまったので、今回は『息子の緘黙・幼児期4~5歳』への付け足しです。

息子は、夏休み中の8月中旬に5歳の誕生日を迎えました。イギリスの学校は9月に始まるので、かなりの早生まれです(早生まれやひとりっ子の緘黙児、多いような気がしていますが、どこかに統計はないかな…)。

夏休み前半の3週間、学校で行われたサマークラブに参加させました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)。

その後、誕生会事件が起こって、緘黙症状が大きく後退してしまった訳ですが、実はサマークラブでは進歩もあったのです。

参加した際、サマークラブの主催者やスタッフ(学校とは無関係)には息子が場面緘黙であることを告げませんでした。というか、当時はSelective Mutism という言葉自体が教育関係者にさえ知られておらず、どう切り出していいのか判らなかったのです。

(今だったら、短い場面緘黙の説明と息子の特徴を含む簡単な対処マニュアルを提出すると思います)

まあ、子ども達は各自好きな遊びを選べるし、親友のT君が一緒なので、大人には話さなくてもT君がいれば大丈夫だろうと、気楽に考えてました。まず第一の目標は、夏休み中に学校環境に触れさせ、新学期にそれほど抵抗なく教室に戻れるようにすること。嫌がらずに行ってくれれば、万々歳だったのです。

ただ、初日にスタッフに挨拶に行き、「ものすごい恥ずかしがり屋で、全くしゃべらないかもしれません」と忠告はしておきました。

このサマークラブはインド系のイギリス人によって経営されていたのですが、夏休みは時間が長く、子どもの数も多いので、アルバイトの若い女学生も数名。ラッキーなことに、その中のひとりが息子に目をかけてくれたのです。

今考えれば、いくらT君が一緒でも、抑制的な気質のうえ緘黙になってしまった息子が、初めての「場所」「人」「環境」に慣れるのは大変なこと。自由きままに動き回る子ども達の中で、息子はひとり固まっていたようでした。

見るに忍びなかったのでしょう。

彼女はものも言わない息子にこまめに話しかけ、遊びに誘ってくれたようでした。もちろん、緘黙に対する知識はなく、この「固まっている子」を何とかしなくちゃ、と自主的に対処してくれたんだと思います。

(クラブが終わって校庭に出てくると、普通に動けるし、私やT君ママには話すので、クラブの最中にどうしているのかは不明)

この彼女お陰で、息子は少しずつサマークラブに馴染んで動けるようになり、バスでの小旅行にも参加することができました。クラブが朝9時から午後3時頃までと長時間だったことも、場慣れするのに役立ったと思います。

息子は家でクラブのことを全く話さなかったので、中盤になって彼女に話しかけられるまで、そんなことは全く知らず…。

そして、最後の日に彼女にお礼を言いに行くと、

「実は、今週は言葉がポツポツ出るようになったの!」

「えっ、本当に?!」

「ええ、単語だけだけど。初めは口がきけないんだと思ってたから、嬉しかったわ」

「ありがとう~~~!!」

可愛い大学生のお姉さんに優しくしてもらって(息子はメンクイです)、不安が低減し、言葉が出るところまでいったんでしょう。

緘黙治療に必要なのは、継続的な温かい支援と根気と適度な励ましだなあ、と思います。

でも、その匙加減が難しいんですよね。

いつ、どんな時にどんな人が助けてくれるか、どんな機会に巡り合えるか判らないもの。親戚に会ったり、子どもが好きそうな習い事にチャレンジさせてみたり――緘黙児の社会的な機会を増やすことはとても重要だと思います。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1) 祖父母の反応

息子の5歳の誕生日をかねて、夏休みに主人の実家に滞在した時のこと。驚いたことに、息子は祖父母に対しても緘黙になってしまったのです(経緯は『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

滑り台事件(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)』をご参照ください)以来、息子はそれまで話していた多くの人と話せなくなってしまいました。が、グラニー(祖母)にはまだ以前と同じように話せていたのです。

車を降りてグラニーに会った途端、息子は私の後ろに隠れました。それを見た義母は、「何恥ずかしがってるの?」「舌をどこかにおいてきちゃったの?」と、積極的に息子にアプローチ。

「緘黙児を安心させるため、話すことを強要しない」というのが、緘黙支援の第一原則です。が、マイペースな義母は、焦る私の心も知らず、どんどん息子に話しかけました。

でも、これが功をなしたのか、息子はポツポツと返事をするようになり、半日くらいで割と普通に会話できるように。反対に、1週間いたにもかかわらず、いつも通り(それ程息子に話しかけない)だったグランダディ(義父)には、殆ど口をきくことができず…。

以来、義両親宅に行く度に(2、3か月おきくらい)、最初は話せないけど、慣れるにつれてグラニーには徐々に話せるようになるというパターンが定着しました。

(実は、息子が私にも口をきけなかった想い出が。それは、6歳の息子を義両親にあずけ、2週間ほど単独で帰国した時のことでした。空港で再会し話しかけると、息子は困った顔をして無言!母親なのに~!車の中ですぐ返事をしはじめ、すぐ話せるようになりましたが、これには本当に驚きました)

時と人、場合によりますが、緘黙児の不安が和らぐまで辛抱強く待つよりも、話すようプッシュした方がいい時もあると思います。下手をすると症状が悪化することもあるので、判断はとても難しいですが。

緘黙克服はスモールステップで進むので時間がかかる上、繊細な子どもの心はアップダウンが激しくて、時にジェットコースターに乗っている気分になります。でも、「三歩進んで二歩さがる」のが普通だと思って、ゆっくり進みましょう。

ちなみに、1年に数回しか会わない義妹夫婦には、クリスマス休みなどで合流しても全く話せない状態が2年ほど続いたと記憶しています。以前は屈託なく接していたので、ものすごく驚かれました。

みんなで集まっているのに、話せる人と話せない人がいるというのは、親にとってすごく気がもめる状態ですよね…。

偏見は持ってもらいたくないし、誰にどこまで説明して理解してもらうかも、判断が難しいところです。