もう3月も終わりに近くなりましたね。イギリスは今週ずっと晴天が続き、気温がぐんとあがって春爛漫という感じです。
もうクリスマスローズの季節も終わりです。
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ロンドンには毎週土曜日に国語(日本語)を学ぶための補習授業校があります。駐在員のお子さんが帰国した際に困らないよう、日本の学習指導要領に準じた国語教育を行うのが目的。日本人ハーフの子も大勢通っていますが、2、3年で辞めてしまうケースがほとんど。でも、私の周りでは、ハーフで補習校に行ってない子はいなかったような…。
だから、私も6歳になった息子を2007年の4月から補習校に入学させるつもりでした。が、問題は息子の緘黙。やっと学校で少しずつ改善してきたのに、新たに補習校に入れて後退しちゃったらどうしよう。でも、日本語はちゃんと勉強させたいし…。
(ハーフだからこそ、自分のルーツと両方の言葉を持っていることが大切なのでは、と今でも考えています)
実は、息子が近所の現地校に入学した当日、「僕の英語、みんなみたいに上手くない…」と告白されてビックリ。それまで家庭では日本語中心だったのですが、自信をつけさせるために私も英語で話すことにしたのでした。
だから、日本語はみんなより遅れているだろうし、そこでまた自信を無くす可能性も充分ありました。
本人は補習校には絶対行きたくないと泣いて拒否。同時期にそれまで通っていたミュージックセンターで土曜日の楽器練習が始まる予定で、そちらを希望していました。
複雑な気持ちを抱えながら、新入生の保護者のための授業参観に参加しました。見学させてもらったのは1年生のクラス――なんだか厳しそう。まず、教室がシンとしていて、生徒達がひとりずつ個別の机に座ってきちんと前を向いている――日本では当たり前の風景だけど、久しぶりに見て軽いカルチャーショックを受けました。イギリスの小学校は机をくっつけたグループ学習で、いつもザワザワしているので。
補習校では、当てられたらまず立って、答を言ったり、本を読んだりしなければなりません。現地校では座ったままでいいし、答えられなくてもそれほど注目が集まらないので、その辺りも緘黙児には楽…。
子ども達が席順に読本を始めたところ、あるハーフの女の子が起立したまま固まってしまいました。今にも泣きだしそう…。
教室の後ろには知らない父兄(母親ばかりだったけど)がズラリ。大人たちの視線を感じて緊張感がすごかったんでしょう。教師は半泣きになった彼女に優しく声を掛けましたが、どうしても言葉がでそうになく、いったん座らせました。
一通りみんなが読み終わった後、教師が彼女に「今ならできるかな?」と声をかけたところ、小さな声ですが短い文章を読むことができました。ほっ、いい対応。
皆が耳を澄ませているところで起立して答えたり、本読みしたり――緘黙児や引っ込み思案の子には至難の業…。日本の緘黙児たちはどう対処してるんでしょう?
もうひとつ気になったのは、駐在員の子女とハーフの子とでは、やはり語学力にかなり差があること。前者はスラスラ読みますが、後者はたどたどしかったり、棒読みだったり。読みながら意味が取れているのか疑問でした(だから数年で辞めてしまうんでしょうね)。
これは、息子にはめっちゃハードルが高い!就寝前に日本語の本の読み聞かせやひらがなを書くことなどはやっていましたが、家庭で英語を話す様になったので、日本語に英語が混じるようになっていました。う~ん。
授業参観の後、補習校の校長先生とアポを取って面会に行きました。場面緘黙のことを説明して、配慮してもらおうと思ったのです。
当時は日本ではまだ場面緘黙がほとんど知られていませんでしたが、校長は「ああ、日本で教えていた時にひとりいました。結局、小学校を卒業するまで話せなかったんですが、いつ頃話せるようになるんでしょうか?」と…。えっ、話せるようになるまでずっと放っておかれたんでしょうか?!
そこで、場面緘黙は放っておくと悪化すること、気長な支援が必要なことを説明し、配慮してもらえるかどうか訊いてみたのですが…。
「補習校ではみんな同じ扱いです。特別扱いはしません」と、きっぱり断言されてしまいました。
当時は「合理的配慮」という言葉はなく、校長先生は場面緘黙は成長すれば治ると信じておられたよう。その生徒さんがその後どうなったのか――なんだか不憫でした。
息子が自分の席に立ったまま硬直して何も言えないところを想像したら、恐ろしくてとても入学なんかさせられない。息子が自信を失ってしまったら今までの努力が無駄になってしまう――もう日本語は自分で教えるしかない、と腹をくくったのでした。
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