大切なことを書き忘れてしまったので、今回は『息子の緘黙・幼児期4~5歳』への付け足しです。
息子は、夏休み中の8月中旬に5歳の誕生日を迎えました。イギリスの学校は9月に始まるので、かなりの早生まれです(早生まれやひとりっ子の緘黙児、多いような気がしていますが、どこかに統計はないかな…)。
夏休み前半の3週間、学校で行われたサマークラブに参加させました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)。
その後、誕生会事件が起こって、緘黙症状が大きく後退してしまった訳ですが、実はサマークラブでは進歩もあったのです。
参加した際、サマークラブの主催者やスタッフ(学校とは無関係)には息子が場面緘黙であることを告げませんでした。というか、当時はSelective Mutism という言葉自体が教育関係者にさえ知られておらず、どう切り出していいのか判らなかったのです。
(今だったら、短い場面緘黙の説明と息子の特徴を含む簡単な対処マニュアルを提出すると思います)
まあ、子ども達は各自好きな遊びを選べるし、親友のT君が一緒なので、大人には話さなくてもT君がいれば大丈夫だろうと、気楽に考えてました。まず第一の目標は、夏休み中に学校環境に触れさせ、新学期にそれほど抵抗なく教室に戻れるようにすること。嫌がらずに行ってくれれば、万々歳だったのです。
ただ、初日にスタッフに挨拶に行き、「ものすごい恥ずかしがり屋で、全くしゃべらないかもしれません」と忠告はしておきました。
このサマークラブはインド系のイギリス人によって経営されていたのですが、夏休みは時間が長く、子どもの数も多いので、アルバイトの若い女学生も数名。ラッキーなことに、その中のひとりが息子に目をかけてくれたのです。
今考えれば、いくらT君が一緒でも、抑制的な気質のうえ緘黙になってしまった息子が、初めての「場所」「人」「環境」に慣れるのは大変なこと。自由きままに動き回る子ども達の中で、息子はひとり固まっていたようでした。
見るに忍びなかったのでしょう。
彼女はものも言わない息子にこまめに話しかけ、遊びに誘ってくれたようでした。もちろん、緘黙に対する知識はなく、この「固まっている子」を何とかしなくちゃ、と自主的に対処してくれたんだと思います。
(クラブが終わって校庭に出てくると、普通に動けるし、私やT君ママには話すので、クラブの最中にどうしているのかは不明)
この彼女お陰で、息子は少しずつサマークラブに馴染んで動けるようになり、バスでの小旅行にも参加することができました。クラブが朝9時から午後3時頃までと長時間だったことも、場慣れするのに役立ったと思います。
息子は家でクラブのことを全く話さなかったので、中盤になって彼女に話しかけられるまで、そんなことは全く知らず…。
そして、最後の日に彼女にお礼を言いに行くと、
「実は、今週は言葉がポツポツ出るようになったの!」
「えっ、本当に?!」
「ええ、単語だけだけど。初めは口がきけないんだと思ってたから、嬉しかったわ」
「ありがとう~~~!!」
可愛い大学生のお姉さんに優しくしてもらって(息子はメンクイです)、不安が低減し、言葉が出るところまでいったんでしょう。
緘黙治療に必要なのは、継続的な温かい支援と根気と適度な励ましだなあ、と思います。
でも、その匙加減が難しいんですよね。
いつ、どんな時にどんな人が助けてくれるか、どんな機会に巡り合えるか判らないもの。親戚に会ったり、子どもが好きそうな習い事にチャレンジさせてみたり――緘黙児の社会的な機会を増やすことはとても重要だと思います。
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