スモールステップで自信をつける

7月も中旬を過ぎ、そろそろ3学期が終わって夏休みに入る時期です。私が行っている特別支援校(フリースクール)では、先週の金曜日が終業式でした。日本語を教えている子(ここではS君とします)は、社会不安が強く集団や集団行動が苦手。外出やショッピングを好まないと聞いていますが、1対1だとおしゃべりで人懐っこく、授業では何の問題もありません。でも、抑制的な気質を持っているのは明確で、息子に似たところも多いのです。

今学期の目標のひとつは、最後の授業で日本のスーパーに行き、習った日本語を使ってみることでした。そのことは学期の初めに説明してあって、ここ2週間ほど買い物に必要な初級の会話を練習してきたんです。S君の素振りや態度からは、お店に行くことへの不安は全く感じられませんでした。

が、当日になって、いきなりシャットダウンモードに…。最初に会話のおさらいをしたところまでは平気だったのに、いざ出発という段階になって、突然机に顔を伏せてしまったのです。

今まで少し塞ぎこむことはあっても、体を動かしたりゲームをしたりすることで気分を切り替え、授業が終わる頃には上向きになっていました。でも、こんな状態は初めて…。どうしようかなと思いつつ、「話したくなければ話さなくてもいいから、お店まで行ってみよう」と何とか説得。一緒に学校を出ることに成功しました。

歩きながらずっと下を向いていたものの、S君が私を拒否している様子はありません。さりげなく何が嫌なのか訊いてみたところ、「お店に入るのが苦手」、「店員と向き合うのがイヤ」とのこと。

少しずつ練習すれば慣れることができると話し、近くの大型スーパーに自分で支払えるセルフチェックアウトがあるのを思い出して、「まず、そこで練習してみる?」と訊ねてみました。が、答えは「No」。とにかく、日本のスーパーまで行ってみることにしました。

途中、ふと思いついて、マギー・ジョンソンさんの『年齢が上の子の支援』の記事に出てきたサキ君のことを話してみたのです。学校で声を出すのが怖くて9年間ずーっと沈黙していた15歳のサキ君。彼が一大決心して、学校で話し始めようと決めた際、まず最初にしたのは小さな成功体験を積み重ねて自信をつけることだったと。それほど怖くないことから始めて、少しずつ少しずつ怖いと思う状況に慣れていき、「できる」と自分で思えた時に、一番怖かった「学校で話す」ことにスモールステップで挑戦し始めたことを手短に話しました。

S君は何も言わずに私の話を聞いていました。その後、S君が好きな食べものや日本のスーパーで何を買いたいかなど、会話しながら目的地へ。S君のボディランゲージは徐々にリラックスしてきたようでした。

が、目的地についた途端、顔がこわばって体が硬くなったのが判り、彼の緊張が伝わってきました。お店に入って、まず「お菓子はどこですか?」と店員さんに質問する予定だったのですが、そんなの無理。お菓子のコーナーに連れて行って、英語で説明しながら「これはどう?」と色々訊きましたが、首を横にふるばかり…。緊張を和らげようと、お店をぐるっと周りながら私も買い物を始めました。

ドリンクのコーナーに来た時です。S君の視線がファンタグレープに釘付けに!「これイギリスでは売ってないんだ。2本買う」とすぐ手を伸ばしました。一緒にレジ近くまで行き、私は「麦茶を買ってくるね~」と言って外へ。その時、背後で突然「オハヨウゴザイマス」というS君の声が聞こえました!!

午後だったし、練習では「こんにちは」だったのですが、そんなこと問題じゃないですよね。「ヤッター!」と思いつつ麦茶を持って中に入ると、支払いを終えたS君はささっと外に出て行きました。店員さんにこっそり「今の男の子、何を言いました?」とチェック。他には「アリガトウ」ぐらいだった模様。

帰り道、S君は緊張が溶けたのかものすごく饒舌になりました。「日本語で言えたね!」と褒めると、すごく嬉しそうにどんなに緊張してたか話してくれました。きっとサキ君に負けたくないという気持ちもあったんでしょう…。

来る途中でミカンが好きなのを発見したので、学校に帰る前に八百屋さんにも寄ってミカンを選んでもらい、代金を渡して払ってもらいました。店を出ようとしたら、目の前で商品が床に落ちるというハプニングが…。S君はさっと商品を拾って「はい、どうぞ」と店員さんに渡し、お礼を言われてました。

その時点ではショップに入るのが苦手な子には全く見えず、学校を出る前のあの拒否反応は一体何だったのかという位の変わりようにビックリ。成功体験を重ねて、自信がついたんですね。

2013年からDSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)で場面緘黙が不安障害のひとつと定義されましたが、本当にそうだなと思いました。これからお店に行ったり、買い物したりという経験をしない時期が長くなると、きっとまた不安がムクムクと頭をもたげてくるんでしょう。とにかく、成功体験を積み重ねることが大事。S君には、夏休み中もいっぱい外出して色々な体験をして欲しいなと願っています。

 

 

幼稚園入園 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

10月も半ばに入り、いよいよ息子が幼稚園に入園する日がやってきました。入園といっても、こちらでは日本のような式典はなく(小、中学校もなかった…式服不要です)、ただ母子で登園しただけ。それも、この日入園したのは息子と女の子の2人のみでした。

というのは、息子の幼稚園では9月から誕生日順に1週間に数名ずつクラスに加えていくというシステム(1/3程度は持ち上がり)。息子は8月中旬に3歳を迎えたばかりの「早生まれ」なので、39人中で一番最後だったのでした。

(小学校は4歳から始まるのですが、小学校でも早生まれの子は時期をずらせて入学させる方針だったため、幼稚園(1学年のみ)では3歳児と早生まれの4歳児を混ぜたクラスでした。預かってくれる時間は2時間半。午前中に2クラス、午後に2クラスを設け、規模は大きい方でした)

イギリスでは同じ公立の幼稚園でも、それぞれの園によって経営方針が全く違います。息子の園はかなり自由な校風で、クラス全体でする活動といえば歌、お遊戯、読み聞かせの時間くらい。あとは、子どもの主体性に任せて好きな活動(遊び)をさせて個性を伸ばすという方針でした。

これって、極端にいうと外遊びが好きな子はずーっと外に出っぱなし、お絵描きが好きな子はひとりで何枚も描いてるし、おままごとコーナーはいつも同じ顔ぶれ…。息子はといえば、やっぱりミニカーと電車のコーナーに張り付いてました(笑)。

とても評判のいい幼稚園でしたが、今考えてみると人見知りの激しい息子には向いていなかったと思います。当時は「子どもの個性にあった学校を探そう」なんて考えたこともなく、周囲の勧めで「ここ」と単純に決め、入園できてラッキーと感じてました…。いつだったか、息子が小5くらいの頃にビデオで日本の保育園の様子を観て、「日本の幼稚園って先生と一緒に色々やるんだ。僕もこういうところが良かったな…」と漏らしていました。

さて、話を初日に戻すと、若い担任の先生との簡単な挨拶のあと、私ともうひとりのママさんには次のような選択肢が与えられました。

  1. 子どもを置いて即帰る
  2. カーテンで仕切られたペアレントルームで待機
  3. 教室内で子どもと一緒に遊ぶ・近くで見ている

多くの保護者は2を選択し、子どもはたいてい2日~1週間くらいでクラスに慣れて、母親がいなくても大丈夫になるということ。が、うちのお向かいに住む3つ年上の女の子が入園した際は、ナニーさんが6ヶ月付ききりだったという話も聞いていました…。一方、初日から保護者と引き離す私立の園もあり、吐くまで泣いた3歳児が1週間ですっかり慣れたという話も。

まず様子を見てからと思っていましたが、案の定息子は私の側を離れそうにない…。そりゃそうですよね。初めて来た場所で(オープンデーの日は水疱瘡で参加できなかった)、知らない子ばかりだし、性格を考えても臆するのは当たり前。なるべくクラスの子たちと馴染めるよう、近くにあったおままごとコーナーで他の子にも声をかけながら息子と遊びました。

もう一組の新人母娘はというと、やはり教室で一緒に遊んでいました。とても大人しく繊細そうな子で、ママにべったり。私も高齢出産でしたが、このママさんは私よりもっと年上の感じ…。帰り道で一緒になって色々話をしたところ、何と彼女には14歳の双子(娘と息子)がいて、その子たちが入園した際に早く慣れさせようとして大失敗したとか。

泣く子どもたちを置いてさっと家に帰っていたらしのですが、双子はいつまでたっても園に馴染むことができず、家でも情緒不安定になったそうです。その時随分苦労したので、今回の末っ子ちゃんは、自分から離れる気になるまでとことん付き合うと決めているそうでした。

その話を聞いてビビった私は、「じゃあ、私も自然に離れるまで付き合おう!」と決心したのでした。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

 

バラの季節もそろそろ終りです

あっという間に今年も半分終わり、7月に突入してしまいました。イギリスのバラの季節は6月ですが、今月に入って最後の花を咲かせている樹も。イギリスの住宅にはたいてい前庭があって、それぞれの家庭で植えた花やハンギングバスケットが道行く人たちの目を楽しませてくれます。

実は、所属しているTAのエージェントに頼まれて、この春からエージェントが経営するフリースクールで日本語を教え始めました。以前、通信教育で日本語の教え方の初級講座を学んだものの、いざやってみるとすごく難しい…。でも、アニメおたくのティーン君を相手に、週1回の授業を楽しんでいます。学校へ向かう道すがらお馴染みになったバラたちも、もうそろそろ見納めかな。

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3階建の住居の壁にしなだれかかるように生い茂る白いモッコウ薔薇

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うちの狭い庭では無理だろうと断念したんですが、こんなにも成長しちゃうんですね。やっぱり買わなくて正解でした(笑)

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淡いピンクが浮かぶ上品な白のクォーターカップ咲き

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完璧なクォーターロゼット咲き?と発色が美しい一重の小輪

我が家のバラはピンク系、赤系が終わって、白バラのClaire Austin が花盛りです。でも、茎が伸びる前にちゃんと剪定しなかったため、長い茎が伸び放題。パーゴラの上部だけに花が集中してしまいました…。四季咲きなので、花が終わったら短く切り込んで、9月にはもう少しバランスよく花がつくようにできればと思ってます。

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蕾をつける前に茎がやたら長く延びるため、どう処理すればいいのかが悩みの種

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今年はというか、去年もでしたが、どのバラもひとつの茎に蕾がたくさんつきました。ひと枝だけでもブーケみたいで、お得感があります

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前庭のMary Rose にもたくさんの蕾がつき、一気に咲きました

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    こちらはフルーティな香りの Abraham Darby。中輪のはずが大輪でしかもブーケ状に咲くので、重くて支えるのが大変です

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庭のバラはあまり花持ちがよくないため、惜しみなく切っては活けて楽しんでいます

『校庭に東風吹いて』

ここ最近、日本でも少しずつ場面緘黙のメディア露出が増え、緘黙をテーマにした小説やテレビ番組も見かけるようになりました。『校庭に東風(こち)吹いて』は、2013年5月から10月まで赤旗新聞に連載された小説です。作者の柴垣文子さんは、32年間小学校教師をしていた経験を持つ作家。この作品では、学校での緘黙児の状況や学校側の事情などを、現場の教師の視点で描いています。

日本の学校でどのように緘黙児と向き合うべきか — その答えの多くがこの小説の中に標されているように思います。多くの発達障害児や不登校児を抱える学校の現状を考えると、理想的過ぎるかもしれません。でも、教師や学校関係者、教育関係者に、是非読んで参考にしてもらいたい本だと思います。

『校庭に東風吹いて』柴垣文子著 新日本出版社

物語は山間の小さな小学校にベテラン女教師、三木知世が転勤してくるところから始まります。三年のクラス担任になることを言い渡されますが、40人と大クラスなうえ重度の場面緘黙児がいるクラス…。前担任は中途退職、その後にクラスを任された講師も辞めていて、前途多難を予測させるスタートでした。

<小説からの抜粋>

P7 「自閉症と場面緘黙はちがいます。自閉症の子どもはなん人にも会っていますし、研究も進んでいます。場面緘黙症は研究が進んでいない上に、実践例も少ないんですよね。私は子どもと会ったことさえありません。転勤してすぐ担任はとても無理です」

20年の教師生活の中で一度も場面緘黙児に遭遇したことがない…。話し相手の校長も、この学校で初めて会ったと語っています。

小説の設定では郡内20校のうち緘黙児は2名。場面緘黙の発症確率は0.2~0.7%といわれているので、1000人に2~7人と考えると、ちょっと少ないかも…。でも、長いこと小学校の教員をしていた私の父も、私が息子の緘黙を告げるまで、「場面緘黙」という言葉を聞いたことはなく、緘黙児に巡りあったことがないと驚いていました。

緘黙には程度の差があり、学校で全く話せない子もいれば、先生の質問には答えられる子、仲良しの友達とだけなら少し話せる子など、本当に千差万別です。少し話せる子は「おとなしくて寡黙な子」と認識され、「緘黙」に数えられてないのかもしれませんね。この小説では、場面緘黙が悪化し固定化してしまった重篤なケースが描かれ、その症状や学校での様子、子どもを取り巻く環境について、詳しく描かれています。

P11 「学校で声を出せない。音読ができない、歌えない、絵を描かない、作文を書かない。インフルエンザで休んだあと、登校をしぶる、給食を食べない。手を引かなければ移動できない」

この小説に出てくる緘黙の少女ミチルの学校での様子は、「~できない」とナイナイばかり…。でも、そんな彼女には保育園時代からの友達、夏海がいて、ずっと学校でお世話をしてくれているのです。

P39 「二つのことを必ずしよう。蔵田ミチルに声をかけることと家を訪れて親から話を聞くことだ」

P40 安倍教師「ほかの親から不満が出るかもしれない。特別の訪問を問題にしたらどうしますか」

緘黙児への声掛けは、返事がなくても本当に大切です。子どもは無視されるのが一番辛いのです。また、担任の態度によって緘黙児に対する他の子どもたちの態度やクラスの雰囲気も違ってくるのではないでしょうか?先生が理解してくれてクラスに居場所があり、不安が低くなれば、症状の緩和や子どもの自己評価につながっていくと思います。

物語の中では、他の教師から「親が噂をしてますよ」、子どもから「ミチルちゃんとナッちゃんは先生と特別です」という言葉も…。担任がひとりの子どもと関わると、「特別扱い」とみなされがち。特別支援教育が根付いているイギリスでは、クラス担任の他にTA(教育補助員)もいるため、何らかの問題がある子どもには配慮が当り前という空気ができています。が、日本ではまだまだ難しそうですね。他の子ども達や保護者も関わってくるこのデリケートな問題を、どう乗り切ればいいのか — そのヒントもここにあります。

P44 そのとき、ミチルの手が動いた。動いたことを見落とすほどのかすかな動き。

P45 知世が聞くと、ミチルはうなずいて、おずおずとした感じで首飾りを差し出した。「ありがとう。すてきな手作りの飾りをもらえて、よかった」

緘黙児には抑制的な気質の子どもが多いといわれています。子どものちょっとしたしぐさや心の動きを汲み取り、声をかけてあげられれば、少しずつ信頼関係を育てることができます。感性の鋭い子どもは、けっこう大人の心を見抜いているもの。「どう扱えばいいのか判らない」と思っていると、それが子どもにも伝わってしまいます。少しでもいいところを見つけて目立たないように子どもに伝える、褒めてあげることを忘れずに。

上記の他にも、学校全体で子どもを見守るよう職員会議で提案したり、母親との交換ノートを始めるなど、緘黙支援の様々なアイデアやヒントが散りばめられています。また、場面緘黙だけにとどまらず、職員室の人間関係、不登校、老親の介護など様々な問題も。ひとつひとつの問題に、自分なりの答えを出しながら誠実に取り組んでいく主人公 -そこには未来を紡ぐ子どもたちや周囲への温かな愛情があふれています。緘黙関係者でなくても読んで欲しい、心温まる秀作だと思います。

なお、この小説は大阪教映社による映画化が決定していて、2016年春から制作を開始し、同年秋に公開が予定されています。とても楽しみですね。場面緘黙にたいする理解はまだまだ浸透しておらず、いまだに「家庭環境のせい」、「家でしゃべれるから大丈夫」、「成長すれば治る」といった根強い誤解も…。映画を通して、場面緘黙や緘黙児を取り巻く状況を多くの方に知ってもらい、理解が深まればいいなと思います。

映画『校庭に東風吹いて』へのリンクです。現在、映画製作への支援協力を募集中です。

http://www.kyoeisha.net/koutei/index.html

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

前回のエントリーで書き忘れてしまったのですが、3歳児検診のチェック項目の「排泄」について。息子のトイレトレーニングがいつ完了したのか忘れてしまったものの、そんなに苦労した記憶はありません。幼稚園では子どもが自分でトイレに行くという規則があり、3歳の誕生日前にはちゃんとオムツが取れていたような…。夜だけオムツの期間が少しありましたが、それも割と早く卒業できました。オネショをしたことも数えるくらいしかなく、その点はとても楽だったと思います。

今考えてみると、昔から潔癖症のところがあり、濡れる感覚が嫌だったんじゃないかなと思いあたります。ちょっと袖口が濡れただけでもすごく気にする性格で、小学校4年生くらいまでは水に濡れる遊びを極力避けていました(プールは除く)。これではいかんと、家の庭で私と水鉄砲を打ち合う練習をし、めでたく濡れても大丈夫になりました~。

息子は赤ちゃん時代にアトピーに苦しんだこともあり、肌もとても敏感です。2歳になる前、友達にならって上半身裸で遊ばせたところ、それほど陽に当たってないのに背中がアセモだらけに…。3歳で里帰りした際も、9月中旬というのにアセモに悩まされました。

着るものについても色々難しく、襟がついている服は頑固に拒否。ずーっとコットン100%のTシャツ派だったため、ジュニアスクール(7~11歳)の制服がポロシャツと化学繊維100%のパンツと知って焦りました。が、一度着てみたらいたく気に入ってしまい、それ以来襟付きのシャツを好んで着るようになったのでした…。この激しい変化は一体何だったのか、とても不思議です。

味覚も鋭敏で、昔は食べられないものが結構ありました。が、14歳の今では、大根も、コンニャクも、アンコも大好きに。食べられないのはアボカドくらいのもので、同年代のイギリス人と比べたら味覚の幅がとても広いと思います(日本の食文化のおかげかも)。

それから、里帰り時には癇癪をおこすこともなく「社交的」といえるくらいだったんですが、帰りのヒースロー空港で忘れられない事件が起きました。長旅であまりにも疲れていたため、私がうっかりしていて、息子のお気に入りの玩具が入った小さなリュックをトローリーのフックにかけたまま…。自宅に戻って、「あれっ、リュックは?」と思い出した頃には、もう時すでに遅し。

翌日から、「マミー、地下鉄はどこ?」「ジャガーのオープンカーはどこ?」と息子の癇癪の嵐!! お気に入りのミニカーと電車をごっそり無くしてしまったため、途方にくれました—-買いなおそうと思っても、同じ模型が売ってなかった!

隣町まで行ってやっとロンドンの地下鉄を手に入れると、即座に「ユナイテッドエアラインの青い電車は?」と突っ込んでくるので、困り果てました…。その責めとツッコミは半年以上続き、「いつまで覚えてるんだ~!3歳児ってこんなに記憶力がいいの?(これらの玩具限定)」とゲッソリしたものでした。

「働く車」から始まって、息子は本物に近い作りのミニカーや電車模型に夢中でした。一応『トーマス』も好きでしたが、小さな頃からトーマスシリーズよりも、本物の地下鉄や電車の模型を欲しがるのです(トレーン社のNゲージ鉄道模型のコレクションはまだ手放していません)。

幼稚園に通う道すがら、遠くにある車の形を見てメーカー名と車種名を言い当てるのが日課という…とてもマニアックな子どもでした。そのおかげで、車に全く無知だった私も、少し車種名が判るように。仲の良かった日本人の友だちはトミカに入れ込んでいて、息子よりもっと知識が豊富だったような。彼は国旗を見て国名を言い当てるのも大得意で、地理が苦手な私は舌を巻いたものです。

子どもってすごい!好きってすごい!

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の3歳の誕生日は夏らしい好天に恵まれました。自宅の小さな中庭に遊具を並べ、気心のしれた友達7、8人とママ達を招いて午後の誕生会。リラックスして楽しい時間を過ごすことができました。

9月から新年度が始まると、一番仲良しだった日本人の友達がフルタイムで幼稚園に通いはじめ、平日いっしょに遊べなくなってしまいました。プレイグループには引き続き週3回ほど通ったものの、親しい子たちが入園してゴッソリ抜けてしまい、遊び相手不足に…。

イギリスでは公立の幼稚園は3歳から、小学校は4歳から(学年内に5歳になる子ども対象)です。なので、息子自身も入園する年齢だったのですが、息子の幼稚園は誕生日が早い順から1週間に2名ずつ入れていくという方針。8月中旬生まれの息子の番が来るのは、10月中旬と一番最後なのでした。

入園までの時間がぽっかり空いてしまったため、9月のはじめに予定されていた3歳時検診を済ませた後、私と息子だけで1年半ぶりに日本に里帰りすることに。

3歳児検診ってどんなことしたんだっけ、と母子手帳を調べてみると…

  1. 粗大運動
  2. 微細運動
  3. ことば/言語
  4. 行動
  5. 排泄

発達のチェックポイントは上記の5項目。優しそうな女性の小児医さんに誘導されて、歩いたり、ホップしたり、丸などの形を真似して描いたり。個室だし、私が一緒で安心できたのか、臆することなくすんなりこなした記憶があります。手帳には、すべて年齢に見合った発達に○がつけられていました。

ことばの発達については、当時息子は90%くらい日本語で話してたんですよね…。検査では医師の質問を私が和訳して息子に訊き、その答えを英訳して伝えるという。この年齢だと3語以上の文章で話す時期ですが、「こんなんでちゃんと判るの?」と疑問に思いました。

でも、私が心配していたのは言葉の発達よりも、息子の引っ込み思案な性格でした。新しい環境に慣れにくく、新しいことにチェレンジするのを躊躇し、慣れた玩具や遊びを好む傾向が強くなっていたからです。女医さんの「何か困っていることはある?」という問いかけに、こんなに引っ込み思案で大丈夫なのか相談しました。

その頃、BBCテレビで『Child of Our Time』という人気番組シリーズを放送していました。2000年にスタートしたこの番組は、ミレニアムに誕生した25人の子どもの成長を、20年かけて追跡調査していくというもの。子どもの性格や社交性にスポットを当てた回で、専門家が「幼児期に形成された性格や社交性が大人になっても続く」というようなことを話していたため、「この子はずーっと引っ込み思案のまま?」と、めちゃくちゃ気になっていたのです。

うろ覚えなのですが、女医さんからは心配し過ぎないなよう言われたような。母子手帳の備考のところには、「大人しいけれど、能力はちゃんと持っている」とあり、その後に「社会的には引っ込み思案」との記述…。ちなみに、当時から痩せぽっちで体重は14キロ弱でした。

さあ、次は日本まで飛行機の長旅です!息子の初めての里帰り(息子の緘黙・幼児期1~2(その3))では、スチュワーデスさんに驚かれ、他の乗客に「可哀想なくらい泣いてたね~」と声をかけられるほど超大泣き…。今回は主人はいないし、私一人でどうしたものかと、乗る前から戦々恐々としていました。

息子のお気に入りの玩具、お菓子、絵本、食料品など、思いつくものを全部バッグに詰めこみ、イザ搭乗。すると、成長したためなのか、驚くほどスンナリと順応(?)できたのです。

まずは、キッズセットを持ってきてくれたスチュワーデスさんに笑顔で挨拶し、褒められるという幸先のいいスタート。もらった玩具で遊んだり、持参した絵本を読んだり、アニメ映画を観たり。キッズミールもちゃんと食べることができました。1歳半の時のように、機内を行ったり来たりすることはなかったのですが、よく喋って何だかハイテンションだったような…。静かになったなと思ったら、いつの間にか眠ていて、嬉しい驚き!(以前はこういう状況ではウトウトするだけでちゃんと眠れず、疲れて泣き叫ぶというパターンだった)

着陸時にはやはり耳が痛くなって泣きましたが、予め飴を舐めさせておいたためか、先回と比べたらもう楽勝という感じ!着陸後に、何故かはしゃいで足で前の席をぐいぐい押すというエピソードも。その席に座っていた年配の女性にお詫びすると、「(子どもは)おひとり?」と訊かれ、「はい、そうです」と答えたら、「やっぱりね」と言われてしまいました…。ひとりっ子なので甘やかしていると思われたんでしょうね。

故郷で初めて会った人達にもとても愛想が良く、3歳になって成長したんだなと感激。ただひとつ気になったのは、教師をしていた父親に「この子は日本語ばかりだけれど、幼稚園で困るんじゃないか?ちゃんとイギリス人として英語で育てたほうがいい」と言われたことでした。

私は幼稚園に入ったら英語ばかりだから、自然に話すようになる。そんな環境で日本語をキープできるよう、幼稚園でも日本人の友だちができるといいな、などと気楽に考えていたのでした。

 

電話を使った緘黙克服プログラム

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』は、今回でやっと終わりです。最後に、ティーン&大人のための電話を使った実用的なプログラムが紹介されています。このプログラムだったら、支援者は祖父母や叔父叔母といった親しい親戚や友達でも大丈夫そう。2010年にイギリスで放送されたBBCのドキュメンタリー番組『My Child Won’t Speak』では、マギーさんのアドバイスにより、緘黙の少女レッドと祖父の間で行われ、かなりの成果をあげていました(番組内では直接話すまでには至りませんでしたが)。試してみる価値は大いにあると思います。

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年&ティーンへの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』の第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です。

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その16)

話すことへの恐怖を克服する6つの戦略

  • 新たなスタートを切る(転校や進学、新しい習い事を始めるなど新たな環境へ)
  • 認知行動療法(CBT)
  • 不安の生理学を理解する – 心拍数を減少させるための深呼吸、硬い姿勢から力を抜き、身体の緊張を緩める体操など
  • スライディングイン手法  (話せる人とのセッションに、段階を踏んでひとりずつ話せない人を加えていく手法: 親戚にも効果があります!)
  • 子どもからのパーソナルメッセージでクラスメイトや同級生の理解を仰ぐ – 音声録音やビデオ、手紙などを使用
  • コミュニティ内で見知らぬ人と話すことを目標にする(子どもの不安度とリンクさせて) — 人がいるところで聴こえるように話したり、電話で話すプログラムから始めること

みく注: 緘黙を克服していく・支援していく前に、まず長期戦になることを肝に命じておきましょう。長年話せなかったのだから、やっと声がでるようになっても、クラスメイトとの会話のスピードや話題にうまく乗れないかもしれません。例えば、楽器をやったことがないのに、いきなり曲を演奏できないのと同じことです。とにかくメゲずに、自分のペースでコツコツと進むことが大切かと思います。学校では話せなくても、普段から安心できる場面でたくさん話をしたり、何かにチャレンジしたりするよう心がけましょう。家族は、子どもの好きなこと、やりたいことなど、安心して楽しく過ごせる時間を過ごせるように協力できるといいですね。

抑制的な気質の子どもはひとつの環境に慣れるのに時間がかかります。例えば、夏休みあけはクラスの空気にすぐ馴染めないかもしれません。そんな時には、進歩するどころか後退することもあり得ます。また、人の何気ない言葉や行動にひどく傷つき、元に戻ってしまったように見えることもあるかもしれません。そういう時のために、頼りになる支援者がずっと見守ってくれると心強いですよね。ただ、日本の学校にはTAがいないため、誰に支援者になってもらえばいいのか、難しい問題だと思います。児相や病院でも、毎週プログラムを組んで規則的なセッションするのは難しそうだし…。ひとつの手としては、家庭教師的な存在に家に来てもらい、一緒に勉強しながら少しずつ話せるようにしていくというのがあるかもしれません。

緘黙のティーンと大人のためのプログラム: コミュニケーションに対する自信を培う

見知らぬ人と話す:第一段階

  1.   電話で 自動音声に応答する
  2.   電話で 実際の人物に話す
  3.   実際に 顔を合わせて話す

このスモールステップを使ったプログラムで、緘黙の大人が私(支援者)と顔を合わせて会話できるようになりました。更に、プログラムを推し進めた結果、初めて地元の人と話すことにも成功しています。

1) 支援者の携帯電話にメッセージを残す

  • それほど不安にならずにできるようになるまで練習する
  • 「こんにちは」など一言 → 文章を読む → 一日の出来事を話す と徐々に難度をあげていく
  • 私(支援者)は聞いていないので安心すること

2) 電話の自動録音プログラムを用いて、実際に相互的な会話の練習をする

  • 不安(と呼吸数)を抑える傍ら、会話を繰り返して話すスピードや声の大きさを改善していく

3) 支援者が聞いていることを知りながら、支援者の携帯電話にメッセージを残す練習

4) 事前に決めた時間内にメッセージを残し、メッセージを話し終えた時点で支援者が電話に出て、そのメッセージについて質問をする練習

5) 4)の質問に応えることができたら、支援者はあと2、3問の質問を追加する

6) 5)の後、緘黙の子ども・大人が支援者に質問をする

7) 事前の打ち合せなしで5)~6)を繰り返す

8) 数週間おいて7)を試す

9) 実際に会う — 子どもが支援者に写真を見せ、支援者がそれについて質問する

10)他の人と1)~9)までを繰り返す(回数を重ねるごとに容易になる:「こんにちは」から始めても、時間をかけずにメッセージを残し、顔を突き合わせて話せるようになる

みく注:残念ながら、いただいた資料には第一段階の説明しかありません。でも、これだけでも顔を合わせて話すいい練習になると思います。

関連記事:

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マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その14)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その15)

 

 

カタツムリとの闘い 

5月も今日でおしまいです。5月最初の週末、久しぶりに主人と散歩に出かけ、帰りがけにガーデンセンターでクレマチスを買いました。というのも、昨年すくすくと蔓を伸ばしていた淡いグリーンの八重咲きが、どういう訳か途中で折れて枯れてしまったからでした。

今回選んだのは、剪定が簡単で手もかからないクレマチス・アルピナ。マクロペタラという名のモーヴ系ピンクの花は、切り花にもうってつけの感じ。よくばって蕾がたくさんついたのを購入し、1本だけ伸びていた蔓をフェンスに這わせることにしました。

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で、翌朝見てみると、蔓の先っぽの新芽がナイ!あれっ?? でも、蕾だった花が咲き始めて、なかなかゴージャスです。

2日目の朝、新芽の横についていた葉っぱもスッカリなくなり、やっとのことで「あ~、虫に喰べられたぁ!」と気づいたのでした。しかし、他のクレマチスは全く大丈夫なのに、なんで新しく購入した花だけが??

IMG_6285せっかく伸びはじめた蔓が、こんな姿に…

どうやら犯人はカタツムリ、もしくは私の大嫌いなナメクジらしい…(よく考えてみたら、昨年枯れてしまったクレマチスもカタツムリにやられたんですね)。急いで土にまく粒上の駆除剤を買いに走り、ネットで「カフェインを嫌うから紅茶をまくと良い」というアドバイスを見つけて、さっそく実行。よせばいいのに、上からたっぷりかけてしまいました。

翌朝、おそるおそる庭に出てみると、ひょえ~っ!地面には大きなカタツムリ3匹と小さなナメクジが2匹、そしてフェンスには3cmくらいの茶色い毛虫が…!背中にゾゾっと悪寒が走りましたが、なんとかせねばなりません。夫と息子は朝の支度で忙しく、すぐ来てくれそうにないし…。仕方なくキッチンから長めの割り箸と袋を持って来て、虫たちを箸でつまんで袋へ。

「私の大事なクレマチスが~!」と、息子に訴えたら、「マミー、自然のままにすべきだよ。虫も生きなきゃいけないんだから、自然淘汰だよ」と…。小学校の頃からエコロジーやフェアトレードを教え込まれているせいでしょうか?とっても冷たい答え。でも、頼みこんで虫入りの袋だけは外のゴミ箱に捨ててくれました。

それからは、あらかじめ割り箸と袋を持って庭に行き、カタツムリ+αの袋詰めを外のゴミ箱に捨てる毎日です。雨が降ると、10匹以上の収穫(?!)があるんです~。もしかしたら、芽を食べてしまったのはケムシかもと思い、ケムシを退けるという白い粉の除虫剤も購入。花が咲き終わったクレマチスの葉っぱに、いっぱいふりかけたのでした。

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5月中旬には天候が崩れて、いきなり霰が降りました~

蔓の芽を喰べられ、全体に紅茶と白い粉を振りかけられた可哀想なクレマチスは、なんとなく茶色っぽくなり、急速に元気をなくしてしまいました…。終わった花を全部カットして、肥料を少しあげたんですが…。

カタツムリとの格闘に入ってから2週間半ほど経過しましたが、葉っぱだけになったクレマチスは元気のないまま。でも、よ~く見たら硬い木の部分から、小さな芽が出ているのに気づきました。葉っぱだけ?それとも蔓になる?

それを確かめる前に、息子のハーフターム(1学期の中間休み)がやってきて、義母が手を負傷したとSOSが。息子と一緒に1週間夫の実家に滞在することになりました。

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義母はガーデニングが趣味なので、広い庭は花盛りでした

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これはチャイブの花

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窓辺のイングリッシュローズ、ジェネラスガーデナーは今年も元気。今日一番花が開きました

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昨日は天気が良かったので散歩に出かけ、義母に野の花をプレゼント

夕方、ロンドンに戻ってきたら、夫が水やりを忘れたため窓辺の4つの鉢うえのうち、3つが枯れていました…。中庭の花にはタップリ水をやってくれたらしいんですが。

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ビオラさん、さようなら…

そして、気になっていたクレマチスを見に行くと、1週間の間に紫陽花のアナベルが勢いよく伸びて、今度は陽が当たらないという問題が出てきそうな…。

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1週間前に見つけた芽はちゃんと葉っぱに育っていましたが、蔓ではないみたい…。今日はカタツムリが3匹。闘いはまだまだ続きそうです。

 

 

学校での支援体制

昨年から途切れ途切れに掲載してきたマギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンへの支援』も、あと2回ほどでおしまいです。マギーさんが所属するケント州のNHS(国民保険サービス)トラストでは、この支援が大きな効果をあげているよう。支援者が専門家に相談できるシステムが整っているのが、何といっても強みといえます。イギリスでも住む場所によって支援サービスが全く異なるため、マギーさんのいるケント州やSMIRAのあるレスター州を羨む保護者が多いのが現状です。

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年&ティーンへの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』の第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です。

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その15)

4. 家庭と学校の協力的な環境

学校職員全体の教育を

  • 個別教育プラン(Indivisual Educational Plan)の作成(定期的に見直し、ターゲットを更新)
  • リスク要因も含め、職員会などで子どもについて話し合う
  • 場面緘黙のDVD(『場面緘黙へのアプローチ』など)を利用し、関係者の理解を深める
  • 支援原則を学校全体に浸透させる — 最初は言語コミュニケーションへのプレッシャーを取り除く(話すことを期待せず、機会として捉える)
  • 全ての活動に参加させる
  • ひとりの支援者が継続して関わり、言語による参加を徐々に増やせるようコーディネートしていく

主となる支援者/学校職員をひとり決める

  • 緘黙の生徒と定期的にコミュニケーションを取る(直接的/間接的)
  • クラスの状況を監視する
  • 子どもの不安度(快適度)を確認
  • 職員間で支援策を決め、協力しながらそれぞれが貢献していく

学校での基本的な方針

  • 必要であれば、1対1もしくは小グループで話す機会を設ける
  • 学校内に安心できる場所を与え、ランチタイムや休み時間に孤立しないようにする
  • 苛めがないよう徹底管理する(生徒が報告するまで待たない)

みく注: 通常、支援プログラムは学校もしくは家庭で行います。実際にはとても難しいですが、プログラムを始める前に、まず子どもを取り巻く学校と家庭での環境 — 対人関係はもちろん、授業や休み時間に不安なく過ごせ、家庭ではリラックスできる環境を整えておくことが望まれます。特に、思春期の子どもは傷つきやすいため、予め子どもにどのように対処して欲しいかをきくことも大切ではないでしょうか。

緘黙が起こる主な場所、学校の環境は本人にとって死活問題。頼れる大人がいて、自分の教室以外に逃げ場があると随分違うと思います。ただ、緘黙児は自分から動くことが難しいので、声をかけたり、誘導してもらえると心強いかも。また、先生全員に子どもの特徴や支援策を知らせ、学校全体で取り組むことも大切ですね。中学校以上だと科目によって担当教師が変わり、より多くの先生と接することになります。それぞれの先生が子どもに対して一貫した態度・支援方針を取ることが、子どもの心の安定に繋がるかと思います。

公的な試験に際して

  • 試験をする際の配慮

緘黙の子どもは、試験時間の延長(うまくできるか/間違えるかもという不安からスピードが落ちるため)、及び普段教室で使う用具や学習環境、特別教育プラン(IEP)に記されている用具等の使用を認められる権利を持つ

(例)

  • 録音やビデオの使用
  • 小グループ、または単独試験官による試験
  • 外部の試験管でなく、馴染みの先生による試験

みく注: 症状が場面緘黙のみだと、イギリスでも試験の際の特別な配慮は困難です。例えば、ディスレクシアなどの学習障害を抱えている場合は、特別な用具の使用などが認められやすいのですが…。長期間緘黙が続いている子どもの中には、問題を解くスピードが遅かったり、動作自体が鈍かったりする子もいるようですし、実技や口頭試験が難関となることも多いでしょう。他の子どもとのかね合いや学校の方針もあるでしょうし、とても難しい問題だと思います。

次の段階(中学、高校、大学、専門学校、就業研修など)への計画的な移行

  • 新しい環境に慣れるための準備
  • スタッフの教育
  • 家庭訪問の回数を増す(相互協力 ― 3月に新担当者が学生を訪ねることを検討)
  • 16歳以上の子どもには、将来にむけた計画を立てる

専門家間のネットワーク

学校/家族用に個別教育プラン(IEP)の評価ミーティングをする際、言語聴覚士や教育/臨床心理士などの専門家を交えるとより有効

  • 支援活動をうまく持続するため、目標ターゲットや戦略を定期的に見直し、更新することが不可欠。記録を取る係を決めておくこと
  • 通常アセスメントのフレームワーク(CAF)または(教育的ニーズの)ステートメント
  • 16歳以上の子どもに対する特別支援
  • 関連チャリティ団体へのアクセス

みく注: 日本では特別支援制度がどの程度浸透しているのか私には判りませんが、IEPを作成して関係者が定期的に会合するというところまではいってないのでは?(文部科学省のサイトで、平成19年度に作成された「特別支援教育の推進について(通知)」を見つけました。基本的には、個別指導計画(IEP)の作成を推進しているようですね。 

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/07050101.htm)。

イギリスでも学校によって緘黙児に対する支援の体制・程度は本当にまちまちです。ただ、特別支援の対象になれば(通常は何か問題があれば、診断が下りてなくても対象になります)IEPの作成が義務付けらるため、何らかの支援は受けられるはず。また、保護者が関わることによって、SENCO(特別支援コーディネーター)と担任との連携も強くなるような気がします。緘黙児は問題をおこさないため放っておかれがちです。また、緘黙期間が長ければ長いほど、担任も保護者もどうにもできないと思いがち…。保護者から学校への働きかけが必須になるかもしれません。

 

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ひと足遅れの花便り

4月上旬に日本から戻ってきたら、知らないうちに中庭の植物たちがぐ~んと成長して、緑いっぱいになってました。全く手入れせず、肥料もあげてなかったのに、植物って健気ですね。

バタバタ忙しくしている内に季節が駆け足で過ぎてしまいましたが、今年の春の風景を少しだけおすそ分けします。

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4月中旬の日曜日の夕暮れ、家に帰る道すがらふと空を見上げると、まだ青い空に薄い月が出ていました。散りかけの桜の大木の下を通ったら、冷たい風とともに花びらがはらはら。

IMG_20150428_193059偶然桜の花吹雪みたいな写真が

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     今年はぼんぼりのように咲くロンドンの八重桜の季節を見逃してしまったよう…。でも、代わりに知人宅でりんごの花を満喫しました

うちの小さな中庭で一番早く花を咲かせるのは、フェンスいっぱいに蔓を巻きつけているアケビの花。今年は、その蔓にアルピナ系のクレマチスも加わりました。実は、タグの写真についていた葡萄色の小さな花が気に入ってアケビとは知らずに苗を購入し、後で「フェンスにあの不思議な実がいっぱいぶら下がる?!」と後悔したのです。でも、4年経っても一度も実をつけません(ほっ)。

IMG_6273目を凝らすと、濃い臙脂色のアケビの花も見えます

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アケビというのは不思議な植物で、ひとつの株に雄花と雌花が別々に咲きます(雄雌同株)。写真の大きい方の花(実際は萼)が雄花で、右側の小さいほうが雌花。昆虫によって受粉するらしいのですが、うちの庭では4月に蜂は見たことないし…。

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昨年植えた白い花たちが一気に増えてました。花にも本当に色々な個性がありますね。