マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その4)

この3月に開催されたSMIRAコンファレンスで、イギリスの緘黙治療の第一人者、マギー・ジョンソンさんが、小学校中・高学年&ティーンのための支援方法について講演されました。その内容をKnetと拙ブログに公開する許可をマギーさんから得ましたので、概要を少しずつ翻訳してご紹介したいと思います。

なお、内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。年が上の子どもへの支援の詳細は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』に掲載されていますの第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年生&ティーンの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

恐怖症

セカンダリースクールの子ども(12~16歳・日本では中1~高1に当たります)と、恐怖症について話し合う方法。子どもの承諾があれば、保護者、友達、兄弟姉妹も参加可能です。

<恐怖症について話し合う>

1) 怖いと感じるもの、感じないものを分類

下記の中から怖いと感じるもの、感じないものを、子どもに分類させる(正しい答えはないので、自分の気持ちに正直に答える)。

(例) サメ、水、車、トラ、ピエロ、子ネコ、橋、野菜、ボタン、警察官など

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・        怖くない                   水、ピエロ 、子ネコ、野菜、ボタン、警察官                                 怖い           サメ、車、トラ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・          2) ディスカッション1

上記に挙げた全ての項目は、現実的な危険の有無に関係なく、ある人たちにはパニックを起こす原因となります。多くの人がボタンやネコ、ある種の野菜などへの恐怖症を持っています。

脳はどんなものでも、危険なもの・脅威としてプログラミングすることができるのです。そのため、私達はパニックをおこし、恐怖を引き起こすものや出来事をなんとか避けようとします。

それと同時に、どのように対処するか学び、コントロールできると感じていれば、サメやトラなどを全く恐れない人もいるのです。

3) ディスカッション2

次に、あなた自身に起こったこと--「話すこと」をリストに加えます。

あなたは常にパニックを感じている訳ではなく、多分できるだけそれを回避することで、「話すことへの恐怖」に対処することを学んだのです--私がサメが出没する海で泳いだり、子ネコ恐怖症の人がペットショップに行くのを避けるのと同じように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
怖くない                                  水 、ピエロ、子ネコ、橋、野菜、ボタン、警察官              怖い                     サメ、車、トラ、話すこと

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      4) 結論

危険についての認識は人によって異なる。

安全と感じることができるには:
1) ルールに従う (例: 道路を横断するなど)
2) 知識と経験を得る (例: 綱渡り、ライオンの調教師など)
3) 医学的(例: 喘息、ハチ刺され、ナッツアレルギーなど)もしくは、他の恐怖症と同様に心理的にリアクションを抑制する方法を学ぶ

*みく注: マギーさんは場面緘黙を恐怖症と捕らえると判りやすいとアドバイスしています(イギリスでは場面緘黙は「人前で話すことへの」恐怖のためにおきる症状であり、心理的な病気ではないという捉え方が強いように感じます)。余談ですが、ボタン恐怖症なんて最近まで聞いたことがなかったのに、実はイギリス人のママ友がそうであることが判明。普通に2、3個ついてるのは大丈夫らしいんですが、いっぱい集まってるとゾゾッとするそうで、ボタンのついている服はなるべく避けているんだとか…。私は田舎育ちで、虫とか昆虫とか慣れているハズなのに、ミミズのようなヌメヌメした動物を見るとゾゾっときます。小学校の同級生に蝶が苦手な子がいて、彼女が神経質なまでに蝶を避けていた様子を今でも覚えています。恐怖症って不思議ですね。

関連記事:

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その1)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その2)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その3)

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その3)

緘黙を克服したサキ・ギャラクシディス君の動画

  • この動画では、22歳のオーストラリア人の青年、サキ・ギャラクシディス君が、(専門家の支援を得て)15歳の時についに決意を固め、どのように緘黙を克服したかを語っています。
  • 彼は”極端な社会不安”のため、9年もの間両親をのぞいて誰とも話しませんでしたが、今では誰とでも話しています。
  • 「自分を信じて。僕にできたんだから、君にだってできる」、というのが彼の主要メッセージです。

*みく注: 18分の長い動画の中から、マギーさんはサキ君の最大のチャレンジとなった、「学校で初めて言葉を発する」部分のみ抜き出していました。その前にも参考になるアイデアが多々あるので、簡単に説明しますね。

 サキ君は学校で全く話せなかったものの、成績はよく自負心がありました。苛めにもあったそうですが、あまり気にせず、それほど落ち込んだことはなかったとも。将来のことを考えた始めた時、どこかで「話せないバリア」を取り払わなければマズイと真剣に思い始め、それが起爆剤になったそう。少し自信がつけば何とかなると固く信じていたそうで、「本当にやりたいと思えばできる」と視聴者に語りかけています。自分で克服するんだと決心したのは14歳の頃。父親にもそう宣言して、プロの心理士に相談しました。心理士のアドバイスは、簡単なことから始めて、スモールステップで徐々に自信をつけていくというもの。経験値をあげてかなり自信がついたところで、最大のチャレンジに挑戦したことが成功の鍵だったと思います。

<サキ君の緘黙克服方法>

まずは、自分で簡単にできることから、徐々に難度をあげて経験値をあげてゆく。下記は彼が楽だと思った方法なので、それぞれが自分に合う方法を見つける必要があります。彼の人生最大のチャレンジは、学校でひとりの先生にひとこと声を発するというものでした。

  • 作戦1: 普段よりも多く、両親と話す
    学校から帰宅したら両親に話しかけ、徐々に長い会話にしていく
     
  • 作戦 2: 町に出て知らない人と話す練習(道をきく)
    多分、多くの緘黙児が感じることだと思うのですが、彼にとっては知っている人よりも、全く知らない人と話すほうが楽だったそう。「誰も僕のことを知らないし、僕が話せないことも知らない。僕も彼らを知らない」– 失敗しても安心できる状況ともいえますね。
     
  • 作戦 3: 最重要課題の決行 - 学校でひとりの先生に「ハイ」と、ひと言だけ声をかける
     

動画の10分26秒のあたりから、

「今がその時だ!何がなんでも言わなきゃ。僕はありったけの力と自信をかき集めて、最初のひと声を絞りだそうとした。たったひと言 — いうべき言葉は「ハイ」、それだけ…。数分間そこに立って何とか声を出そうとしていたら、自分の中で少しずつ自信が湧きおこってくるのを感じたんだ」

「その僅かな自信に気づくと同時に、すぐさまそれを掴んで離さないようにした。そして、なんとか声を出そうと自分を奮い立たせたんだ。やるしかなかった。己の限界を超えなきゃいけない。安全地帯にいる限り何かを成し遂げることなんかできないから、そこから出なきゃいけない。その時は、すっかり安全地帯の外だったよ!」

「本当に辛くて、ずっと緊張しっぱなしだったけど、なんとかやり終えることができた。ただ、「ハイ」という言葉を発しただけ。でもその言葉は、それほど長く考えなくても出てきた。そんな風に、実現させたんだ」

*みく注: 心理士が学校に働きかけ、ランチタイムに特定の場所で先生と出会えるようにセットアップ。予めこの挑戦について先生に説明してあり、サキ君自身もそれを知っていました。

関連記事:

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その1)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その2)

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その2)

この3月に開催されたSMIRAコンファレンスで、イギリスの緘黙治療の第一人者、マギー・ジョンソンさんが、小学校中・高学年&ティーンのための支援方法について講演されました。その内容をKnetと拙ブログに公開する許可をマギーさんから得ましたので、概要を少しずつ翻訳してご紹介したいと思います。

なお、内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。年が上の子どもへの支援の詳細は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』に掲載されていますの第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年生&ティーンの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著                         ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

1) 自己評価をあげる - (その1)からの続き

子どもを受容する

  • 学校、そして学校外の活動などで、偏見なしに子どもをありのまま受け入れる
  • 共有体験--場面緘黙に苦しむ他の子どもやティーンと会ったり、連絡を取りあう。言語療法士に対しては、場面緘黙と訥弁の子どもを一緒に活動させたり、グループ活動を検討するよう奨励。FBやインターネット上でSMの子ども/ティーン用のグループに参加する

*みく注: 講演会では、重症の吃音に苦しむティーンの学校での受容例(教師、TA、クラスメイト)を映像で紹介。周囲の理解と支援があれば、学校に居場所ができ、モチベーションもあがることが判ります。 https://www.youtube.com/watch?v=cWeKiZS-dxM&hd=1

担任の取る態度や言葉だけでも、クラスの子ども達が受ける影響や態度は随分変わってくると思います。例えば、うちの息子(当時4歳)は緘動のため課題ができなかった時期がありました。「何でやらないの?」と訊ねるクラスメイトに、担任は「○○君は準備ができたらやるから、いいんだよ」と諭していました。自分のペースでやればいいと言ってもらえて息子も安心できたと思いますし、クラスメイトも「そういうものか」と納得したと思います。子どもがクラスで孤立しないような雰囲気を作ることは必須ですね。

2) 場面緘黙を理解し、自分でコントロールできる”症状″と捕らえる

  • 場面緘黙を外在化させるために必須 - 緘黙は彼らの個性ではない
  • 場面緘黙を克服する唯一の方法は、本人が自ら不安と向き合い、その時々に可能なステップを一歩ずつ踏んでいくこと - これは他の誰でもない、本人しかできないこと

<事例>

1) 場面緘黙とASDを併せ持つ14歳の少年

マギーさんが送ったハンドアウトを使い母親が2)を説明したところ、少年は非常に腹を立てました。(多分、誰かが話しているのを聞いたのでしょう)彼は地方自治体がこの問題に対処し、治療をしてくれるものと思い込んでいたのです。怒って部屋を飛び出し、その後この件については触れませんでした。

その週末買い物に行った際、突然彼の姿が見えなくなりました。母親がパニックに陥りそうになった時、少年は雑誌を手に戻ってきました。生まれて初めてひとりでニュースエージェントに行き、毎週取り寄せている雑誌を自分で取ってきたのです。驚く母親に、少年はすました顔で、「自分でやるようにしたら、怖くなくなるって言ったでしょ」と告げました。

2) 学生時代を通して場面緘黙に苦しみ、その後克服した若者

「最も開放されたのは、場面緘黙が自分の資質ではなく、不運にも罹ってしまった(アトピーのように)ものと捕えるようになったこと。一旦このような見方を始めると、何とかその症状と共存することを学び、さらには対処し、克服できるものと考えられるようになりました。今でも不安になりやすいですが、もはや不安が私をコントロールするのでなく、私が不安をコントロールしています」

3) 学生の頃ずっと緘黙に悩まされたが、現在は回復している若者

「-学校の外で、私の問題を知らない人たちとの間で自信をつけることに焦点を当て、怖いけれどやれそうなタスクを、難度をあげながら自分に課していきました。私のことを、ちょっと大人しい子と思っているだろう人たちと交流すればするほど、自信がつきました。それでも学校では話せませんでしたが、大学に入学して緘黙を克服することができたのです」

関連記事:

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その1)

 

マギー・ジョンソンさんの講演から『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その1)

この3月に開催されたSMIRAコンファレンスで、イギリスの緘黙治療の第一人者、マギー・ジョンソンさんが、緘黙で苦しむ小学校中・高学年生&ティーンの支援方法について講演されました。その内容をKnetと拙ブログに公開する許可をマギーさんから得ましたので、概要を少しずつ翻訳してご紹介したいと思います。

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援については、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』で詳しくカバーされていますの第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年生&ティーンの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著                         ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

成功の鍵となる指標 (社会不安障害の予防)

  1.  自己評価をあげる
  2. 場面緘黙を理解し、自分でコントロールできる”症状″と捕らえる
  3. 自分が変わるための触発剤(事象/目標/人)
  4. 家庭と学校の協力的な環境
  5. 専門家を含む支援ネットワーク
  6. 話すことへの恐怖を克服する戦略

*みく注: まず自己評価をあげ、子どもを取り巻く環境を整えてから、支援を開始します。その際、子ども自身が自覚を持って場面緘黙に向き合う必要があります。第三者の大人の支援者を得、できれば専門家にバックアップしてもらい、しっかりした戦略を立てて「話す恐怖」を克服していくというのが理想。でも、全部の条件を満たすのは難しいため、できるだけ多く組み合わせて、ということ。

特別支援教育が浸透しているイギリスの学校においても、条件をそろえることはなかなか難しそうです。というのも、学業に支障がなく問題を起こさない緘黙児は、放置されてしまう傾向が強いからです。イギリスでも、特別支援の予算やマンパワーが限られているため、後回しにされるケースが多いよう。まだ特別支援制度が徹底していない日本の学校で、環境を整え、支援ネットワークを作るのは、かなりハードルが高そうです。

1) 自己評価をあげる

★大人のメンター(保護者以外の指導者・支援者)を得る

  • 純粋にその子が好きな人/子どもとの関係を楽しめる人
  • 子どもに自分の価値を解からせることができる人
  • 子どもを信じ、子どもの自信を養わせることができる人

*みく注: 保護者では関係が近すぎるため、第三者の頼れる大人との繋がりを作ることが重要とのこと。保護者以外の大人に認められることは大きな自信になります。また、将来自立していくための足がかりにもなるでしょう。

イギリスでは、運が良ければ学校でTA(教員助手)が緘黙児の支援に当たります。日本では、学校でどんな支援を受けられるかは、担任の力量による部分が大きいかもしれませんね。

学校外で親しい親戚や知人などの協力を得られるといいんですが、多忙な暮らしの中で密に連絡を取るのは難しいかもしれません…。面倒見のいい習い事の先生、信頼できる家庭教師なども助けになりそうです。

★友達関係を広げる

  • 社会的な適性の確認
  • 同世代の子どもとのふれあい/会話の経験

<友達を作る方法>

  • 目的のある活動や共通する興味を通じて
  • 大人の仲介を通して
  • (ASDが併存する場合は)場面緘黙を認識させた後、特定のソーシャルスキルや会話練習のグループを通じて

*みく注: 仲の良い友達がいるかいないかが、子どものメンタルヘルスに影響してきます。子どもが好きなこと、得意なことを伸ばすように努め、共通の趣味や目的を持つ仲間を見つけることができるといいですね。学校の友達もですが、習い事や趣味関係の友達、違う学校に通う幼馴染、従兄弟など、学校外で自分を理解してくれる同世代の子がいれば、自己評価も随分違ってくると思います。

親にはバカバカしいと思える知識が、子どもの間では尊敬されることも。例えば、ASD児専門校に遊戯王博士と呼ばれる子がいるんですが、共通事項があれば違う学年の子とでも話が弾み、方々の大会に参することで行動範囲も広がっています。何より、好きなことが生活の楽しみ・励みになっています。子どものやりたいことを尊重し、奨励しましょう。

ASDやその傾向がある子どもは、将来の円滑な人間関係を築くためにも、ソーシャルスキルを学ぶことが重要になってくると思います。

 

親戚のヴィレッジ・フェス

9月から新学期が始まるイギリスでは、夏休み前が学年末にあたります。そのため、7月は学校行事や習い事の発表会など、1年の締めになる行事が目白押し。

また、天候の良さも手伝って、7月は屋外イベントや催しが集中する月でもあります。夏休みに入ると、イギリス人はそれぞれ個々にバケーションに出かけてしまうので、行事はその前にという意図もあるのかも。

先週末は、我が家でも息子のブラスバンド演奏会と親戚の集まりがあり、車で飛び回っていました。土曜の演奏会が終わった後にノーサンプトンの夫の実家に行き、そこでスコットランドに住む義母の姉夫婦と合流して一泊。翌日、車で30分ほどの義母の実家に向かいました。

義母の実家は代々から続く地主で、現在は長男である弟が小さな村の土地や建物を管理しています。その義叔父一家が5年に一度、1週間にわたって村のフェスティバルを開催するのですが、私達は最終日(日曜)の親戚の集いに参加したのでした。

IMG_5137最終日だったのと雨天のため、駐車場も兼ねた野原はガラガラ。キャンプ組はごく僅かでした。

IMG_5139IMG_5155

野草風の可憐な花が咲き乱れる、義母の実家のコテッジガーデン。

IMG_5143IMG_5197

IMG_5144IMG_5141

庭にマーキー(大テント)が設置され、テーブル席がしつらえてありました。中央にはステージがあって、音楽会やダンス会場にもなります。テーブルの花アレンジは村の友人の手によるもの。

IMG_5161

当日は、ランチの前に村を散策しながら教会に行き、本家の墓地に木の苗を植える予定。が、あいにくの雨でプランBに変更--3人の義叔父の音楽演奏、海を渡った祖先の話とラテンアメリカからやって来た親戚の紹介、などで盛り上がりました。

IMG_5202IMG_5204

お待ちかねのローストランチは定刻の1時から(初めてイギリスに来た当時は、12時にお腹がすいて困ったものです)。メニューはローストビーフ&ターキーとポテト、付けあわせの野菜が3種類。この他、ポーチドサーモンもありました。

IMG_5201IMG_5213

IMG_5212

プディング(デザート)はチョコレート&レモンケーキと季節のフルーツ。地元のベーカリーで調達したチョコレートケーキが美味でした~。腹ごしらえをしたところで、ちょうど雨もあがったので村を通り抜ける1本道へ。

IMG_5229IMG_5228

1695年に建てられた村で一番古い家。横から見ると壁が湾曲してます。

IMG_5227IMG_5218

壁に藤やバラなどの吊植物を這わせた家が多数。

IMG_5239

義両親が結婚式を挙げた小さな教会。ちなみに、墓地に植える予定だったのは、キリストの叔父、アリアマテのヨセフに由来するという、高名な「グラストンベリーの聖なるさんざしの木(The Glastonbury Thorn)」の苗木。以前あった木が枯れてしまい、植え替えることにしたんだそう。

IMG_5262IMG_5266

IMG_5259IMG_5277

村の端まで行って裏道を歩いて戻ってきた頃には、太陽が顔を出しました。義叔父の息子も大学生になるので、このフェスティバルは今年で終わりにするかもしれないと聞き、かなり淋しい…。わたしたち夫婦は1998年に結婚したので、このイベントに参加するのは今回で3度目。息子達の代まで親戚の輪が広がるよう、ずっと続けてくれたらなと願ってやみません。

 

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その4)

息子、犬恐怖症に陥る

3歳になる少し前のこと。いつものように、日本人の友達母子と一緒に近くの公園に出かけました。

楽しそうにちょこちょこ走りまわる息子たちの後を、彼のママとお喋りしながら歩いていた時です。低木の茂みの中から、いきなり3匹の犬が飛び出して来ました! 犬に追いかけられ、悲鳴をあげて泣きながら走りだす子どもたち。

あまりに突然のことで、びっくりして咄嗟に声が出ず…。私たちは一瞬顔を見合わせて、すぐ息子たちのところに走りよりました。同時に、遠くで飼い主の声がして、犬たちは疾風のように走り去って行きました。

飼い主は私たちのところに謝罪に来ず、気づいた時には既に犬を連れて立ち去っていました。子どもの多い公園で犬を放しっぱなしにするなんて、マナー悪すぎ!(息子たちが小さかったので巨大に見えましたが、犬たちは小・中型犬でした。もしかすると、まだ仔犬で子どもたちにじゃれてたのかもしれませんね。それにしても、監督不行届きですが)

息子は割とすぐに泣きやみましたが、それ以来というもの、大の犬嫌いになってしまいました。それまでは、積極的に犬に近づくことはなかったものの、私が一緒なら撫でたり・触ったりしていたのに…。犬を見つけると、私の影にかくれたり、手をぎゅっと握るようになり、極力近づかないように。

イギリス人は犬好きが多く、ベビーカーを押しながら愛犬を散歩させてる人も多いし、公園の遊び場のゲートに犬がつながれていることもしばしば。特に、公園内は犬だらけなので、避けて通るのは楽ではありませんでした。また、息子が目ざとく見つけて警告するので、「あーまたか」とため息が出ることが多かったです。

うちの息子だけかもしれないんですが、不安の強い抑制的な気質の子どもは、恐怖症に陥りやすいんじゃないかと思っています。これまでに犬恐怖症と水恐怖症(水泳プール)を経験(ありがたいことに、どちらも治りましたが、まだ苦手意識はあるかも)。また、極度に緊張するとお腹が痛くなったり、トイレが近くなる時期がありました。

ちなみに、息子の犬恐怖症が治ったのは、仲の良い友達が犬を飼いはじめた10歳のころ。犬がいる友達宅に遊びに行くか・行かないか — 究極の選択に迫られ、遊びに行く方を選んだのです。

友達の家のラブラドールは、偶然にもとても臆病で淋しがり屋の性格。ママ友からは、「○○君(息子の名)に似てる」と言われてました(笑)。

彼女は子ども達がまとわりついても、いきなりシッポを掴んでも、決して吠えないんです。実に気立ての優しい良いワンコだったので、息子は徐々に慣れて一緒に遊べるようになりました。そのお陰か、息子はボクサータイプの大型犬がいる別の友達宅にも行けるようになり、それほど犬が怖くなくなったよう。

友達は違う学校に進み、もっと郊外に引越してしまったのですが、彼の犬には本当に感謝しています。

関連記事:

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その1)

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その2)

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その3)

 

ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)

7月6日に書いた記事の続きです。2011年に行われたマギー・ジョンソンさんのワークショップの資料を掘り起こしてみたら、ノートにこんなメモがありました。「ASD児とSM児の持つ特性はオーバーラップするところがあり、ASDとSMを併発しているケースは以前考えられていたほど少なくない」。”not so rare as previously thought” とあるので、「多くはないけれど、時々見られる」程度の感じじゃないかと思います。

これは、「日本では広汎性発達障害と診断されるSM児が多いようなんですが、イギリスではどうですか?」という私の質問に対する答えでした。ここ数年来、マギーさんは主にセカンダリー(11歳~16歳)以上の子どもの治療を担当していて、あまり改善が見られない場合は、ASDが併存しているケースが見られるとも…。

緘黙の治療効果は小学校中学年から緩やかになり、年齢があがるにつれて回復が難しくなると言われています。特に、小学校高学年から中学までは、プレ思春期と思春期が重なるため、周りの目が最も気になる時期。高校や大学進学を期に自力で立ち直るケースも多いようなので、改善が見られないからASDということではありません。特に、日本では保護者と学校・専門家が連携して治療に当たるのが難しいため、年齢が上の子の緘黙治療はより困難といえそう…。

下記は私がとったメモからの抜粋です。急いで書き写したので、間違いがあるかも…。

<SM児とASD児のオーバーラップする特性>

  1. 根本的な気質(same underlying disposition 不安になりやすい抑制的な気質?)
  2. 自分なりのルールへのこだわり(rule bound 食べ物、服装などを含む)
  3. 感覚過敏 (sensory sensitivity)
  4. 視覚的な説明やチェックリストが必要 (need visual explanation/ checklist SM児の場合、不安のため情報を受信できないこともある)
  5. コミュニケーション量の問題 (issues with communication load認識プロセスのレベルに問題があるため、一度に大量のコミュニケーションを処理できない)                           ASDを併発しているSM児の中には、多量で複雑なコミュニケーションを処理できないため、緘黙傾向に陥る子もいる。解決法 → 一度に大量の情報を与えないよう、「コミュニケーション量」を減らし、混乱しないように早めに助け舟を出す。自分で選ばせるなど、子ども自身に主導権を与える。

*注:どのSM児も1~5までの特性を全て持っているということではありません。上記の事項が類似していることが多いということだと思います。また、上記が当てはまるからといって、自閉症スペクトラムという訳ではありません。④⑤には言語の問題が含まれるかもしれませんね。

例えASDが併存する場合でも、治療や支援のアプローチは同じということ。ただ、純粋な緘黙と比べて回復はゆっくりになります。また、緘黙を克服してもASDが治る訳ではないので、ASDに対する支援も必須です。とにかく、緘黙とその背景にある問題を早期に発見し、早期介入することが大切ということでした。

うちの息子の場合を考えてみると、1、2(特に服装と髪型!)、3、そしてう~ん、同時に複数のことをするのが苦手なんですが、5 の傾向もあるのかな?視覚優位でもあるようだし…。

「ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」ということで、1~5 に問題がある時は下記のような対策が立てられるかなと思います。

  • 不安を減らす呼吸法や自分なりの対処方法を考えさせる
  • こだわりを責めず、徐々に納得させて自分なりに対処できるようにする
  • 新行事などがある時は、予め予定を伝えておく
  • 写真や絵、物を使って具体的に説明する
  • 指示する時は短かめに、解かりやすく
  • 一度に沢山のことを言わず、ひとつずつ順番に

もっとたくさんの対処法があると思うので、自分の子どもに合うような対策を考えられるといいですね。

関連記事:

ASD児と緘黙児--類似する特性?

 

一般家庭の居間をタイムカプセルに-- The Jeffrye

イギリスの5~7月は社交シーズンと呼ばれ、上・中流階級の人々が集うイベントが目白押し。5月のチェルシーフラワーショーに始まり、ロイヤルアスコット競馬、ウィンブルドンテニス選手権、ヘンリーレガッタ・ボートレースなどなど。最後は、音楽の殿堂ロイヤルアルバートホールで行われるプロムスで、エルガー作の『希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)』を歌って幕を閉じるのです。

去る6月19日の朝、Waterloo駅から電車に飛び乗ったら、一瞬「ここは何処?」の世界に…。車内はカクテルドレス姿の着飾った若い女性と燕尾服を着込んだ男性でいっぱい。女性がみな帽子(というか髪飾り的なものが多い)をかぶっていたため、「あっ、今日はロイヤルアスコットか!」と気づいたのでした。

しかし、電車でアスコットに行くんだ~、と驚きでした。というのも、エリザベス女王が黒塗りの高級車で会場入りする様子をTVで観た印象が強く、当然車で行くんだと思い込んでたんですね。考えてみると、駐車場が混み合って大変なんでしょう。

朝からシャンペンボトルを片手に、プラスティックのグラスで乾杯したり、携帯でセルフィーを撮りまくり、写メしまくる女性たち…。Royal Enclosureのバッジをつけて、シルクハットを手にする燕尾服の男性もいるし。ドアの近くで立ったまま観察していると、近くの騒がしい女性達はロシア人でした。

また、ちょうどウィンブルドン期間中にウィンブルドン行きの地下鉄に乗ったら、周りでテニスの話をしてるのは外人ばかり…。パナマ帽をかぶって苺とシャンペンで観戦を楽しむという感じは全くない、半パンにロゴ入のリュックを背負ったダイハードなテニスファンたちでした~。

ちなみに、若者たちにとっては夏は野外フェスティバルのシーズン。マッドスライドで有名なグラストンベリーは終わりましたが、まだまだ多くのフェスが予定されています。そういえば、私も渡英したばかりの頃は、色んなとこに行ってたな~と遠い目になる今日この頃です。

社交シーズンとは全く縁のない我が家では、先週の土曜日に毎年恒例のイチゴ狩りに行ってきました。今年初の収穫は、苺1.8kgとラズベリー、ズッキーニとソラマメ、サヤインゲン、キュウリ。

IMG_5009全部で15ポンド弱だったので、日本円にすると2500円くらい

日曜日は金融街シティにアートの展示会を観にいったのですが、何と開いてませんでした…。その後、バスで今まで行ったことがなかった家の博物館、The Jeffryeへ。ここは一般家庭の居間と庭を時代別に展示しているユニークな博物館です。ロンドンの博物館はたいてい無料なのが嬉しい。http://www.geffrye-museum.org.uk/

 IMG_5135

IMG_5018

もともとは18世紀に鉄器豪商が地元の貧しい老人達を住まわせた私立の救貧院

 IMG_5024

                      1785年に使われていた英国製の磁器ティーセットは、中国製を模倣したもの。当時はまだティーカップに取っ手がついてません

IMG_5031

婚礼を祝う親戚縁者が家に集う様子を描いた絵の一部。19世紀ごろの作品

IMG_5041

薄暗いですが、1890年代の居間です。暖炉の周りのタイルの模様は日本のデザインからヒントを得たものだとか。良くみると日本製(?)の陶器がいっぱい

IMG_5029

家具調度を保護するため屋内全体が薄暗く、途中この大きな窓があってほっとしました

IMG_5046IMG_5044

何故か建物の真ん中にカフェが。苺&チーズ入スコーンと紅茶でひと息

IMG_5065IMG_5069

1998年のロフトスタイルアパートがもう懐かしい感じ…

IMG_5077IMG_5080

ハーブガーデンの植物は実際に薬用や食用にしていたもの

IMG_5110IMG_5129

蕾や枝がモス(コケ)に覆われたようなモス系のオールドローズとアリウム

IMG_5127

庭からカフェを見た風景

家族連れの多い、とってものんびりした博物館でした。

 

ASD児と緘黙児--類似する特性?

先週の金曜日、ASD児専門校の子ども達に付き添って、近隣の名門私立校に行ってきました。学校同士の交流があり、わが校のセカンダリー(12~16歳)の子ども達を対象にしたワークショップを開催してくれたのです。うちのクラスからも、6年生の子が3人参加しました。

地下鉄利用ということもあり、総勢16名の子どもに付き添いの大人がぞろぞろ…。スタッフの息抜きも兼ねた、学年末のイベントのひとつだったよう。

16世紀から続くという歴史ある名門校を訪問してみて、学校施設や人材の充実ぶりに驚かされました。広々とした敷地内に立派な校舎や専門の施設が点在し、専用のテニスコートやアスレチックグランドも。入学試験の難度が高く、学費もかなり高額らしいのですが、この充実度だったら納得という感じ。いや、ケタ違いにすごい!

最初に案内されたスポーツグランドではテニスの授業中でしたが、体育の先生じゃなくて、テニス専用のコーチが教えてるんです。生徒数は20名ほどなのに、助手が2名。各教科についても、えり抜きの優秀な教師陣と助手を揃えているだろうことは、容易に想像できました。

ワークショップはスポーツコーチ、D&T(デザイン&技術)教師、そして科学者(後で調べたら、結構有名な方でした!)が担当。スポーツで汗を流した後は、立派なD&T教室でミニLED懐中電灯作りに取り組みました(PC搭載のレーザーカッターで製作したキーホルダーのお土産つき)。最後の科学講座は、液体窒素などを使って次から次へと実験を繰り広げるスリリングな内容。おしまいに子ども達を部屋の隅に退去させ、ものすごい大音響で風船を爆発させたのには度肝を抜かれました。

どのセッションもプロ意識の高さが伝わってくる内容で、毎日こういう授業を受けてる子ども達がイギリスの将来を担っていくんだなと、感慨深かったです。予算の少ない公立の学校では、こうはいかないでしょう…。

話は変わりますが、このイベントを通じて感じたのは、緘黙児と似た傾向の子がいるということ。

スポーツイベントでソフトフハードル走をした際、付き添っていたグループの女の子が逃げ腰に…。やったことがないと不安がるので、「柔らかいハードルだから当たっても痛くないよ」 「一緒に走ろうか?」と声をかけ、手をつないでスタート。ひとつ目のハードルを飛び越えた後、ひとりで走っていくことができました。その後の競技でも「また一緒に来て」と頼まれて、一緒に走ったのですが、私の方が遅かったので自信がついたと思います(笑)。

また、最後の記念撮影では、ひとりだけ撮影拒否の子が…。いくらスタッフが誘っても頑として動かないので、そのままに。でも、担任が「じゃあ、写真撮って」と声をかけ、撮影側として参加させることに成功しました。

緘黙児と大きく違ったのは、D&T教室で男子生徒が我先にと手を挙げて質問に答えていたこと。得意分野に関する知識は、半端ないものがあります。実に堂々と答えるので、何だか誇らしかったです。

2011年にマギー・ジョンソンさんの緘黙支援ワークショップに参加した際、「緘黙児とASD児の特性は重なるところがあるので、ASD児に有効な支援はSM児にも役に立つことが多い」と話されてました。その資料とメモを見つけ出して、もう少し詳しく説明できたらいいなと思ってます。

 

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その3)

引っ込み思案が定着?

息子が生後6ヶ月を過ぎた頃から、少しずつ少しずつ仕事に復帰し始めました。幸いにも殆どが在宅ワークで、外出する日数は限られていたので、最初は夫と義母、そして親しいママ友に頼んでやりくりしていました。自宅に来てもらえれば、大体は機嫌よく過ごせていたと記憶しています。

2歳半になった頃、近くに住むチャイルドマインダーさんに1週間に1度預けることにしました。お弁当を持参し、彼女の自宅で同年代の女の子と2人一緒に一日お世話してもらうというもの。初めは、「今日もいい子にしてたわ」と、ほとんど問題はありませんでした。

が、2ヶ月目に入ったところで、「急に泣き出して、全くおさまらず本当に困った」と、迎えにいった途端に訴えられ…(その気持は痛いほど解るけど)。この日は新メンバーが入り、いつもと違う環境だったとか。

「普段他の子ども達と遊ばせてるの?」と訊かれ、ちょっとカチンと来てしまいました。息子が集団に溶け込めるよう、私なりに頑張ってきたのに~!

翌週は少しマシだったようですが、息子が行くのを嫌がるようになったため、預けるのを断念。次からは、必要な時だけ臨時でベビーシッターさんに来てもらうようにしました。若い日本人女性が来てくれた際は、もうべたべたに甘えまくり!彼女が帰る時に大泣きするという事態も発生しました。

こうして、公の場では引っ込み思案、でも気を許せると思った人とはすぐ親しくなって自己主張する、という不思議なパターンができあがったのでした。

この頃から、親しかった日本人の友達が3歳になって私立の幼稚園に通うようになり、今までのように頻繁に遊べなくなってしまいました。また、それまで通っていた小規模のプレイグループが閉鎖し、少し遠くですが日本人もいる規模の大きいグループに参加することに。

大体2時間半くらいの会で、前半は私の側を離れず、大抵はミニカーで遊ぶというパターン。おやつタイムを挟んだ歌の時間は、みんなで集まって円座に座り、曲に合わせて振りをつけながら”Old McDonald”などの童謡を歌います。でも、息子はやる気全くナシ…。仕方がないので、ずーっと手を添えてやらせていました。

それが家に帰ると、お気に入りのアニメ番組の曲を大声で歌いながら踊ってたりするんですよね….。君は一体何なんだ~?! その後も、できないのかと思っていたら、人目につかないところでやってたりと、母親としてはフラストレーションがたまる状況が重なりました。

さて、プレイグループも後半になると徐々に緊張も解けてくるのか、だんだん行動範囲が広がります。そして、お片づけの時間になって母親達が玩具を倉庫に運び始めると、やる気全開になって、他の子ども達と追いかけっこごっこに夢中になるという…エンジンがかかるのが遅すぎ。

このプレイグループが公園に面した教会で開かれていたので、帰り際に公園で残った子達と少し遊ぶのが楽しかったようです。

その頃、日本人親子が集まる絵本の会にも参加していたんですが、スイカ割り大会ではただ一人頑として動かず…涙。その後、誕生会でスイカ割りをしてみたら、先頭に立ってやってました….やぱり、公の場だと 「できないかも?」「失敗したら嫌」という不安が人一倍強いようでした。

関連記事:

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その1)

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その2)