平等ってなに?

息子がイギリスの学校に入学して、つくづく日本と違うなぁと思うことが沢山あります。中でも全く違うと思ったのは、「平等の概念」でした。

個人主義の国というのもあると思うんですが、イギリスでは「人はみな平等」ではなく、「人は不平等に生まれつくから、できるだけ平等になるように」という考え方のように思えるんです。

イギリスは歴史的に移民を多く受け入れてきました。今でも海外からの移住者や移民が多いため、英語を母国語としない子どもが大勢います。ロンドンには特定の民族が集中する地区があり、英語を母国語とする白人の子が20%に満たない学校も!

例えば、息子が通っていた小学校では、EUが拡大したためか東欧からの転校生が目立っていました(特に、小5、6年ころ)。驚いたことに、両親がまだ経済的に自立できていない場合は、優先して学校に入れてもらえ、給食費やその他の経費が免除に!さらに、英語を母国語としない子どものために、特別な英語のクラスが設けられているんです。

こういった政策に反対しているイギリス人もいるし、移民が増えすぎて社会問題にはなっているものの、一般的には「仕方ない」という受け取め方のよう。クラスのママさん達の中で、文句を言ってる人はいませんでした。鷹揚というか、気にしないというか…。英語ができないんだから、支援するのは当たり前という感じ。

こういう状況なので、特別支援が必要な子どもや授業についていけない子に対しても、支援は当たり前というスタンスです。例えば、低学年のクラスにはTA(教育補助員)がいるんですが、TAはたいてい特別支援(SEN)が必要な子どもやできない子をアシスト。特別な小グループ活動をしたり、1対1の指導をすることもあり、その他の子を個別にアシストすることは殆どありません。

その一方で、”Gifted”と呼ばれる、高い能力を持つ子達が、特別な授業を受けることもあります。運動能力のある子どもを集めて強化チームを作り、地区の競技会に出場させたり、楽器が得意な子を集めてオーケストラを作ったり。

以前の記事にも書いたのですが、支援や強化をする子どもを選ぶプロセスについては、選ばれた子どもの保護者だけにしか通知されないことが多いんです。学校が毎週発行するスクールレターで、「陸上大会で○○君が優勝」、「学校のオーケストラが受賞」などという報告を見て、「えっ、そんな大会があったの?!」と初めて知ることに(笑)。

大雑把にいうと、特別上と特別下の子どもにはエクストラの支援が与えられ、真ん中のその他大勢は通常授業のみという状態…。

これって日本だったら考えられないと思うんですね。日本でいう「平等」って、どの子も同じように扱うことじゃないでしょうか?

例えば、子どもの友達が放課後特別に授業を受けているのに、自分の子は受けられなかったら、保護者は「あの子だけズルイ」と、思うのでは?

日本で学校に緘黙の支援をお願いしたら、「特別扱いはできません」と言われたという話を耳にしたことがあります。学校や担任に支援をお願いする時、「みなさんに悪いな」と遠慮される保護者もおられるのではないかと思います。

クラスに担任がひとりしかいないこともあり、特定の生徒により多くの時間を割くことが問題視される風潮があるような気がします。

日本の学校における緘黙治療の難しさは、こういったところにもあるような気がしています。イギリスの学校も千差万別で、受けられる緘黙支援はピンからキリまでなんですが…。先生に迷惑をかけるとか、他の保護者から迷惑に思われると気にしてしまうと、かなりやりにくいですよね。

関連記事:

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

 

Spread the love

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください