元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その3)

今回は、クリスティーナさんが場面緘黙を啓発するために作成した動画『場面緘黙ークリスティーナの物語(Selective Mutism Christina’s Story)』をご紹介します。

この動画では、緘黙になった原因、幼少期の想い出、学校での虐め、ついには入院するに至った経緯などを写真やイメージを交えながら解説。淡々とした語りですが、辛かった時期の心の叫びが聞こえてくるよう。どん底の精神状態から這い上がり、アートへの道を切り開いた彼女ゆえに、説得力があります。

 

クリスティーナさんの緘黙は、1歳の頃におきた両親の離婚や、家族間でのトラウマになるような経験が原因で発症したそう。早期発見と、母親と学校による手厚いサポートが功をなし、小学校時代はスポーツ好きの活発な少女だったとか。学業にも遅れはありませんでした。

動画の3分20秒から、犬のコスチュームを着た6歳当時の写真が出てきます。当時は「吠えることでコミュニケーションを取ろうとした」「犬のふりをすることで話さないことを正当化していた」と…。友人の誕生パーティーで、他の女の子が全員プリンセスの衣装なのに、自分だけ犬だったことは、鮮明な記憶として残っているそう。

7歳の時に母親が再婚したため、スイスに移り住んで現地の学校へ。言葉の問題もあって初めて虐めを体験しますが、それでも友達ができ、不幸ではなかったということ。

イギリスに戻った後は、緘黙でも上手く新しい小学校馴染めたそう。でも、セカンダリースクール(12~16歳)に進学した頃から、思春期も重なって「自分はここに属していない」と大きな不安を抱えるように。12歳といえば、周囲も思春期の真っただ中で、異分子を排除しようとする傾向が強い年頃。クラスメイトは、話さず、自分たちに同調しない彼女を、異分子とみなしたんだと思います。

そんな不安に追い打ちをかけるように、一部教師の無理解も酷いものでした。ある教師は14歳の彼女をひとり教室に残し、「お前が教室にいると、腐った死体といるみたいだ」と言ったというのです…信じられない暴言!自信を打ち砕かれ、自己評価が地に落ちてしまったのも、無理はありません!

学校で固まってフリーズすることが増え、人とコミュニケーションを取ることが困難に。水を飲んだり食事をしたりすることも難しく、頭痛や腹痛に悩まされる日々。トイレに隠れることが多くなり、徐々に学校に行けなくなりました。

母親は言語療法士を含む多くのカウンセラーに助けを求めたものの、場面緘黙への理解も知識もなく、次から次へとたらい回しに。最終的に、行動に問題があって学校に行けない子どもが行く施設に案内されたとのこと…。

孤独と絶望を感じ、自暴自棄になり、普通の生活をすることが難しくなって、ついには病院の精神科に3か月入院(多分自分に危害を与える可能性があったためだと思われ、事態はかなり深刻だったよう)。ここでも緘黙を理解する専門家はいませんでしたが、精神を病む同世代の子ども達に共感し、自分を顧みることで、元気を取り戻すことができたと語っています。また、弟が生まれたことも大きな助けになりました。

学校に戻り、1年遅れで全国共通試験GCSEを受け、ほどほどの成績を取れたそう。その後、カルチャースクールのような場で、大人と一緒に水彩と油絵を学び、才能を開花させていったのです。一般的な手順を踏まずに大学入学を許可されたのは、彼女の才能あってのことでしょう。

「5年後に何をしていたい?」という質問に、15歳の彼女は「大学でアートを勉強したい」と答えたとか。その言葉通り、イーストアングリア大学でアートの修士コースまで進み、今夏は初の個展を開くまでに。

今緘黙で苦しんでいる子・人たちも、きっとクリスティーナさんのように苦しみから脱出できるはず。解ってくれる人たちは絶対どこかにいます。時間がかかるかもしれませんが、決して諦めないで。

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