SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その2・エイブリーさん)親子の緘黙

天気が変わりやすい灰色の日々が続くイギリス。時どき青空が見えると、本当にほっとします。

    勤務先は小高い丘の上。母と小学生の子ども達による通勤路の街路樹アートはまだまだ続く

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さて、SM H.E.L.P.の秋サミットの続きです。

講演者: アメリカ在住のエイブリー(Avery Sunshine)さん。緘黙体験者で2人の娘の緘黙を支援しているうちに、自らの緘黙の過去を断ち切り理想としていた自分になることに成功。現在、他の子ども達や保護者が内なる太陽を見つけられるよう支援を行っている。エイブリーさんのサイト:sunshine mindset

<成人しても緘黙に苦しんできた>

私は人生のほとんどを社会不安、分離不安、場面緘黙に悩まされてきました。そんな私が変わったのは、幼い娘たち2人に同じ兆候があると気づいたとき。娘たちには自分とは違う未来を歩んで欲しい――勇気を奮い起こしてサポートしている内に自分自身も変わることができたんです。今では、かつて理想としていた人生を送れています。

<場面緘黙と社会不安>

私は幼少の頃から、極端に内気で不安の強い子どもでした。それは大人になってからも変わらなかったわ。これらの症状は場面緘黙の人なら誰でも持っているという訳ではないけれど、重なる部分も多いのでは?

<場面緘黙と社会不安の違い>

場面緘黙と社会不安との違いは、SMは話すこと・口語でのコミュニケーションに対する恐怖症。一方、社会不安は自分がいつも舞台の上にいるような気持ち――常に人に見られていて、どう判断されることへの恐れです。この2つが併存していることは多いのではないでしょうか?

<幼少期の思い出>

小さい頃は社会不安が大きくて、両親としか話せなかった。自分から友達を作れなかったから、母が友達を連れてきてくれたけど、すごく孤独でした。

中学では虐めにあって「ミュート(唖)」と呼ばれて…。特にひとりに虐めのターゲットにされて、髪にガムをつけられたり、持っている本を落とされたり。どうしていいか判らず、とにかく忙しいふりをしていたの。ひとりで座ったり、誰かのグループに入ったりする勇気がなかったから、用事もないのに学校の公衆電話から母親の職場に電話したり…。すごく大変だった。

高校では少しマシになったけど、個人発表やグループプロジェクトが苦痛で。1000%正しいと解っていても、挙手できない。個人の発表が迫ってくると、仮病で学校を休むすこともしばしば。課外活動を見学に来た母が、誰にも話をせず・かかわらず、何もしない私を見て狼狽していたのを覚えています。

<子どもの心情を理解して>

保護者や教師たちが子どもの心情を理解することは本当に大切。「恥ずかしがり屋なだけ。成長したら治るから大丈夫」と客観視するのは危険です。子どもは心の中で多くの葛藤を抱えている。独りぼっちでいたくないのに、自分からグループに混じることはできない――どうしたら輪の中にいるよう見えるのか、絶えず心配し心を痛めていました。それなのに、傍からは「平気そうだから大丈夫」とみられてしまう。誰かに判ってもらえるだけで、全然違うと思います。

<子どもが抱えている違和感>

「私はみんなとどこか違う。どこがいけないの?」と自分でも判ってました。実は、私の家庭は機能不全で健全ではなかったから、家族からのサポートや手引きを受けるのは無理だったの。「もし支援を受けられていたら、自分の人生はどう変わっていたんだろう」とよく思います。

娘たちが生まれるまでは、自分はこんな家庭で育ったからこんな風なんだと思い込んでいた――娘たちが私と同じパターンの行動を取るようになるまで。その時点で、やっと自分が場面緘黙で不安障害と分離不安も抱えていたことを発見したの。私が娘たちに注いでいる愛情や支援が、私の両親にはまったくなかった。大きな困難を抱えていたのに…。支援や支援チームがあるかないかとでは、子どもの未来が全く変わってくると思います。

(長いので次回に続きます)

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