抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?

エレイン・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(Highly Sensitive Person)』が2000年に翻訳出版され、日本でもHSPという言葉が広く知られるようになりました(詳しくは『抑制的気質とHSP(その1)』をご参照ください)。タイトルを直訳すると「とても繊細な人」ですが、ただ感覚が繊細なだけではHSPではないのです。

HSPの4つの特性は:

*緑の部分はブログ『いつも空が見えるから』https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i から引用させていただきました。

アーロン博士は、たとえ感覚が敏感であっても上記の4つの特性がすべて揃わなければHSPではないと明言しています。感覚過敏を持ち合わせていることが多いASD児に関しては、共感力が低いため、HSPとは区別しています(感覚過敏については『抑制的気質とHSP(その2)』をご参照ください)。

(YUKIさんのブログ『いつも空が見えるから』では、ASDだから「共感力がない」という説は誤りであるということを詳しく説明しています。実は、私もASDの子どもたちと接してみて、彼らには共感力も思いやりもある、と感じていました。これについては、次回書こうと思っています)

では、共感力(共感能力)とは一体なんでしょうか?辞書をひいてみると、「他者の感情を理解する能力」とあります。

息子は抑制的な気質の割に、特に4歳くらいまでは特定の人に限ってとても甘え上手でした。可愛がってくれそうな人(自分に好意を持ってくれそうな人)をぱっと見分けて近づき、甘えて抱っこしてもらったり、得意なことを披露したり。その一方で、相性が悪そうな人には絶対に近づかないという…。

3歳のころ、日本人女性にベビーシッターを頼んだことがあったんですが、私が仕事から帰ってきても、息子は知らん顔!その人に甘えてもたれかかり、すっかり2人の世界に浸っていたのです。なんと、彼女が帰ったら泣いちゃったんですよね(苦笑)。

小学校の頃は、「あの人は僕のこと嫌い」とか「先生は今日怒ってた(機嫌が悪かった)」などと、家でよく私に言ってました。「そんなこと言うもんじゃないよ」「ぱっと見ただけでは解らないでしょ」と注意はしてたものの、心の中では「当たってるかも(自分に好意的ではなさそうな人にわざわざ近づかなくても、という意味で)」と思ったりして…。

人見知りなのに、何故か親近感を持てそうな人には自分から近づいていく--同じ波長の人を見極める直感力が鋭かったように思います。

そして、場の空気を敏感に感じ取ってしまうため、マイナスになる部分が多くありました…。例えば、先生が「キャンディーあげるからおいで」というと(小学校で時々あった)、クラス全員が先生(キャンディー)めがけて殺到します。そういう時、その空気、というか雰囲気?に圧倒されて、息子は動けないのです。で、一番最後になってしまい、その頃にはもうキャンディーはなくなっているという…。「僕も欲しかったのに」と、後から涙目になってました。

また、誰かの機嫌が悪かったり、悪さをする子がいる時なんかは、すぐ察して近づかないようにするんです。あとは、誰かが怒られていると、自分が怒られたように気になるようでした。高学年になってからは、人に何気なくいわれた言葉や自分が人にしてしまったことを気にして、もんもんと悩んで眠れなくなったり――多分、相手は覚えてもなかったんじゃないかな。

私は息子が小学校高学年になるまで、思いやり(共感力?)が育ってないのでは(『「思いやり」が育ってない?』をご参照ください)と気になってました。あまえん坊の割に、図工で作る母&父の日カードなんかはホントに言葉が少ない(他の子の半分以下)。どういう訳か、こちらが聞かない限り学校での出来事や自分の気持を言わない子で、何かの拍子にポツポツ話し出すという感じだったんです。

でも、緘黙が改善し、遊び仲間ができ、学校生活が楽しくなってきた頃から、徐々に自分の気持や友達のことなどを話すようになりました。

小5の頃(10歳)家に遊びに来た友達のひとりに私が声をかけたんですが、後で「○○君にそれを言ったら駄目だよ」と叱られました。理由もちゃんと話してくれて、その言葉を言ったら彼が傷つくと…。

「え~っ、この子にはこんな友達思いの面があったんだ!」とビックリ。こと友達のことになると、きめ細かく配慮してたような…。その反面、どうも身内に対しては「やってくれて当然」と思っていたようなフシがあります。

それが、今では私が落ち込んでいたり、怒ってたりすると、真っ先に気づいて言葉をかけてくれるのが息子なんです。その上、とても冷静沈着で論理的なアドバイスをくれたりして…。

息子の共感力は成長とともに育ったんでしょうか?それとも、共感力というのは生まれつき備わる資質に影響されるんでしょうか--謎です。

もしかしたら、息子は緘黙から開放されて、少し余裕を持って人のことが見られるようになったんでしょうか?それまでは、それどころじゃない不安の渦の中にいたのかもしれません…。

以前は思いやり=共感力と思っていたんですが、「思いやり」って行動や声に出さないと気ずかれにくいですよね。ただ感じたり、思ったりしてるだけでは、人には伝わらない――でも、言わない・言えないHSPっ子は案外いるのかもしれません。

<関連記事>

抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

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