時間がビュンビュン過ぎて、11月も今日で終わりです。イギリスの二度目のロックダウンも明日で終わりですが、今日の感染者数は12,330人とまだまだ多い状況。今日、食料の買い出しに行ったら、クリスマスショッピングを抱えて歩いている人が大勢いて(オンラインで注文し、ショップで受取り可)、「こんな緩いロックダウンで大丈夫?」と心配になりました。
まだまだ頑張って咲いている前庭のメアリーローズ
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少し話が戻りますが、息子が緘黙になってから義両親宅に親族(私たち家族と義妹夫婦)が集まる際、息子は義妹夫婦(私から見て)と口がきけなくなりました。
2005年の春休みから、夏休み・クリスマス休みとそれが続き、彼らにとっては「自分たちには話さない甥っ子」となってしまった訳です。
最初はびっくりされましたが、そのうちに「しゃべらないのが普通」という概念が定着…。そればかりでなく、息子が彼らと視線を合わせるのを避けるようになったのが、母親としては辛かった…。
最も心を許せる存在だったグラニー(息子にとって祖母)とは、会って少し時間が経てば話せるようになるのです。厳格で近寄りづらい雰囲気のグランダディ(祖父)とは、滞在終盤になると片言の返事くらい。
皆で集まっている場で、彼らに聞こえないように私たち夫婦や義母にヒソヒソ耳打ちする息子。グラニーと話をしていても、他の人が入ってくると固まって口を閉じてしまうのです。知らない人が見たら、息子が話す人を選んでいるように見えたことでしょう。
2005年の夏休み前に場面緘黙ということが判明したので、親族には症状の説明をしました。返事をしなくても話しかけ、普通に接してくれるように頼みましたが、義父も義妹夫婦も自分たちを無視するような態度の息子に、いい気持ちはしなかったはず…。
こういう状況って、けっこう辛いですよね。せっかく親族が集まる機会に息子が水を差しているようで、申し訳なく思っていました。
当時はイギリスでもSelective Mutism という言葉は知られておらず、一般はもちろんのこと医師など専門家でも知識がない人が多かったのです。だから、息子の行動は謎だったことでしょう。
(義母が息子の症状を義伯母に話したところ、トリイ・ヘイデンさんの著書を紹介されました。まず『檻の中の子(Silent Boy)』を購入したのですが、けっこうショック(;^_^
その後、『幽霊のような子(Ghost Girl)』や『ヴィーナスという子(Beautiful Child)』等も読みましたが、作品中の緘黙児の背景にはASDや虐待といった複雑な問題が絡み合っています(詳しくは『トリイ・ヘイデンさんの緘黙治療法』をご参照ください)。緘黙児はそれぞれ違うので、自分の子をよく観察した上で適切なスモールステップを考案する必要があると思います)
ラッキーなことに、息子は1年後の春休みから少しずつ親戚と話せるようになりました。学校で囁き声で話せる人の輪が広がっていった時期と重なります。この頃から、親戚での息子の評価は「恥ずかしがり屋」くらいになったかな?
あと、このブログの冒頭にある場面緘黙のドキュメンタリー動画『うちの子は話さない』に登場する8歳のレッドちゃんは、祖父と話す取り組みをしています。孫娘の症状を理解し、どうにか声を聞きたい、いい関係を築いていきたいと望む祖父。その期待に応えてレッドちゃんも懸命にスモールステップに取り組むのですが…。
結論からいうと、レッドちゃんはその後も祖父と話すことができていません(詳しくは『10年後のレッド』をご参照ください)。そして、今後も祖父に口をきくことはないだろうと…。あの時に頑張りすぎて、それが反ってトラウマになってしまったのかも。
頑張って話そうとするのも、自意識過剰につながって心理的にあまり良くないのかもしれません。さじ加減が難しいですね。
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