子どもが場面緘黙だと判明した時、本人にそれを話すべきかどうか、どう話すべきか — 保護者は悩むところだと思います。
子どもの年齢や性格にもよりますが、支援をしていくにあたり(長期戦です)、子どもと問題を共有し一緒に不安に立ち向かう必要があります。スモールステップで少しずつ緘黙を克服していくには、常に本人の気持ちを確かめながら進まなければなりません。
また、年齢があがって小学校中・高学年になると、改善のスピードがゆっくりになるため、子どもが自覚を持って積極的に治療に関わることが重要になるといわれています。そのためには、やはり本人が緘黙や自分の状態について把握しているべきでしょう。
<小学校低学年まで>
緘黙の発症は入園時や入学時に多く、いつの間にか全く話さなくなったというケースもよく耳にします。でも、「ママ、幼稚園でしゃべれない」と、助けを求めてくる子どもは殆どいないのでは?
たいていの親は、先生から「全く話しません」と告げられ、愕然とするのではないでしょうか?家では普通におしゃべりしているから(学校で黙っている反動でうるさいくらいかもしれません)、親は驚いて当然ですね。いくらシャイな子だったとしても、学校で全く話さないとなると、相当ショックです。
子ども自身は、幼稚園や学校で緘黙状態になっていることにネガティブなイメージを持っていると思います。皆と同じようにできないと劣等感を感じ、自己評価が低くなっているかもしれません。親に言ったら怒られると思っているかもしれません。
イギリスの言語療法士、マギー・ジョンソンさんは、場面緘黙を恐怖症の一種と考えると解りやすいと説明しています。例えば、高所恐怖症の人に、「何で高いところが怖いの?」と訊いても理由は分らないんじゃないでしょうか?ただただ、背筋がぞくっとして足がすくんでしまう…生理的な反応。緘黙になるきっかけも、そんな感じじゃないかなと思うのです。
自分が大きな会議に出席していて、周囲は全く知らない人ばかりという状況を想像してみてください。会場はしーんと静まり返り、壇上に立った権威ある著名人が、次々に出席者を指名して発言させています。誰もが立派な意見を述べていますが、あなたには議論の内容がよく理解できていません。
自分が指名されたらどうしよう?ちゃんとしゃべれないに違いない。笑われるかも – 心臓がドキドキして、「私に当てないで~!」と体が縮こまってしまうのでは?緊張して手に汗をかくかもしれません。緘黙児もこんな感じで恐怖を味わい、体がすくんでしまうんじゃないかなと…。そういう状態の時は喉が渇いて、声は出にくいと思います。
息子に、「緘黙状態の時、いつも喉が閉まるような感じになる?」と質問したら、「それは話そうとしてるのに声が出ない時」という答えが返ってきました。怖いけれど、何とか声を出そうとする時、喉に力が入る、もしくは意識がいくのかもしれません。同じ緘黙状態でも、状況によって感じ方は少しずつ違うのかもしれませんね。
周りから見ると、緘黙状態の子どもは不安や恐怖を感じているようには見えないことが多い。これは、緘黙という、恐怖に対する回避行動が習慣になり、その状態でいることに一定の安心感を得ているからじゃないかなと思います。
本題に戻りますが、子どもがなぜだか判らないまま緘黙になり親にも言えずにいる時、親(誰か)が共感してくれて、自分の存在を肯定してくれたらとても安心できますね。また、世界中に同じような子どもがいることが解れば、自分ひとりじゃないと勇気づけらるはず。同時に、自分の不安を誰かと共有できるようになる、誰かに助けを求めることができるようになる、きっかけにもなるのではないでしょうか?
うちの息子は典型的ともいえる抑制的気質の持ち主です。緘黙は克服できても、不安になりやすく心配性のところは変わっていません。でも、自分の不安を突然ポツンと私に言うことで、半分くらい不安が軽減されているよう。口に出していうことで不安を客観視でき、実はそれほど大きな問題じゃないと把握できるからじゃないかな、と思っています。不安を自分の中に閉じ込めておくとストレスになるので、捌け口が必要ですよね。