早いもので、もう11月に突入してしまいました。今年も残すところあと2ヶ月弱と考えると、一体自分は何やってたんだろうと考えてしまいます。
さて、先週末ネットで日本のニュース番組を観ていたら、草間彌生が文化勲章を授与されたというニュースが。今年の夏の北欧旅行で強く印象に残ったのが、ストックホルム近代美術館で観た草間彌生回顧展。コペンハーゲンのルイジアナ近代美術館でも、彼女のインスタレーションがひときわ異彩を放ってました。
写真はルイジアナ近代美術館の常設インスタレーション『魂の灯Gleaming Lights of the Soul』。上の映像でその雰囲気を味わえます
これまでにロンドンでも何度か個展が行われたのですが、全部見逃してました。それまで草間彌生に関する知識といえば、水玉モチーフと作品の一部のような奇抜なファッションくらい…。正直、入場料を払ってまで観に行くぞ、という感じではなかったんです。でも、いつか観たいと思ってたので、ストックホルムの友達が「今、一番期待してる展示会!一緒に行こう」と誘ってくれた時は、即OKしたのでした。
『無限 Infinity』と題されたストックホルムの回顧展。若い頃のスケッチから60年代NYでの作品群やHappeningの映像(自分や参加者の体を水玉模様にするパフォーマンス)、黄色い南瓜のミラールームや真っ赤な水玉オブジェが並ぶ巨大なインスタレーションまで、見どころいっぱい。
彼女の作品がどんな風に進化していったのか、時代ごとに追っていくことができました。何だかどんどん規模が大きくなり、より強く、より明確になっていったような…。ひとめ見れば、「ああ、草間弥生の作品だ」と判る、強烈なオリジナリティが圧倒的。すぐ側まで行って触ったり、ミラールームに入れたり、作品に手が届くというか、自分も内に入ってその一部になるような距離感も魅力です。
真っ赤な水玉マッシュルームは『新たなる空間への道標 』。ステンレスのミラーボールを覗き込むと、そこには無数の自分が映る『ナルシスの庭 』
水玉にしても、網模様にしても、ミラーボールやミラールームにしても、どこまでも反復し、増殖し、無限に反映し続けるーーこれが彼女が創り出す永遠。
私は、彼女が10歳の頃から統合失調症に苦しみ、幻覚や幻聴に悩まされ続けてきたことなど、全く知りませんでした。
河原に行くと、何億という石が宙に浮いて迫ってくる。スミレ畑に行くと、スミレが人間の顔をして語りかけてきて、恐くて家に飛んで帰ろうとすると、途中で犬に話しかけられ、会話している内に自分の声が犬の声になっていることに気づく――。そんな脅迫感や恐怖感を絵に描きとめることで、彼女は精神のバランスを保っていたのです。多分、描くことは本能でもあったんでしょう。
10代の頃に描いたお母さんのスケッチ画は、顔も体も水疱瘡のような細かい点で覆われていました。家族の顔も、日常の風景も、彼女にはこんな風に見えていたのか――そう思うと、心底恐い。そして、その水玉のような点々は、どんどん増殖して自分の体にまで迫ってくるのです…。
誰もいないと、幻覚の方に引きずりこまれて離人症になってしまう――そんな恐怖に襲われて押入れに閉じこもってガタガタ震えていたとか…想像しただけでも壮絶な毎日です。
このインタビューに桑間弥生の秘密が詰まってます
裕福な旧家に生まれた彼女は、早くから母親に「お前は財閥の御曹司と結婚するんだ」と言われ、絵を描くことを止められたそう。でも、芸術家になる志を貫き、京都で日本画を学んだ後、1957年にNYに飛び出しました。
NY時代の作品
1973年に体調を崩して帰国し、入院した後に執筆活動を始め、小説も多数書いています。病院で寝泊まりしながら、近くのアトリエで創作活動をするというルーティンだったよう。1990年頃から再びアート活動を始め、現在に至る大ブームを引き起こした訳ですが、当時の映像で「私はこれから!」と宣言してました。
2012年のルイヴィトンとのコラボ作品。「出たっ」って感じですよね。
今年で御年87歳になられたそうですが、全身から放つ圧倒的なエネルギーが凄い。ピカソも晩年になっても衰え知らずの天才でしたが、彼女にはなんだか妖気のようなものまで感じられます。バイタリティーと創作意欲の塊みたい。
インタビューの映像を観ると、話し方は幼児のように舌足らずな印象なのに、大切な部分は直球でズバっと言い切ってる。眼光の鋭さといい、有無をいわせぬ存在感といい、人間を超えてるような(笑)。「永遠の永遠の永遠」を渇望して、渇望して、渇望し続けて制作してるんだな、というのがバシバシ伝わってきます。
統合失調症という病気と戦いながらも、「イケてた女の子だった」「私がファッションで時代を開いていく」と自信満々。おこがましいですが、こんなにも自分に自信を持てるって、羨ましい限りです。こんな性格だったら、緘黙にはならないんだろうな…。
ところで、60年代のNYといえば、オノヨーコも同じように前衛芸術をやってたな…と思い出しました。彼女も裕福な家の令嬢で、草間彌生と境遇が似てたかもしれません。偶然にも、同じ美術館の片隅にオノヨーコの作品が。草間さんの作品と比べると「つつましい」という言葉がピッタリで、複雑な心境に。
ストックホルム近代美術館に展示されていたオノヨーコの作品
追伸: 今朝、文化勲章親授式のニュースをやってましたね。草間さんは「死ぬ物狂いで芸術をやって、死んだ後も何千年も人々が心を打たれる芸術を作っていきたい」と語っていました。これからも、どんどん凄い作品を生み出していって欲しいです。
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