ブルガリア黒海沿岸の春休み(その4)


イギリスの公立学校は7月21日頃から夏休みに突入しました。授業がないので時間がいっぱい取れるはずだったのに、急な仕事が入ってしまい毎日バタバタ。春休みはすでに遠い思い出--ですが、自分の記録のために続きを書いておくことにします。

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4月8日はブルガリアの復活祭の日曜日でした。朝食は前日きれいに塗ったゆで卵、甘いパンと果物。この日は午前中にアパートを後にして、友人家族は私たちをポモリエのホテルまで送ってから、ソフィアに戻る予定でした。途中、友人(奥さん)の想い出の地だというバニャ村のカフェでランチして、自然保護地区になっているイラクリの海岸で数時間過ごそうという計画。でも、計画通りにいかないのが旅の醍醐味ですよね。

早めに荷造りし、フラットの片付けや掃除を始めた我々をしり目に、10時過ぎてからシャワーを浴びるブルガリア友…ムムム。最後にもう一度海岸まで下りて海に別れを告げ、車に乗り込んだのは既に正午近く。

「国道沿いに、元村一番のハンサム君が経営するカフェがあるの。ランチはそこよ」

そう言われて楽しみにしてたんです。なのに、行ってみたら復活祭のためかお休み…。女の子の憧れの的だった彼は、すごい美女と結婚し、めっちゃ可愛い娘に恵まれたそう。でも、二人とも中年太りで昔の面影は薄れてしまったとのこと。「彼らの過去を証明してるのが娘よ!」、ということで興味津々だったのに、ああ残念。

ちなみに、ブルガリアの女性は金髪碧眼のヨーロッパ系から黒髪茶眼のアジア系まで、本当に美女が多いんです、友人曰く、「オスマントルコ帝国時代にハーレムで美女を集めた名残り」なんだとか。

仕方ないので、もう1軒あるという村の中の小さなカフェ&雑貨店へ。そこに着くなり、彼女は昔馴染みとの抱擁+キス+昔話の嵐!小さい頃、毎年この村で夏を過ごしていたから、村人はみんな彼女のことを知ってるんだそう。

とっても長閑な村ですが、日本と同じで廃墟がチラホラ…

雑貨店で食料品を買い込み、車でイラクリの海岸にたどり着いた時には、既に午後2時を回っていました。昔(社会主義国だったころですね)は小一時間もかけて村の友だちや家族と海岸まで歩いて行ったとか。途中、アーモンドの樹林があって、両手いっぱいのアーモンドを食べながら歩いたといいます――社会主義が崩壊してアーモンド林は荒れ放題になってしまい、もうその面影も残っていませんでした。

イラクリは黒海沿岸部でまだ観光化が進んでいない数少ない海岸のひとつ。無料のキャンプ場がある他は、自然のままの海が残されているということでした。が、この日浜辺ではモダンなコンドミアムとバーを建設中。こうやって、どんどん開発が進んで、静かな海がなくなっていくんですね…。

とても天気が良かったのですが、復活祭のためもあるのか人影はまばら。早速砂浜に座って、パンとハム、チーズ、村人にもらった復活祭のゆで卵と野菜でピクニックを楽しみました。ここでも友人のストールが敷物に早変わりし、彼女が常に持ち歩いている大きなナイフが大活躍。ブルガリアのキュウリとトマトは、本当に瑞々しくて元気いっぱいの味です。

ゆったりとした河が海に流れ込んでいます

河の畔にはガマの穂が群生。河に手作りの舟をうかべて

浜辺で見つけた流木のオブジェ

  写真(下)の真ん中にある黒い星型のものは菱の実です。砂浜を歩いていた時、足の裏に鋭く尖った角がぐっさり刺さって、激痛!

食後は海や海に合流する河で遊んだり、砂浜で見つけた小石や貝でオブジェを作ったり、お喋りしたり。あっという間に時間が経ち、5時になってしまいました。でも、そろそろ腰をあげようとする私たちを尻目に、頑固なブルガリア友(運転手君)は粘る、粘る。

みんな根負けして、「まあ、いっか」と誰もいなくなった海で再び羽を伸ばしました。結局、彼らの車でホテルに着いたのは9時近くで、子供が寝てしまったため、一緒に夕飯を食べることもままならず。彼らはそのままソフィアへと向かい、家に辿り着いたのは、午前1時過ぎだったそう。

ポモリエのホテル前のプロムナードから見た夕焼けがきれいでした

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