春の海

学校のイースターホリデーが始まった先週末、主人の友達の誕生会に呼ばれて、家族でブライトンまで行ってきました。過去3回ほど行ったことがあるのですが、いずれも結婚する前のこと。街のシンボルとして有名なパビリオン内を見学したことがなかったので、今度こそと楽しみにしてました。

ブライトンの象徴ともいえるロイヤル・パビリオン

運良く好天に恵まれ、そぞろ歩きにちょうどいいくらいの暖かさ。土曜日だったので、歩行者天国でマーケットも開かれてました。

可愛いらしいショップがたくさんあって寄りたかったのですが、男性陣は目もくれず…カフェを探してどんどん先に行ってしまうんです

お昼はイタリアンカフェでお得な3コースランチ。前菜のエビのカクテルはすごいボリュームでした。メインは久しぶりにカルボナーラのパスタを食べたのですが、こちらもたっぷりした量。

  エビのカクテルとスライスしたバナナに甘いトフィーと生クリームをたっぷり加えたバノフィーパイ(右)。1972年にイギリスで発明されたスィーツなんだとか

腹ごしらえした後、ロイヤル・パビリオンへ。元々は18世紀後半にまだ皇太子だったジョージ4世が建てた別荘だったそう。その後、海水浴が流行しブライトンの街はファッショナブルな保養地に発展。国王になったジョージ4世は、1815年に建築家ジョージ・ナッシュに依頼して、手狭になった別荘を現在のオリエンタル趣味の離宮へと大改装させました。

外観はインド・イスラム風ですが、内装はシノワズリ趣味で豪華絢爛。そこかしこに龍のモチーフがあしらわれ、これでもか(笑)というほど金襴の飾りが--当時の東洋に対する興味と憧れに満ちています。あと、召使たちが通る長い廊下が延々と続いているのが興味深かったです。

     天井が高くて明るいキッチン。蓮の花を模った巨大シャンデリアが見事な宴会室へと続きます

ヴィクトリア女王は狭くてプライバシーが守れないという理由で、1850年にこの離宮をブライトン市に売却しています。当時、殆どの家具はロンドンに移されたそうですが、後になってシャンデリアや壁紙などを戻したんだとか。第一次世界大戦時には、イギリス軍として戦い負傷したインド人兵士たちのための病院として利用。インド風の外観から親しみを感じてもらえると考えたそうなのですが、中は中国風でビックリだったかも…。

次はパビリオン内にあるブライトン博物館を見学。陶器、20世紀の家具調度、古代エジプト文明、パフォーミングアートなど、雑多なコレクションが。主人の友だちによると、昔は無料だったそう。

この後、観光客のメッカでもあるブライトンピアーへ。天気がいいので家族連れや若者でいっぱい。ピアーの一番先は遊園地になっていて、ジェットコースターやメリーゴーランドなども。こんなところに造り付けちゃって、安全面は大丈夫なのかな…。

 

ブライトンの海岸は砂浜でなく小石の浜です

  日暮れにホテルのカフェで少し休んで、徒歩で丘の上にある友達宅へ

翌日の朝は、まずサウスダウンズ・ヘリテージセンターに向かいました。展示とかは少なくて、巨大なガ―デンセンターとカフェという感じ。気候が良くなったのでガーデニングを始める人が多いのか、巨大な駐車場が結構いっぱい。

白い蔓バラのクレア・オースティンが枯れてしまったので、代りをゲット

お昼過ぎにブライトンマリーナで主人の友達家族と合流。白い絶壁に沿ってぶらぶら散歩し、先端近くにある小さなカフェでランチとおしゃべりを楽しみました。

その後、ブライトンの北側にあるエドワード王朝時代の屋敷、プレストンマナーに寄りました。閉館時間に近かったためか、ビジターは私たちだけ。他に誰もいなくて、規模も小さかったためか、誰かの家に招かれたような親密な雰囲気。当時の上流家族の暮らしが、肌で伝わってくるようでした。

 

メインの寝室の向こう側には、夜中でもすぐアテンドできるようメイド長の部屋がありました。他のメイド達の部屋は屋根裏に、バトラーを始めとする男性召使いの部屋は中地下にあったそう。地下室では、洗濯やアイロンかけ、靴の手入れ、食事の支度などが行われ、各室で用事がある時は、地下でベルが鳴るという仕組み。

家族の優雅な生活を支えるため、召使いたちが頑張ってたんでしょうね…。

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