SMiRA会長のアリスさんから「あなたが学校を啓蒙するのよ」と後押しされ、まずは担任とSENCoに場面緘黙の資料を渡すことにしました。
今なら、お迎えの時に担任のところに行って即ミーティングを申し込むでしょうが、何しろ当時はまだ右も左も分からない新米保護者。他のママさん達に息子の問題を知られたくない気持ちもあり、なかなか行動に移せませんでした。廊下とカーテンで仕切られただけのSENCoの部屋に行くにも、人目が気になるし…。
実は、息子の学校には日本人駐在員のお子さんが多く、「変な風に誤解されたくない」と不安に思ってました。ロンドンの狭い日本人社会。思い込みもあるかもしれませんが、本人の知らないところで噂が広がる風潮があったような…。幼稚園時代にちょっとした出来事(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)』をご参照ください) があったり、全く接点のない私のところまで別の学校の児童の噂が伝わってきたりして、「知らないところで何か言われたら嫌だな。息子にレッテルを張られたらどうしよう」とナーバスになっていたのです。
どういう訳か、大人も子どもも日本人同士で固まる習性があり、息子は放課後の校庭で幼稚園時代の親友T君と一緒に日本人グループと遊ぶことも多かったのです。クラスではひと言も話さないのに、放課後の校庭では寡黙ながら日本語で話している状態。わざわざ「緘黙なんです」と公表するのも変だし…。T君と二人きりだと普通だったため、T君ママにも息子が緘黙であることを打ち明けられずにいました。
放課後の校庭では、T君となら割と自由に遊べて話せていました。が、日本人グループに入ると途端に遠慮がちになり、オマケっぽい存在に。幼い弟妹が「当然」という顔でグループに加わって傍若無人に振舞っているのに比べ、「なんでそんなに遠慮してるの?」と不憫に思ったものです。そして、息子をひとりっ子にしてしまったことが悔やまれました。仕方のないことですが、上に兄姉がいたらもっと自信を持つことができたかも…と。
たまたま仕事のため、T君ママに息子のお迎えを頼んだ時のことです。T君ママはTAのひとりに「◯◯君は教室では全然しゃべらないのよ。今T君とはちゃんと話してるわね。変ね」と言われたそう。「子どもの前で、何て無神経な」と憤りを感じましたが、当時は抗議をすることなど思いもつかず…。ひとり悶々とした想いを引きずってました。
当時は支援する側の学校に緘黙の知識がなく、スタッフの教育も皆無でした(まあ、それでももう少し気を使って欲しいものですが)。親切心から無理に話させようとして二次障害を併発してしまう恐れもあるので、やはり関係者に知識を持ってもらうことは大切ですね。
また、ある日ちょうど学校のある道を通りかかり、「今頃お昼休みだから、校庭に出てるかも」と木製のフェンスの節穴から中を覗いてみたんです。そうしたら、ひとりぼっちで所在なさげにクラスメートの近くをくるくる走っている息子の姿が…。そこには、別のクラスのT君の姿はありませんでした。
クラスに遊べる友達がいないんだ――と大ショックを受け、とても切なかったです。
その後、何とか担任にSMiRAの資料を渡して、SENCoにも伝えてくれるようお願いしました。今考えれば、なるべく早く三者懇談をお願いするべきだったと思います。
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