『不安のメカニズム』は(その3)で終了したつもりだったんですが、思い出したことがあるので追記します。
前回、私の小学校時代の思い出として、授業中に挙手する時の心境を書きました。手を挙げている間は、当たったらどう言うかを頭の中で何度も繰り返してました。が、いざ当てられると極度にアガってしまい、回答だけをぶっきらぼうに述べることに…。頭のなかで用意していたことの半分も言えませんでした。
こういった体験は授業中だけではなく、普段でもあったように記憶しています。特別親しい場合を除き、3人以上のグループで何かを話す時、「間違えてはいけない」と緊張してしまうんです。基本的にはおしゃべりなので、仲良しの子と1対1だったら、ただ思いついたことをベラベラしゃべるんですが…。
そして、調子に乗ってくると活舌が良くなり、徐々に声のトーンが高くなって、知らないうちに大きな声になってるという。(そういえば、緘黙を克服しつつあった息子が、全校集会中に友達と無駄話をしていて注意されたことが何回かありました。きっと話す音量が調整できてなかったんでしょう)
一方、授業中に発表しなければならない時は、大きな声で話しているつもりなのに、「もっと聞こえる声で」とよく言われたものです。小学校時代の私の印象は、多分「おとなしくて声が小さい子」だったのではないかと…。
普段、私たちは周りの状況に合わせて無意識のうちに声の音量を調整していると思うんですが、不安になったり、緊張したり、興奮したりすると、調整がうまくいかなくなります。また、「聞こえる音量」も心理状況によって変わってくるんじゃないでしょうか?
例えば、テストをしている時、いつもは気にならない時計の音がやけに大きく聞こえたという経験はありませんか?神経を使ったり、緊張している時は、周囲の音が大きく聞こえるものです。
学校でずっと沈黙している緘黙児の耳には、先生の声や友達の声、教室のざわめきがどんな風に聞こえてるんでしょう? 聴覚過敏があれば、音が気になって普段より疲れるはず。抑制的な気質が強いと、「心配症」や「取り越し苦労」の傾向が強くなるので、色々思い巡らせてどどっと疲れるのでは?
だからこそ、自宅では自由にのびのびと過ごさせたいですよね。
抑制的な気質の緘黙児にとって、家の外=社会は「神経が高ぶる」場所です。エレイン・アーロン博士の『ささいなことにもすぐ動揺してしまうあなたへ』には、HSP(とても敏感な人)には、「神経の高ぶり」を収める時間の必要性が説かれています。引きこもりにならない程度に、「毎日ひとりになる時間をつくる」ことを勧めています。多分、普通の人より長く「自分でいられる時間」が必要なんだと思います。
子どもが自分の部屋に閉じこもってしまうと親は心配です。でも部屋に閉じこもったり、ぼーっとしたり、PCゲームに没頭したり、TVや動画に見入ってる時間が、実は子どもにとって「ほっとできる時間」なのかもしれません。私にとっては、それが少女漫画や本だったように思います。つい没頭しすぎて、宿題やお手伝いの時間を忘れ、父に叱られた思い出が…。
子どもによって「自分でいられる時間」が違うと思いますが、そういった時間を適度に許可してあげることが重要かなと思います。また、あまり長時間自分にこもってしまうと、外に出て人と関わる気持ちが薄れたり、社交が不安になるかもしれないので、なるべく社会的な時間とのバランスが取れるよう注意したいですね。
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