イギリスで場面緘黙と環境・社会的要因の関係を研究しているのが、ロンドン大学で教育心理学の教鞭を取るトニー・クライン教授です。彼は『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりで、SMIRAの全国保護者会でも頻繁に講演しています。
2年前の全国保護者会の講演では、『60年代からの場面緘黙に対する見解の移行』がテーマでした。
その中で興味深かったのは、60年代のテクノロジーの進化による社会の移り変わりについて。クライン教授は下記のようにまとめていました。
- かつては家庭と地域コミュニティの間に強い関わりや絆があった
- 家族経営の小さな商店から、人間的なふれあいの少ないスーパーマーケットや大型店への移行
- 車社会となり、バスや電車に乗る機会が減少。またチケット販売機の普及により、車掌からチケットを購入することがなくなった
- 家族以外の親しい大人と、日常的なコミュニケーションを取る機会が減少した
- テクノロジーの発達により、日常生活が様変わりした
これは日本でも同じですよね。都市化と核家族化がどんどん進み、ひと昔前に比べると、人と接したり交流したりする機会がずいぶん減ったと思います。これは新しい場所や人に慣れにくい抑制的な気質の子どもにとって、あまり良い状況とはいえません。
私が小さかった頃は、田舎だったせいもあると思いますが、近所の小学生は戸外で一緒に遊ぶことが多かったように記憶しています。10人くらいのグループで、縄跳びや缶けりなどのゲームをしたり、近くの池に魚釣りに行ったり。
当時は年長の男の子が中心になり、大きい子が小さい子の面倒を見ながら、男女一緒に外を駆け回って遊んでいました。グループ内では皆がそれぞれの性格や特徴を把握していて、強い仲間意識がありました。私にとっては素の自分を出せる場所だったと思います。
帰宅しておやつを食べた後、いつもの集合場所に集まり、誰かのお母さんが夕ご飯に呼びに来るまで遊んでいたような…。雨の日は、近所の女の子の家でお人形遊びにいそしんだものです。
グループの子のお母さんたちは、「○○ちゃんのおばさん」と親しまれ、第二の身内のような感覚でした。母親たちは、自分の子どもでなくても、遠慮なく叱ったり、注意したりしていたと思います。
学校外でも子ども同士の小さな社会があり、地域コミュニティの大人たちともつながっていました。外では大人しかった私も、コミュニケーションを取る機会が多く、自然と社会的な体験を積めていたような気がします。
緘黙児の保護者には、引っ込み思案な人も多いと思います。ひと昔前だったら、地域コミュニティの中で子どもが育てられていた部分もあったのに、今はそういう訳にはいきません。自宅では母親と子どもだけという時間が長いですし。
まあ、何ごとも一長一短で、人間関係が多ければ面倒なことも多いものですが…。引っ込み思案の保護者が、自力で抑制的な子どもの交流関係を広げ、保持していくのは、かなりのストレスではないでしょうか。