ジャコメッティ展と足元のアート

先々週、ハーフタームの中休みがあったので、友達とテートモダン美術館にアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)展を観に行ってきました。スイス生まれのジャコメッティは、20世紀を代表する彫刻家のひとり。針金のように細長い人物像は、ひと目見ただけで彼の作品と解る独創的な造形です。

 

 入口の壁に投射された展示会のロゴデザイン。右は以前撮影した常設展示の作品

ジャコメッティは1920年代半ばにパリにアトリエを構え、キュービズムやシュールレアリズムに傾倒した後、第二次世界大戦後の1950年頃から独自の作風を確立。ピカソやサルトルなど第一線の芸術家や作家らと交わりながら、どんどん人間の本質に迫るミニマルな方向へと向かったよう。

興味深いなと思ったのは、助手でもあった弟のディエゴや妻のアネットなど、限定された一握りのモデルだけを使って作品を作り続けたこと。会場では晩年の制作風景とインタビュー映像が流されていたんですが、「向き合えば向き合うほど、本質に迫れば迫るほどわからなくなる」というようなことを言っていて、すごく興味深かったです。厳選した身近な人だけを対象に、時間と労力を積み重ねながら深く迫る――彼は一体何を見て、何を求めていたんでしょう?

全然知らなかったのですが、1955年から仏国立科学研究センターの研究員だった哲学者、矢内原伊作をモデルにと所望し、何度も滞在費を負担してパリに招待していたんだそうですね。(後に、矢内原はジャコメッティの生活や芸術をつぶさに観察した『完本 ジャコメッティ手帖』を出版しています。機会があったら是非読んでみたいです)。

 

  どことなくコクトーに似た風貌?右写真の左側の人物が矢内原伊作氏。ジャコメッティと20歳以上も年が離れた妻、アネットと関係を持っていたそうですが、彼の何に惹かれてモデルにしたんでしょう?

お茶をして一息ついてから、ドイツ生まれの写真家、ウオルフガング・ティルマンズ展も覗いてきました。1968年生まれ、音楽誌などでもお馴染みの写真家ですが、日常の何でもないシーンを切り取っただけのように見えるのに、妙にインパクト大。展示方法や構成にも工夫が凝してあって、現役アーティストの持つ熱や想いが伝わってきました。

     

テートモダン美術館に行くときは、たいていセントポール寺院をぐるっと周って、2000年に建設されたミレニアムブリッジを渡ります。以前息子と橋を渡った際、「この足元にあるのもアートだよ」と言うんです。

    

     左はセントポール寺院を背にして、テートモダン美術館を望む風景。右はテートモダンから見たセントポール寺院

「えっ?」と思ってよく見たら、金属製の床に何やら小さな絵(?)が! よく見ると、人の名前やら国旗やら、シンボルマークやらが描かれているのです(息子は昔から人が気づかないような細かいことに目がいきます)。ガムを踏みつけて金属の凸凹部分を埋め、その上に彩色したのかな?

誰が創っているのか判りませんが、この小さなガムアートが橋の上に点々と続いているのです。常にひっきりなしに人が行き交うので、座り込んで絵を描くのは難しいはず--ということは、早朝とか夜間の静かな時間帯に制作してるんでしょうか?

 

そういえば、2年ほど前に家の近くの大通りの歩道で、似たようなミニチュアの絵を描いているホームレス?/ 大道芸人の人がいました。傍らに置かれた帽子に小銭を入れる見物人も。もしかしたら、そういう大道芸人がテートモダンを訪れた旅行者を相手に、名前や日時を描き込んでお小遣いをかせいでいるのかもしれませんね。

  

誰も気づかなかったら、踏みつけられて消えていくだけのガムアート。目前に広がる巨大な美術館の建物や橋から見えるロンドンの風景に気を取られがちですが、ちょっと目線を変えただけで、こんな風に違う風景が見えてくることもあるんですね。

 

バラの季節がめぐってきました

ここ3週間あまり、マンチェスターとロンドンのテロ事件で、イギリスは騒然としています。テロリスト達の年齢が20、30代と若く、しかも英国籍を持つ移民2世が多いこと、若者や女性をターゲットにしたことなど、考えると気が滅入るばかり…。気候も晴天が続いた後に急に寒くなり、夜間はまた冷え込むようになりました。

我が家は郊外にありますが、主人はロンドン中心地で働いているし、私達も地下鉄で気軽に街に出られる距離。たまたま今週末、イングランド北部に住む友達とテムズ河南岸の散歩を楽む予定だったのですが、雲行きが怪しくなってきました。今後はテロの恐怖と隣り合わせで暮らさなきゃならないのかなと思うと、本当に気が重いです。

それでも、人生は続いていく ”Life goes on” ですよね。

今年の5月はものすごく天気が良く、土曜日の森の中のウォーキングコースは緑が鮮やか。少し早めのバラの季節も到来しました。

   

白い野草が咲き誇る緑の散歩道。右は新しい校舎に行く途中で咲いていた白バラ

うちの庭のイングリッシュローズももう満開に近い感じです。一昨日の強風を伴う雨で随分散ってしまったのですが、もう次の蕾たちが待機中。残念ながらアーチの左側に植えていたClaire Austin が枯れてしまい、新しく植え替えたものの成長が悪いです…。このコーナーは陽当りが悪いためか、どの花もイマイチ。アケビの蔓だけが唯一めっちゃ元気に伸びまくっているので、もしかしたらアケビの根が原因かも(でも、バラのところまでは伸びてなかった…)。

   前庭の Mary Rose は今年も元気に咲いてくれました。でも、鉢植えにしているWinchester Cathedral は花のサイズが半分に…どうしたらいいものか…

どちらも同じ株から咲いたClaire Austin なのに、微妙に色味が違います

    ずっと植えっぱなしの植物も一斉に開花。2年前に植えた鉢植えのジャスミンはぐんぐん育って花までジャンボに。紫色のルビナスは昨年植えて、今年初めて花が咲きました

どんな時代でも季節はめぐり、花々は無言で咲いて私達の心を慰め、豊かにしてくれますよね。

 

 

感覚過敏について-抑制的気質とHSP(その1&2の追記)

昨夜、今月(何日か不明)『あさイチ』で放送された「シリーズ発達障害」を動画サイトで偶然発見・視聴しました。番組では感覚過敏についてかなり突っ込んだ調査を行い、本人にはどう見えているか・聞こえているかを映像化。発達障害を持つ大人が増えてきたため、その実情がどんどん解明されてきているようです。

で、今朝チェックしてみたら、その動画は既に消されてなくなっていました~。なので、覚えていることだけ書き留めておこうと思います。

発達障害で感覚過敏を持つ大人20名ほど(だったと思う)を調べたところ、普通の人とは違うように見える・聞こえるだけでなく、それぞれ見え方・聞こえ方が微妙に異なっているということが解明されたとのこと。

ある視覚過敏の人は太陽や電灯の光がひとより眩しく感じられ、風景全体が白っぽく見えたり、中には光が強すぎて目が痛いという人も。また、ある聴覚過敏の人は周囲の全ての音が同じような音量で聞こえてくるため、相手の話が聞こえづらいと…。

彼らの現実をできるだけ忠実に再現した映像では、世界は雑多で混乱していて、曖昧模糊とした印象でした。情報量が多すぎて焦点をあわせるのが難しいという感じで――これでは疲れて不安になるのも無理はありません。

『抑制的気質とHSP(その2)』で、「感覚過敏というのは、外部から『入ってくる』刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと」と書きました。

例えば、スーパーに行くと、人が話す声、店内放送、足音、蛍光灯や他の機器から出る雑音などが、洪水のように耳に押し寄せてくるという聴覚過敏の人もいました(だから、長く店内にいることができないと)。ASDの人は外部から「入ってくる」音を取捨選択できないため、全ての音が同時に身体に流れ込んでくるんだそう。

私たちは普段「入ってくる」音を無意識のうちに取捨選択しているといいます。自分にとって必要な音は聞こえやすく、そうでない音は聞こえにくくする機能が備わっているんですね――大勢の子どもの声の中から母親が自分の子どもの声を聞き分けることができるのも、この機能によるものでしょうか?

もうひとつ興味深かったのは、番組に登場したイギリス人研究者が、ASD(発達障害)の人は「慣れの機能」が働かないと説明していたこと。『抑制的気質とHSP(その1)』で、「私が接したASDの子ども達は、徐々に慣れるという感じではない」と書いたんですが、慣れるための機能が働いてなかったんですね…。

これって全員にいえることなのか、それとも特定のグループだけなのか?また、「慣れの機能」は慣れる・慣れないの2通りしかないのか、それとも段階的なものなのか?また、発達障害を持たない子の感覚過敏については、どうなんでしょう?

息子に「全ての音が同じような音量で一気に押し寄せてくる?」と訊いてみたところ、答えはNoでした。息子の「取捨選択の機能」は働いているようです。幼少の頃、人が大勢集まるザワザワした場所に慣れるのにかなり時間がかかったのは、「慣れの機能」が弱いということでしょうか?

ちなみに、今では人が大勢集まる場所も平気です。経験を積み重ねて「慣れた」ということもあるんでしょうね(それでも、同年代のティーンの集団に出会うと、ちょっとドキドキするそうですが…これは私も同じでした)。

そういえば、息子が小学校低学年の頃、主人とロンドン中心部にある大きな映画館に『スターウォーズ』を観に行ったら、音が大きすぎて途中で退出…そんなことが2回ほどあったと記憶しています。高学年になってからは大丈夫になったんですが、大音量に耐えられるようになったのは「慣れ」なのか、成長したからなのか、どうなんでしょう?

息子によると、今苦手な音は猫よけの超音波の音で、耳が痛いからどうしても駄目だそう。また、「会話してる時、ラジオやPCで誰かが話す声が聴こえてくると、そっちに耳がいってしまい、すごく気が散る」ということ。その割には、好きな音楽を大音量でかけながら宿題してます――自分の好きな音楽はバックグランドミュージックだから、全く気にならないんだそうです。

よく考えると、誰でも苦手な音ってありますよね?ASD児の中には、赤ちゃんの泣き声や運動会のピストルの音が駄目な子がいますが、苦手なだけではなく、耐えられなくてパニックになってしまうところが問題なんですよね。他の子は大丈夫なので、周りから理解されにくいのが辛いところです。

とにかく、この番組を観て思ったのは、「慣れの機能」が働いていない子に対しては、徐々に慣らすという方法は不適切だということです。例えば、運動会のピストルの音が駄目な子に対しては、「何度も経験させて慣れさせる」方法は苦痛でしかないでしょう。イヤーマフを使用するなど、子どもの負担を減らす工夫をした方がストレスが少なくてすみます。

大人だったら苦手な状況を避けて調整することが可能でも、子どもの場合はそうもいきません。特に、学校生活では「みんなと同じことをする」が基準になっています。まずは、子どもの苦手や何に困っているか、どの程度困っているのかを知ることが一番大切かなと思います。そして、どうしても駄目なものは、学校と保護者が相談して対処法を決められるといいですよね。

改善させようと頑張りすぎると、「できない」という思いが大きくなったり、コンプレックスやストレスになってしまうことも――要注意ですね。それよりは、できる方法を見つけていく方が、子どもにとって楽だし自信もつけられると思います。

反面、「慣れの機能」が作動している場合は、時間をかけて慣れさせる方が将来的にもいいですよね。だからこそ、子どもの感覚過敏がどの程度なのか、「慣れる」ことは可能かどうか、見極めることが大切。それができるのは、子どもに一番近い存在である母親じゃないでしょうか?子ども自身はどんな風に苦手なのか表現できないことが多いので、「嫌」の度合いを測るのは結構難しそう。そういう時には、母親の直感がものをいうかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

 

 

抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?

エレイン・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(Highly Sensitive Person)』が2000年に翻訳出版され、日本でもHSPという言葉が広く知られるようになりました(詳しくは『抑制的気質とHSP(その1)』をご参照ください)。タイトルを直訳すると「とても繊細な人」ですが、ただ感覚が繊細なだけではHSPではないのです。

HSPの4つの特性は:

*緑の部分はブログ『いつも空が見えるから』https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i から引用させていただきました。

アーロン博士は、たとえ感覚が敏感であっても上記の4つの特性がすべて揃わなければHSPではないと明言しています。感覚過敏を持ち合わせていることが多いASD児に関しては、共感力が低いため、HSPとは区別しています(感覚過敏については『抑制的気質とHSP(その2)』をご参照ください)。

(YUKIさんのブログ『いつも空が見えるから』では、ASDだから「共感力がない」という説は誤りであるということを詳しく説明しています。実は、私もASDの子どもたちと接してみて、彼らには共感力も思いやりもある、と感じていました。これについては、次回書こうと思っています)

では、共感力(共感能力)とは一体なんでしょうか?辞書をひいてみると、「他者の感情を理解する能力」とあります。

息子は抑制的な気質の割に、特に4歳くらいまでは特定の人に限ってとても甘え上手でした。可愛がってくれそうな人(自分に好意を持ってくれそうな人)をぱっと見分けて近づき、甘えて抱っこしてもらったり、得意なことを披露したり。その一方で、相性が悪そうな人には絶対に近づかないという…。

3歳のころ、日本人女性にベビーシッターを頼んだことがあったんですが、私が仕事から帰ってきても、息子は知らん顔!その人に甘えてもたれかかり、すっかり2人の世界に浸っていたのです。なんと、彼女が帰ったら泣いちゃったんですよね(苦笑)。

小学校の頃は、「あの人は僕のこと嫌い」とか「先生は今日怒ってた(機嫌が悪かった)」などと、家でよく私に言ってました。「そんなこと言うもんじゃないよ」「ぱっと見ただけでは解らないでしょ」と注意はしてたものの、心の中では「当たってるかも(自分に好意的ではなさそうな人にわざわざ近づかなくても、という意味で)」と思ったりして…。

人見知りなのに、何故か親近感を持てそうな人には自分から近づいていく--同じ波長の人を見極める直感力が鋭かったように思います。

そして、場の空気を敏感に感じ取ってしまうため、マイナスになる部分が多くありました…。例えば、先生が「キャンディーあげるからおいで」というと(小学校で時々あった)、クラス全員が先生(キャンディー)めがけて殺到します。そういう時、その空気、というか雰囲気?に圧倒されて、息子は動けないのです。で、一番最後になってしまい、その頃にはもうキャンディーはなくなっているという…。「僕も欲しかったのに」と、後から涙目になってました。

また、誰かの機嫌が悪かったり、悪さをする子がいる時なんかは、すぐ察して近づかないようにするんです。あとは、誰かが怒られていると、自分が怒られたように気になるようでした。高学年になってからは、人に何気なくいわれた言葉や自分が人にしてしまったことを気にして、もんもんと悩んで眠れなくなったり――多分、相手は覚えてもなかったんじゃないかな。

私は息子が小学校高学年になるまで、思いやり(共感力?)が育ってないのでは(『「思いやり」が育ってない?』をご参照ください)と気になってました。あまえん坊の割に、図工で作る母&父の日カードなんかはホントに言葉が少ない(他の子の半分以下)。どういう訳か、こちらが聞かない限り学校での出来事や自分の気持を言わない子で、何かの拍子にポツポツ話し出すという感じだったんです。

でも、緘黙が改善し、遊び仲間ができ、学校生活が楽しくなってきた頃から、徐々に自分の気持や友達のことなどを話すようになりました。

小5の頃(10歳)家に遊びに来た友達のひとりに私が声をかけたんですが、後で「○○君にそれを言ったら駄目だよ」と叱られました。理由もちゃんと話してくれて、その言葉を言ったら彼が傷つくと…。

「え~っ、この子にはこんな友達思いの面があったんだ!」とビックリ。こと友達のことになると、きめ細かく配慮してたような…。その反面、どうも身内に対しては「やってくれて当然」と思っていたようなフシがあります。

それが、今では私が落ち込んでいたり、怒ってたりすると、真っ先に気づいて言葉をかけてくれるのが息子なんです。その上、とても冷静沈着で論理的なアドバイスをくれたりして…。

息子の共感力は成長とともに育ったんでしょうか?それとも、共感力というのは生まれつき備わる資質に影響されるんでしょうか--謎です。

もしかしたら、息子は緘黙から開放されて、少し余裕を持って人のことが見られるようになったんでしょうか?それまでは、それどころじゃない不安の渦の中にいたのかもしれません…。

以前は思いやり=共感力と思っていたんですが、「思いやり」って行動や声に出さないと気ずかれにくいですよね。ただ感じたり、思ったりしてるだけでは、人には伝わらない――でも、言わない・言えないHSPっ子は案外いるのかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)自宅での様子

PCのファイルを整理していたら、懐かしい映像が出てきました。確か、2005年の夏に窓の修理をしたときのものだったと思います。

当時、5歳くらい(5歳の誕生日前か後か不明)だった息子は、ビデオカメラで色々撮影するのが大好きでした。この時は居間の古いサッシュウインドー(うちは100年位前のエドワード王朝時代に建てられたテラスドハウスです)を修復していて、床やソファはダストシートで覆われ、修理機器やら掃除機がどーんと陣取っています。

確か、修理の職人さんたちがランチタイムの休憩中で、誰もいない間に撮影したように記憶しています。

なんか落ち着きがないですね。幼少の頃はかなりオシャベリな子どもで、一緒にいるとうるさい位でした。(今はこの映像からは想像もつかないくらい落ち着いてます)。声のトーンが人一倍高くて、本当にうるさいですよね…。

息子は4歳半で小学校のレセプションクラスに入学。就学3週間目に混み合う滑り台から落ちるという事件に遭遇し、それがきっかけで場面緘黙になりました(事故直後は緘動も)。幼稚園では寡黙でしたが、大人がいないところでは日本人の親友と日本語で普通に話していたよう。

小学校では親友とクラスが分かれてしまい、初日から自分の英語力に引けめを感じていました。それまでは日本語中心の生活をしていたのですが、緘黙になってしまったこともあり、英語に切り替えることに。すると、あっという間に英語の生活に変わってしまいました~(涙)。

緘黙を悪化させないために土曜日の日本語学校に入れることを断念したのですが、今でもちょっと後悔しているのです…。私が教えればいいやと思っていたものの、聞く・話すはよくても書くのが大嫌いで――結局漢字をやってる途中で放り出してしまいました。

話がそれてしまいましたが、自宅で撮影した映像を担任や医師などに見せて、子どもの普段の様子を知ってもらうことは結構重要だと思います(私の場合は、映像でなく録音した声を聞いてもらったんですが)。学校や家の外でのイメージとは全く違う本当の姿を見てもらうことで、子どもがいかに緊張しているか、親がどんなに心配しているかを解ってもらえるのではないでしょうか?口で説明するよりも説得力があるのは確かです。

また、学校ではできない本読みや楽器の演奏、唱歌などを、映像を見て評価してもらうという方法もあります。今や携帯で簡単にビデオを撮って送信できる時代なので、それを活用しない手はありません。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その10)

抑制的気質とHSP(その2)

かなり時間が経ってしまったのですが、3月9日に投稿した『抑制的気質とHSP(その1)』の続きです。

まずは感覚過敏についての続きを。

ここ5年間ほどASDの子どもやティーンと関わってみて、彼らは感覚過敏によって受ける不快感(刺激)を統制する機能が弱いというか、いわゆる健常児に比べると、不安や感情のコントロールがより難しいように感じます。

例えば、息子が小さかった頃に室内遊技場に連れて行くと、初めての時は1時間くらい私にくっついて全く離れず—でもだんだんと慣れて、こわごわ遊び始め、さあ帰ろうという頃に乗ってくるという。それでも、何度か回を重ねるとさすがに慣れて、すっと好きな遊具にむかって行けるようになりました。

ASD児の中にはこの「慣れる」が大変難しく、拒否反応やパニックを起こす子が多いような…。息子も時間がかかりましたが、もっと多くの時間と工夫が必要となりそう。ずーっと拒否し続けて、「これはやらない」「できない」が増えてしまい、日常生活や人間関係に影響してしまうことも多いです。(ASD児でもそれほど感覚過敏・鈍感がない子もいて、それぞれ特性が違うので、ひとまとめにはできないのでご注意ください)。

この「やらない、できない」ことが多く、体験の積み重ねができないことが、年齢相応の常識が身につかない要因のひとつかもしれません。みんなセカンダリー(12歳から)になってくると落ち着いてはくるものの、大人っぽいことをいう割に、情緒的にものすごく幼かったり、年齢相応のことができなかったり、受け流すことができなかったりと、アンバランスさが目立ちます。

前回、リンクを貼らせていただいた『リタリコ発達ナビ』のサイトの、「感覚過敏」のページにこんな記述がありました(お借りします)。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉症スペクトラム障害(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いといわれています。

発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情をもつことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、発達障害のない子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうのです。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりします。

そして、子どもの場合には、そのような不安を適切な方法で表現できないために、癇癪(かんしゃく)や自傷行為などの問題行動につながりやすい傾向にあります。また、逆に感覚の鈍感さがあるときの行動の一つとして見られるのが、手をふらふらする、首をふるなど、「常同行動(自己刺激行動)」と呼ばれる行為です。これは、感覚刺激を求めたり、不安を紛らわせたりするための、自己調整の行動ではないかと考えられています。

緑の部分は『リタリコ発達ナビ』から引用させていただきました。

下線や太字の部分、納得できるものがあります。感覚過敏というのは、外部から「入ってくる」刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと――うまく調整できないから不安になり、周囲に合わせられないから更に不安が増すという悪循環になってるのかな…。

例えば、大きな音がした時、びっくりして泣き出す子とパニックになってしまう子の間には、「入ってくる」刺激に違いがあるんでしょうか?

発達障害の感覚過敏に反して、アーロン女子はHSPの感覚過敏は、敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)で、「入ってくる」刺激の取捨選択には問題ないけれど、感受性が高いために「受け取った」刺激をより深く処理してしまうことだと言っています。

これは、大きな音がした時、ただ音に驚くだけでなく、「何が起きたの?」「ママは?」「怖い」「〇〇ちゃんが泣いてる」など周囲の空気を読んだり、想像したりすることで、不安が増してしまうとうこと?

刺激をより深く処理するためにはより時間がかかるだろうし、色々考えるとより自衛的になると考えられるので、行動抑制的になるというのは解かるような気がします。

まとめてみると、取捨選択機能がうまく働かない(感覚統合障害(sensory integration disorder))ため、「通常」とされている範囲よりも多くの刺激が「入ってきて」しまうのが感覚過敏。対して、刺激を取捨選択して「受け取る」のはOKだけど、「通常」よりも深く処理するのが敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)ですね。いずれにしても、世間一般が「通常」と考える範囲を超えた処理をしているため、注意とケアが必要になるということかな。

またまた素朴な疑問なんですが、この2つの特質を同時に持ち合わせていることってないんでしょうか?

また、この2つの特性についても、多分ASDの定義(『イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その3)』をご参照ください)と同じように、明確に境界線を引けるものではないような気がするのです。境界線の内側が「正常」で外側が「障害」ではなく、スペクトラム状(連続体)になっていて、グレーの部分が大きいような…。

生まれ持った気質と環境に影響を受けながら成長・発達していくうえで、少し凸凹があってもうまく適応できれば性格とか個性で済んでしまうケースも多いんじゃないかな?子どもが生きづらさを抱え込んでしまわないように、自分である程度調整できるようになるように、うまく支援してあげたいですよね。

次回は「共感性」について考えてみたいと思います。

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緘黙児とHSP

抑制的気質とHSP(その1)

 

NYのグループ治療プログラム『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』(その2)

SMiRAコンファレンスより、児童セラピスト、ルーシー・ネイサンソンさんの講演の続きです。

NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』を経験して

<まとめ>

  • 場面緘黙を1週間で完全に克服することは不可能
  • このプログラムは治療プロセスの一部
  • 殆どの子どもは継続的な介入が必要
  • 克服するには長い時間がかかる
  • この集中治療により、子どもは話すきっかけを得、成果を積み重ねていくことができる

ひとつ注意していただきたいのは、この講演はルーシーさんが体験した範囲内での話だということ。決して『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』の全容ではありません。治療プログラム終了後、学校での支援にどう繋げていくのか、どの程度の子どもが学校で話せるようになるのか、などの詳細は不明です(Child Mind Instituteが考案した特別プログラムなので、外部に漏れないようにしている部分もあるのかも)。

ルーシーさん自身は、「もし自分がこのプログラムを取り入れるとしたら、全部取り入れずに一部だけ使い、他の治療法と組み合わせると思う」と言ってました。

質疑応答では、以下のような質問がありました。

1) 緘黙児全員が導入セッションで声を出せるようになるのか?

ルーシーさんが担当した子は声を出せたそうですが、全員が話せたかは不明とのこと。もし話せない子がいるとしたら、その子は本番には進めないんでしょうか?

2) この集中プログラムの後、学校で話し始める確率はどのくらいか?

これも不明。学校への支援に繋ぐためペアレントトレーニングが行われますが、学校がトレーニング通りの支援に協力してくれるかどうか――実際にやってもないと判りませんよね…。

3) 参加料金はどのくらい?

これも不明でした。が、アメリカは医療費が高いことで有名なので、もし医療保健がない・効かない場合は、一体どんな額になるんでしょう…?

4) 集中プログラムでは子どもの答えに対して、セラピストが長い文章で答えを反復する方法だが、慣れてくればもっと自由に会話できるようになるのか?

残念ながらこちらも不明。治療中に子どもがセラピストになついて、自由な会話ができるようになる、という感じではないみたいでした。……………………………………………………………………………………………………

今回のコンファレンスには、イギリスの緘黙治療の第一人者といわれるマギー・ジョンソンさんなど、多くのSM専門家が参加していました。専門家からは、セラピストが子どもの答えを反復するやり方ついて、「最初はいいとしても、ずっと続けるのはどうか?徐々に自由な受け答えができるようにしていく必要があるのでは?」という意見が多かったです。「長い目で見ると、短期間で発語を促す方法より、自発的な発語を促す長期的なスモールステップ方式の方がいいと思う」という人も。

イギリスはアメリカと比べると保守的な傾向が強く、薬の服用や発語を強制することに対しては否定的な意見が多いです。ただ、緘黙状態が長引けば長引くほど、同じ環境での自発的な発語は難しくなってきます。転校や進学をきっかけに、本人が頑張って話し始めるケースは多いですが、話し始めるきっかけって以外と少ない…。そういう意味では、きっかけを作ってくれるこの治療プログラムは貴重かなと。

あと、「自由な会話」ができるようにならなければ緘黙を克服したことにはならない、という意見もありましたが、これについてはちょっと疑問が…。

私は小さい頃とても内弁慶で、小・中・校を通して「大人しい子」と評されてました。授業中に当てられたりすると、緊張して必要最低限のことしか言えないことが多かったです。休み時間に友達とお喋りするのと、授業中やみんなの前で発言するのとでは、全く別の自分がいました。自由に会話ができる人って、本当に限定された数人だけ…。今だに自分の気持を上手く伝えられなくて、後になって「こう言えば良かった」「どうしてあんなこと言っちゃったのかな」と反省することも多いし…。

教室など多くの人に見られる公の場で自由に会話することは、緘黙の子・人でなくても難しいと思うんです。(イギリスの小学校とかだとグループで活動することが多いので、話しやすい雰囲気ではありますが)。だから、もう少しハードルを低くして、公の場では質問に答えたり、自分の意見を言えるようになればOKじゃないかな…。

ただ、たとえ口下手であっても、気の置けない友人や親族には、自分の興味のあることや得意なことだったら、安心して話せるんじゃないでしょうか?楽しく話せる人や場所があれば、それが自信に繋がります。だから、好きなことや趣味を持つことは本当に重要だと思うんです。親にすれば、子どもがネットゲームやアニメ、アイドルグループなどに夢中になれば心配になるもの。でも、親から見てどんなくだらないことでも、楽しみを持つことが生きる力になると思うんです。そして、それが行動を起こすきっかけになるかもしれません。

好きなアーティストのファンクラブに入ったり、ネットゲームでオンライン上の仲間を作ったり――そこから次なる発展があるかも。人間って「好きなこと」にはめっちゃパワーを出せると思うので。

話が反れてしまいましたが、この集中治療プログラム、もし息子が緘黙だった頃にアクセスできていたら…う~ん、参加させるかどうか悩むところですね。1対1ではなくて、知らない子どもや大人たちと一緒、しかもその中で話さなくてはいけない――結構プレッシャーが大きいかも。やってみる価値はあると思うのですが、やはり子どもの反応次第でしょうか。

治療プログラムではなくても、子どもがやりたそうな習い事をさせてみるとか、友達を誘って出かけてみるとか、まず楽しめるきっかけを作るのがいいかもしれませんね。

(おまけ)

昨日、イチゴを食べようと思って洗っていたら、「あれっ?」。イチゴのさきっぽ(ヘタじゃない方)に何やら緑のものが…。

ツブツブの種が集中してる実の一番先から発芽してました~!生まれて初めて見ました

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SMiRAの2017年コンファレンス

場面緘黙克服のために抵抗力 Resilience を高める

ナターシャ・デールさん(21歳)の緘黙克服

ナターシャ・デールさんの緘黙克服(その2)

NYのグループ治療プログラム『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』

 

NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』

SMiRAコンファレンスより。

児童セラピスト、ルーシー・ネイサンソンさん 「NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』を体験して」

NYのChild Mind Instituteは、メンタルヘルスや学習における障害に苦しむ子ども達をサポートする独立した国の非営利団体。このブレイブバディズSMは、2009年に児童心理学者カーツ博士によって考案された、グループ緘黙治療プログラムです。

https://childmind.org/center/selective-mutism-service/

(このプログラムを経験したリリーちゃんと両親がビデオに登場しています)

(みく注:このサイトでは、1日もしくは2日間のプログラムを行っていると記されているので、ルーシーさんが参加したセッションは特別だったのかも…)

ロンドンに住む児童セラピストのルーシーさんが、この短期治療プログラムに参加。今回の講演では、彼女が実際にセラピストのひとりとして体験したことやその感想を伝えてくれました。

『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』の概要

  • 内容:行動療法を用いたグループセラピー
  • 対象:3~8歳
  • 期間:1日5時間、5日間継続(事前の導入セッションあり)
  • 場所:学校の教室を模した部屋

Brave Buddies は「勇敢な仲間たち」とでも訳せばいいんでしょうか?学校の教室を模した部屋で、授業のような形態を用いて行う小グループ治療プログラムです。緘黙が学校で起こっていることを考えると、疑似学校で治療プログラムを行うことは理にかなってますね。プログラム終了後、実際の学校で効果を持続できるよう、保護者の教育もあるとか。

プログラムを開始する前に行う活動:

  •  導入セッション
  •  ブレイブバディズ
  •  ペアレントトレーニング

セラピーに参加する子どもたち(薬を服用している子も含む)は導入セッションで合流。子どもたちが同じ部屋で遊んでいるところに、それぞれの子どもを担当するセラピストが徐々に入っていく。

  • セラピストはまずCDI (Child Directed Interaction 子ども主体のインタラクション)を用いる。側にいて、子どもの行動を声に出して説明し、模倣し、省みる(褒める)。
  • VDI (Vocalisation Directed Interaction 音声主体のインタラクション) を用いて、計画的に、意図的に声を出すよう促す。
  1. Yes, Noの2者選択ではなく、答えを言わなくてはならない質問やオープンエンドの質問を使用し言葉を導き出す。
  2. 答えを何秒か待ち、発語がなければ再び答えを促す。
  3. 質問例: ○○ちゃんは、赤い花がいい、それともピンクの花がいい?
  4. 子どもが「ピンク」と答えたら、セラピストは「○○ちゃんは、ピンクの花がいいんだね」と長い文章で繰り返す。
  5. セラピストの質問に答えられたら、後で玩具と交換できるブレイブバッジを与える

導入セッションでセラピストの質問に答えられるようになった子ども達は、次に5日間の集中プログラムへ。

学校と同じように、サークルタイムや工作の時間などを設ける。主任セラピストが加わり、全体の活動を引っ張っていく。

子どもたちは同じ部屋で活動するが、各自に担当セラピスト(導入セッションと同一)がつき、最初は1対1で対応。慣れてきたら、新たな主任セラピストが子どもたち(全体)に質問。子どもはまず自分の担当セラピストに答えを言う。次に、主任セラピストがひとりずつ子どもに質問し、子どもから直接答えを引き出す。答えることができたら、皆の前で褒める。

  • 教室のような部屋で何度も話す練習 <連続的なエクスポージャー法> → 実際に教室で話す練習へ
  • 担当セラピストを交代させる <「強化法」> → 話せる人の輪を広げる
  • より多くの人と話すことに焦点を当てる
  • 「忍耐への耐性」を積み上げることに焦点を当てる
  • 同じ質問をすることで不安を減らす
  • ペアレントトレーニングにより、保護者がセラピストになってエクスポージャー法を持続できるようにする

まとめと質疑の様子は次回お伝えする予定です。

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場面緘黙克服のために抵抗力 Resilience を高める

ナターシャ・デールさん(21歳)の緘黙克服

ナターシャ・デールさんの緘黙克服(その2)

 

ナターシャ・デールさんの緘黙克服(その2)

遅くなりましたが、ナターシャさんの講演の続きです。

実は、ナターシャさんがスピーチしている間、昨年のコンファレンスの講演者でSLTのリビー・ヒルさんが傍でずっと見守っていました。それで、リビーさんの支援を受けてるんだなと思ったんですが、彼女の話しの中には出てこず…。

また、18歳でカレッジに進学したことが緘黙を克服のきっかけとなったということでしたが、どんな支援を受けたのかイマイチ不明確…。

この辺りの詳細を知りたくて本人に連絡してみたら、すぐ返事をくれました。写真もお貸りできることになったので、ここに掲載しますね。

よく転校や進学によって環境が変わることで緘黙を克服・改善できた、という話を聞きます。自分が緘黙だということを周囲が知らない新たな場所で、勇気を出して話し始める人は多いよう。ナターシャさんの場合もそうでした。

進学した農学系のカレッジはのんびりした雰囲気で、動物飼育のコースにはたくさんの動物がいたそう。動物たちに囲まれた環境、そして学校が1対1でTAをつけてくれたことが、ナターシャさんの不安を減少させました。緘動が和らいだのがターニングポイントとなったようです。

かわいい動物たちに話題が集まって、彼女が話さないことがそれほど注目されなかったのかも?それで、以前ほど自意識過剰にならなくて済んだのかもしれませんね。

まずは不安度が下がらないと話す練習もままならないので、環境を変えたことが大きなプラスとなったケースだと思います。そこからかなり努力して、現在までコツコツと緘黙を克服してきたそうです。

どういう縁なのかは判りませんが、ナタリーさんは昨年からリビー・ヒルさんの言語療法センターで働いているとか。そこで場面緘黙に対処できるよう、リビーさんからソーシャルシンキングのセッションを受けたそうです。場面緘黙に対するセラピーは、これが初めてだったということ。

それ以前に不安(多分、社会不安ですね)に関連するセラピーを何度か受けたそうですが、緘黙状態は改善しませんでした。多分、学校の環境が変わらなかったため 、不安を下げることができなかったんでしょう。それでも、誰かが気にかけてくれることは重要ですが…。

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<SMiRAコンファレンスより>

ナターシャさんの緘黙克服法

  • 実現可能な、毎日の小さなゴールを定める
  • 微笑みやジェスチャーも進歩の印とする
  • 家族や親戚に文書でメッセージを送ることから始め、徐々に難度をあげていく

ナターシャさんから家族への願い

もし私が話すようになっても、「よくやった」とか言わないで欲しい。普通のことなんだから褒めたりせずに、他の子と同じように扱って。

(みく注:ナターシャさんは完璧主義の傾向が強いので、他の子と違う扱いをされるのが嫌なんだろうと思われます。子どもによっては、褒めることでどんどん自信をつける子もいます。お子さんの性格を見極めたうえで対応してください)

今はまだ緘黙克服の道半ば。まだまだ、私が緘黙であることを理解して、支援をしてもらう必要があります。

緘黙に苦しむ子や成人は完全主義の傾向が強く、ものを詳細まで見たり、物事を詳細まで考えたりする傾向が強いと思います。だから、写真を撮ることに向いているんじゃないかな。

私にとっては、カメラを持って外に出ること、写真で自分を表現することが助けになりました。

緘黙の克服に取り組んで1年経った19歳の頃、不安が原因で脱毛症になったことも…。ネガティブな思考が頭に浮かぶこともしょっちゅうでした。

でも、「もしこうだったら」と悔やんだり、考え込んだりするのは時間の無駄。

幼いころからの写真やビデオを観返して、自分が誰なのか、何がしたいのか――欠落した部分を探し出そうとしました。自らの不安が作り出した私、ではなく本来の私を取り戻すために。

緘黙は今もまだ私の一部です。まだ不安になることもあって、自分の限界を学んでいるところです。

現在は特別支援の場で働いていて、殆どの人と話すことができます。たとえ何かうまくいかないことがあっても、それでいい、違う形でアプローチすればいい、と思えるようになりました。

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環境を変えるのはひとつの方法ですが、「学校を変えれば、緘黙を治せる」と安易に考えない方が懸命です。環境は変わっても、それが合わないこともあるし、特に人間関係は運に左右されることが多いので。また、「このチャンスに絶対話し始める」とハードルをあげすぎると、かえって落胆してしまい、逆効果になることも…。

ナターシャさんも言ってましたが、緘黙児・の人は完璧主義の傾向が強いです。「これができなきゃ駄目」と頑なにならず、失敗しても「まあいいか」と居直れることも大事。自分に優しく、マイペースでゆっくり一歩ずつ進むことが大切ではないでしょうか?

学校外で話せるようになった子どもが、どうしても学校だけで話せないというケースだったら、転校してみる価値はありそう。その際は、本人の意志を確かめてください。規模が小さい面倒見のよさそうな学校、子どもが得意なことを活かせそうな学校が見つかるといいですね。

緘黙の克服には時間がかかります。思い通りに進まないことも、うまくいかないこともあるでしょう。有能な専門家やセラピストにめぐりあえても、彼らはあくまで支援者。誰かが治してくれる訳ではなく、自分が努力して声を出し、話す練習をしていくしかないんです。

不安で緘動になっていた時期が長かったというナターシャさん。18歳からコツコツ頑張って、21歳の今、100人近くの聴衆の前でスピーチできるようになっています。本人はもちろん、ご家族も長いこと悩み苦しんできたんだろうなと思うと、本当に感慨深いものがあります。

そうそう、ナターシャさんの質疑の時に、最前列の端にいた元緘黙の女性が、「緊張するので前を向いたまま話しますね」と前置きしてから発言したのが印象的でした。自分の不安を減らすだけでなく、周りの理解も得られる不安への対処法ですね。

あと、午後の質疑の時間には、家族以外と何年も話したことがないという女性が、手を挙げて堂々と発言!「周囲が緘黙を理解してくれる人たちばかりだと、話すのがこんなに楽!」と本人も驚いてました。きっと、同年代のナターシャさんが頑張っているのを見て、触発されたんだろうと思います。

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イースター休暇

イギリスではイースター(復活祭)の祝日の前後に学校の春休みが2週間ほどあります。ちょっとややこしいのですが、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という決まりで、毎年日付が変わるんです。今年は4月16日で、先週の金曜日から月曜日までが4連休。ちょうど春休みの終わりと重なりました。

今年のイースターは、3年ぶりにバース南郊外の義妹夫婦宅に家族が集結。久しぶりに姪っ子と甥っ子に会ったらスラリと背が高くなっていて、特に足が長~い!残念ながら息子は私や父に似てしまい、ハーフなのに足が短くて可哀想…。ごめん!土曜日に着いて、その夜は子どもたちと一緒に巻きずし作りをしました。

イースター当日は、近くにあるナニー(Nunney)という村にイースターパレードを見に行くことに。実は、今回は義母が腰を痛めていて、あまり歩けない状態だったんです。でも、「なるべく近くに車を駐めれば、ほとんど歩かずに済むよ」と義弟。行ってみて、その言葉に納得--本当に小さな村なんです。

     ちょっと暗いですが、17世紀の馬車宿を改造したパブ/ホテルがある村の大通り(中)。パブの向かい側には中世の城の廃墟があります

運良く、大通りのパブ The George の駐車場に空きスペースをひとつ発見。そこからパレードが行われるという広場まで2分ほど歩くと、なにやらカラフルな帽子を被った人たちが集まっていました。広場の真ん中には、三角旗を飾り付けたトラクターと荷車が…。

川沿いにあるNunney村の広場

この村のイースターパレードというのは道を行進するのではなく、荷車の上にあがってイースター飾りを施したボンネット(帽子)を競い合うというもの。老若男女みんなそれぞれ個性的でしたが、今年はティーンの部の参加者はゼロ。「こんなの恥ずかしくてやってらんない」っていうお年頃なんですかね…。

  年齢別に荷車にあがってボンネットのできを競います。左は年少の部、右は5~7歳の部。

8~11歳の部では、ファッションショーよろしく荷台のうえでウォークも

 成人男性と女性の部。圧巻だったのは本物の花飾りとウサギをのせたこの方(中央)

イギリスらしくワンちゃんの部も!みんな凝ってる割にのんびりムード

パレードが終わった後は、川にプラスティックのアヒルを浮かべて順位を競うダックレース。残念ながら、私たちが着いた時にはアヒルは既に売り切れてました。

 川に浮かぶ500匹のアヒル。仲々流れないなと思ったら、ちゃんと流す係の人が

アヒルが橋の向こうに行ってしまうと、ダックレースの途中ですがここで解散という感じ。ぞろぞろ歩いてパブで喉を潤し、家路につきました。ランチの後、ダイニングテーブルの上は箱入りのイースターエッグ型のチョコレートの山。これでもかというほど食べましたが、全く食べきれず…。

夜はお決まりのローストディナー

イースターマンデー(復活祭の月曜日)のお楽しみは、ゆで卵に絵を描いてぶつけあう遊び。息子はもうとっくの昔に卒業しましたが、姪っ子と甥っ子は嬉しそうに興じてました。こうやって伝統が受け継がれていくんですね。